20.元社畜とクラリッサの街
さて、休憩の後ゆったりと馬を走らせ、舌をかまない程度に話をしながら、私たちはどうにかクラリッサの街の門前へと辿り着いた。
ユノ子爵領の中心地であるクラリッサは、街道沿いにあった小さな村に比べると、やはり規模が大きく賑わいを見せている。ぐるりと四方を強固な壁に囲まれていて、なかなかに壮観である。
私たちは馬から降りると、門前の入場列に並んだ。
どうにかのろのろと歩けはしているものの、ぷるぷると小鹿のように震える内腿に、やっぱり運動しないとダメだと実感する。おしりも凄く痛い。
私と横並びのヒースさんが、馬の手綱を引きながら小さく肩を震わせている。笑っているの、聞こえてますよ、もう。
ほどなくして列が進み、私たちの番がやってきた。
冒険者タグを持つヒースさんと異なり、落ちてきた私は、一切の身分証明がない。
ヒースさん曰く、保証金を支払えば街に入るのは可能なのだとか。
その後、各種ギルドのどこかできちんと身分証を作成すれば、保証金の一部が戻ってくる仕組みなのだそうだ。
戸籍がきちんと整っている世界じゃなさそうだし、身分証明って難しいんだろう。
なお、保証金はヒースさんが立て替えてくれるらしい。ありがたいけど、早くお金を稼がねば。
「あれー、朝から出て行ったと思えば。めずっらし、ヒースが女の子連れてる」
「うるさいな……仕事しろ、仕事」
さすが、長らくクラリッサを拠点にしているヒースさんは顔パスのようで、身分証を呈示するまでもなく、門番さんに絡まれている。
随分と仲良さげで、私は思わず目を瞬かせてしまった。いや、ヒースさんの交遊関係を見るの、これが初めてなものでね。
大人で優しいヒースさんが、男友達?と一緒だと、ちょっとやんちゃな感じに映って意外だ。
「はいはいっと。さて、お嬢さん、こんにちは。クラリッサの街にようこそ。身分証を提示してもらえるかな? もしなければ、保証金が必要になるのだけれど」
「故あって、こちらに来るのが初めてで……身分証を所持していないのですが」
「前に話しただろう? 魔女殿のところに世話になっている子だ」
「ああ、この子が魔女さんの!」
子って言われる年齢では……と思いつつ、とりあえず黙っている。
ヒースさんは、一体何を話したのだろう。
私が『界渡人』であるのは秘匿されているはずだから、多分他愛もないことだと思うけど、そんなに面白い話題を提供できる人間じゃないのになあ。
門番さんは、にこりと爽やかな笑顔を浮かべた。
「魔女さんには、いつも薬でお世話になっています。お弟子さんですか?」
「えっと、そんなところです。カナメ・イチノミヤと申します」
「へー、不思議な響きのお名前ですね~。では、決まりなもので、保証金として大銀貨1枚お納めください」
私は、あらかじめヒースさんから受け取っておいた銀色に輝くコインを、机の上に置いた。
金貨1枚が、日本円換算でざっくり10万円程度の相場になる。大銀貨は1万円、小銀貨が千円、銅貨が百円、鉄貨が十円。金貨の上に白金貨があるらしいが、私はまだお目にかかったことはない。それと、紙幣は流通していないみたいだ。
物価が安めなのもあって、大銀貨1枚でも、この世界ではそこそこの大金だ。治安維持も兼ねてるから、仕方ないのだろうけど。
支払いと一緒に、規約の書類に目を通し、サインとして名前を書く。
珍妙なんだけど、日本語で文字を書いても、勝手にこちらの文字に変換されるのだ。≪自動翻訳≫のスキルの便利さが半端ない。
ただ、やっぱり一瞬ぐにゃりと文字が歪んで見えるのは、違和感しかないのだが。
「確かにお預かりします。ヒースがいるから大丈夫だと思いますけど、ギルドで身分証を発行してもらったら、1週間以内に返金手続きに来てください。雪が降ると寒いですが、今時期のクラリッサは過ごしやすくていいところですよ。カナメさん、是非、我が街を楽しんでください」
「はい、ありがとうございます!」
こうして、私とヒースさんは無事クラリッサの街に入ったのだ。
昼時を過ぎてはいたものの、入り口を抜けた先の広場から、良い匂いが漂ってくる。
ちらほら出ている屋台が、軽食を提供していて美味しそうだ。
まずは城壁沿いのやや奥まった場所にある貸馬屋に乗ってきた馬を返却してから、ヒースさんと連れ立って中央広場に通ずる道を歩く。
石造りの街並みは、中世ヨーロッパみたいで可愛く、興味をそそられる。
人以外に、獣人さんの姿もそこかしこに見受けられる。亜人差別のようなものはなさそうでほっとした。
モフッと頭から生えたお耳と、揺れる尻尾がとても愛らしくて、目を奪われる。
