17.社畜とお酒の翌日ミネストローネ
「綺麗……」
手を伸ばす。ひらりと舞い落ちた花弁は、指先に触れる前に淡く融けて、虚空に消えた。
「カナメの国にもあるのか? あれは幻想樹といって、魔力を吸って生きる魔樹でな。この湖に溶け込む魔力で咲いている。なかなかお目にかかれない樹なんだ」
桜とは似て非なるものだった。まさかのファンタジー植物。
が、色がそっくりだからか、ぱっと見の花霞は、和の雰囲気がある。
魔物ではないのだが、魔力が絡む生態なので、厳密に植物とは区分けされるとの話だ。
ヒースさんがよくリオナさんの依頼でとってくる、ポーションに必須の魔法草も魔法植物という分類になる。
よくよく見れば花弁は6枚だし、細長いハート形でもない。
それに、花びらが湖面に触れると、ぱっと光って吸い込まれるように消えていく。花びらそのものが魔力でできているので、湖面や地面に還元されるらしい。永久機関か。
「ちょっと違いますけど、私の国の花に良く似ているからびっくりしました」
「ここだと薄紅色だが、同じ幻想樹でも別の領地だと色が紫だったり、花の形が違ったりと個性があるぞ。どうも、魔力や気候で変わるらしい」
「へえ、面白いですねえ」
紫陽花みたいなものだろうか。確か土壌の成分によって、色が変わったはずだ。
「私の国では、この花を肴に酒を飲んだり、ご飯を食べたりする風習があるんですよ。花見っていうんですけど」
「ほう……それは随分と洒落た風習だな。だが、ギリギリ魔女殿の結界があるとはいえ、ここだと食べ物の匂いに釣られて、魔物が寄ってくるとも限らないから少々難しいか……」
「ですよね、残念!」
さすがにピクニックにはあんまり向かないらしい。元より少々湿気も強い。
中央の小島まで結界は届いているから、おいそれと寄ってくる気配はないが、湖面の反対岸を見ると、小型の魔物が水を舐めているのが目に映る。
ただ、散歩に来るには最高の場所なので、せめてランニングコースに組み込みたいなあ。
ヒースさんと歩いてきて、結界の及ぶ範囲もわかった。魔物に襲われることはなかったから大丈夫だとは思うけど、リオナさんに相談してみよう。
「さて、そろそろ戻ろうか。魔女殿もそろそろ起きている頃だろう」
「いや、きっと二日酔いで寝てると思いますよ」
しばらく湖の光景を堪能した後、私たちは踵を返した。
ふ、と風が抜け、後ろを振り向と、幻想樹が梢を気持ちよさそうに揺らしている。
魔力を吸い上げて咲く花と言われて、あまりにも幻想的な雰囲気に、ふと有名なフレーズが頭をよぎった。
――櫻の樹の下には屍体が埋まっている。
(なんて、ね)
私は、ふふっと喉を鳴らした。
桜じゃないし、吸い上げているのは血ではなく魔力なんだなんて現実的なことを考えて、ヒースさんの背中を追いかける。
花びらは、いつまでもはらはらと美しく散っていた。
* * *
家に戻ると、案の定、リオナさんは起きていなかった。
鍛錬で汗をかいていたヒースさんは、≪清浄≫で清めただけだったので、風呂を勧めておいた。朝食までちょっと時間もらっちゃうしね。
その間に、私は調理に取り掛かる。
お酒を飲んだ翌日は、日本人ならしじみ汁が一番なんだけど、何せ魚介も味噌もここにはない。
なので、一昨日の夜から仕込んで作っておいたインゲン豆の水煮を使って、今朝はさっぱりと酸味のあるミネストローネだ。トマトはむくみにもいいしね。
そのままお昼ご飯にも回せるように、多めに作る。お米はないけど、以前ヒースさんが少し買ってきてくれた大麦があるので、お昼はリゾットにしちゃおう。
ほんの少し残ったシチューは、チーズを入れたオムレツの上にホワイトソース代わりにかけることにして、とりあえず野菜を角切りに切り始める。
ミネストローネには、色んな種類の野菜を入れて具沢山にすると、とっても美味しい。にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、セロリあたりは定番だよね。
トマトは湯剥きし、ざく切りしておく。
鍋にオイルを引いてみじん切りのニンニクで香りをつけ、トマト以外の野菜に塩を一つまみ振って、水分を出しつつ炒める。途中でバターを少し落とすと、コクが出るのでお勧め。
ざく切りにしたトマトを潰しながら入れ、ブイヨンと水を注ぎ中火でぐつぐつと。灰汁を取りつつ、煮立ったらインゲンマメの水煮を投下!