人出も活気そこそこあって、民たちの顔は明るい。街全体から豊かさを感じられるので、ユノ子爵の経営手腕はなかなかに上手いのだろう。
何よりあのリオナさんが、住処として選んだ領地である。
きょろきょろあちこちを眺めていると、ふっと笑みを零したヒースさんに手を取られた。
「ほら、そのままだとぶつかる。よそ見していたら危ないぞ、カナメ」
「わ、すみません」
すっかりお上りさん状態で恥ずかしい。
とはいえ、ここに墜ちてきてから、初めて訪れる街なのだ。浮足立つのも仕方のないことと見逃してほしい。
手を繋がれたまま、先を促される。
私の手は、ヒースさんの掌にすっぽりと包まれていた。大きくてごつごつしていて、男の人なんだなあと変に実感してしまう。
ヒースさん的には、はぐれないための子ども扱いな気がしないでもないが、さっきの休憩時間のこともあって、妙に気恥ずかしさが募る。
そんな私の複雑な心中を知らないヒースさんは、軽く私の方へと首を巡らせてにこっと笑顔を見せた。
「腹減っただろう? クラリッサの屋台も結構いけるんだが、食べたいものはあるか?」
「そうですね、名物とかってあるんですか?」
「木の実のタルトやチーズとかの乳製品も旨いけど、個人的にはやっぱり肉の串焼きかな。最近、味付けに工夫が入って……」
アイオン王国の北側一体は、森の実りの良さと冬の厳しさで、魔獣の肉の締まりがよいのだとか。
確かに、ホロホロドリのお肉は美味しかった。
しばらく歩くと、やがて中央通りと呼ばれる表通りに出た。
門前以上に多くの出店で賑わうそこからは、どこか懐かしい匂いが漂って私を刺激する。
すん、と思わず鼻を鳴らした。
「……この匂い!」
「おい、カナメ」
ヒースさんの手を引っ張って、私は駆け出す。
そこそこ人が並んでいる出店からは、肉がじゅうじゅうと焼ける音と、たれの香ばしさのハーモニーが漂っている。
日本人の食欲を、これでもかとそそる匂いを、誰が間違えるだろうか。
「お醤油だ!」
まさか、こんなところで愛すべき調味料に出会えるとは思わなかった。
「カナメは、これが食べたいのか? まさにさっき話していた、味付けに工夫が入ったっていう名物だよ。いい匂いだよね」
「はい……!」
そのまま、列の最後尾にヒースさんと並ぶ。テンションが高くなるのは仕方ないだろう。
だって、日本人の心の故郷、おふくろの味を担う片翼、醤油である。
味付けは数種類から選べるみたいだったが、もちろん醤油一択である。
私が、あまりにもワクワクソワソワと眺めていたからだろうか。お金と引き換えに、屋台の親父さんが、嬉しそうに串を渡してくれた。
「うちの肉は最高に旨いけど、熱いから火傷しないように気を付けなよ、お嬢ちゃん」
「ありがとうございます!」
屋台から少し離れて、あつあつの串焼き肉にためらいなくかぶりつく。行儀が悪いとか、そういう頭は既になかった。
肉汁と共に舌の上に広がったのは、にんにくと醤油の味。がつんとした塩っけがたまらない。
内心で、ああーーとおっさんくさい声が漏れた。白米が欲しくなる。あとビール。
つい先日まで、当たり前のように口にしていた懐かしい味だ。
お肉は柔らかくも厚みがあって、とてもジューシーだ。牛肉っぽさがあるが、何のお肉なんだろう。
串に刺さった肉片は4枚ほどだが、結構お腹にたまる。ヒースさんも大きな口で肉を平らげていき、既に2本目の攻略に入っていた。
涙が出そう。というか、実際うっすらと目尻に涙が溜まっていたと思う。
「美味しい……うう、美味しいよぉ……!」
「カナメの勢いが凄い。美味しいのはわかるけど、そんなに気に入ったのか?」
「……故郷の味の一つなんです」
「ああ、なるほど、これが」
私の妙なテンションの理由を話せば、ヒースさんは納得したようだった。
自分でも引いてしまうくらいに感激している。
リオナさんの家の調味料の気配ときたら、塩と胡椒が良いところだったので。私が来るまで、リオナさんはあんまり食に興味がなさそうだったから、仕方ないと言えば仕方ないのだろうけど。
「料理に手慣れたカナメが喜ぶと思って、明日にでも市場に連れて行こうと思っていたけど、想像以上だな。ショーユは、ミクラジョーゾーという商会が作り出した商品なんだよ。去年くらいからだったかな、少しずつ浸透してきていてね」
「ミクラジョーゾー」
肉串を食べきり、他の屋台でスープを購入してくれたヒースさんが教えてくれる。
ジョーゾーとはつまり「醸造」か。凄く、日本人の手が入っている気配がします。
これは、もしかして味噌もあるかもしれない!?
私の心は、期待に浮かれた。
20話まできました!
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