ちょっとトマトの酸味が強かったので、蜂蜜をほんのり追加する。
煮込んでいる間に、オムレツを作ったり、少し固くなった残りのバゲットを蒸し戻して柔らかくしたりする。
最後に、塩コショウでミネストローネの味を調えたら出来上がりだ。
「うん、美味しい」
味見をすると、トマトの程よい酸っぱさが、口腔内をすっきりさせてくれる。
「凄くいい匂いがする。食欲をそそられるな」
タイミングよく、ヒースさんもお風呂から上がってきた。がしがしと亜麻色の髪の毛を乱雑にタオルで拭きながら、ダイニングまでやってくる。
うお、胸元が開いてて、温まってほんのり色づいた肌が色っぽい。目の毒だ。
私の視線は、うろうろと彷徨ってしまった。
いつもはおろしている前髪も、水気で後ろに撫でつけられていると、どうにも雰囲気が変わる。
行儀のよいヒースさんの荒々しい態度に、ひっそりギャップ萌えしてしまうではないか。いやー、顔が良いってずーるーいー!
「朝からカナメの料理が食べられるとは、幸せだな」
「……おだてても、食後のデザートくらいしか出ませんよ」
「えっ、デザートまで出るのか!? それは嬉しいな」
外見はエロテロリストなのに、甘味に釣られるヒースさん、可愛いすぎでは。
ちょっと鼓動の早くなった胸を押さえつつ、ダイニングテーブルに、バゲットとチーズオムレツ、ミネストローネを並べていく。
ヒースさんは、目を輝かせて早速スプーンを手に取った。
「……うん、旨い! スープの酸味がさっぱりして、酒の翌日の身体に染み渡るな……。てか、シチューをソースがわりにオムレツにかけるのもありなんだな。ふわふわの卵によく合う」
「でしょー。でも、よく考えたらお肉足りなかったですね、ごめんなさい」
しまった、野菜多めの食卓になってしまった。
ヒースさんはもりもり食べてくれているけれども、男の人にはちょっと物足りないかもしれない。ベーコンとか入れればよかったかも。
「いや、昨日アレだけ飲んで食べたからな。スープが結構ボリュームあるし、今日は休みのつもりだったから、胃に優しくて充分だよ」
「じゃあ、お肉はまた次の機会ということで」
「ああ。そっちの方が嬉しい。次はガッツリ行こう」
「お肉のお土産、期待してます」
「なら、今度はオーク肉を持ってくるか。カナメがどう料理してくれるのか、ここにくる楽しみが増えたな」
話を聞くと、どうやらオーク肉は豚肉に近い感じっぽい。
豚汁にしたら最高じゃないかと思ったけど、ここでもやはり味噌がないことが憎い。
冷凍箱ができれば、お肉もストックしやすいし、他にも食材に融通が利きそうだ。リオナさんが起きたら、相談してみよう。
「はー、旨い。こんな風に、俺も毎朝カナメの作ったスープが飲みたいなあ……とか気軽に言ったら怒られそうだけど」
何気ないヒースさんからの言葉に、私はごほ、とむせ込んだ。
「? カナメ、大丈夫か?」
「ごほっ……だ、大丈夫です……」
私は誤魔化すように笑いながら、慌てて手を振る。不意打ちすぎて、動揺してしまった。
ヒースさんには、決してそんな意図はなかったんだろうけど。
そのセリフは、日本でいうところのプロポ―ズの言葉なのですよ。
なお、デザートに出したジャムがけヨーグルトも、ヒースさんはお気に召してくれた。
ヨーグルトは、リオナさんが牛乳やチーズを仕入れている牧場さんから買ったものだ。
特に手作りしたジャムがヒットしていたので、瓶ごとおすそ分けしてあげたら、ヒースさんの物凄い喜びようといったらなかった。
目尻が下がって嬉しそうにしてくれるから、作ったかいがあったというものだ。
お土産もプリンだったし、そういえば差し上げたクッキーも気に入っていたし、ヒースさん、結構甘党なのかもね?