127.団長と元社畜の娘・2
さて、翌日の朝。
考えすぎて眠りが浅いわ、酒が残った身体でダルさ全開だったけど、習慣というものはなかなか抜けない。早起きして、うーと呻きながら僕は剣を手にする。
朝の鍛錬なんて面倒くさいなーって何度も何度も思いながらも、ずっと続けてきている。僕って真面目でしょ。
それは、人様の屋敷に泊まった時でも変わらず。ユベール伯爵家も慣れたもので、勝手にどうぞーとばかりに事前にタオルをくれるのだから至れり尽くせりだ。
僕は眠い目を擦り、あくびを噛み殺しながら、裏手にある鍛錬スペースに足を運んだ。うう、朝日が目に染みて眩しい。
「おはようございます、ディランダル様。しっかり休めましたか?」
「おはよう。酒が過ぎたんじゃないのかい?」
「おはようございます、ランおじ様。しゃっきりしてください」
……まあ、普通に考えて、いるよね。ヒースさんも、ステファンも、シラギくんも。僕より早いんだからさすがだ。あと、朝から爽やかだし元気だね。
「おはよ~。3人とも早いねえ……」
そこそこに汗を流していて、朝日を浴びた3人はとても健康的だ。酒が残って、ちょっとぐったりしている僕とは大違い。下手すると、もう鍛錬終わりかけているんじゃ?ってくらい。
僕もスペースの端っこを借りて、軽く身体を動かし始める。基本的なことだけど、事前のストレッチは大事だからね。
視界の隅で、ヒースさんとステフが手合わせをしている。ステフの剣の腕前もだいぶ様になってきたし、ヒースさんに似て男ぶりも上がっている。顔も身体つきもいいし、気の利く優しい少年だ。学校で、さぞかしモテるだろうね。騎士を目指しているらしいし、優良物件じゃないか。
男女の違いはあるとは言え、双子だからかリアとステフの仕草が少し似ていて、どきりとする。いや、ステフはヒースさんそっくりなんだけど、おかしいな。
妙な空目をしている。睡眠が足りていないか。歳かねえ。
ストレッチを終え、僕はいつも通りの鍛錬を開始し、手にした剣を振り始める。
しゅ、しゅ、しゅと剣が空を切るけれども、どうもキレが悪い気がする。剣に集中できていない。伸ばしたにもかかわらず、身体の動きにもぎこちなさがある。うーん、珍しく身が入らないな。
「ディランダル様、気がそぞろで鍛錬をしては、怪我をしてしまいますよ」
シラギくんが、心配げに注意を促してくる。一瞬ムキになりかけたけど、シラギくんの言う通りだ。僕は手を止め、はあとため息をついた。
それと同時に、手合わせを切り上げて、ヒースさんとステフがこちらにやってきた。
「すまないね、ディランダル君。気苦労をかけてしまっているせいだな」
「ああ、いや。そんなことは……ないともいえないんだけど」
「はは。ただ、振るにしても、受け入れるにしても、きちんとリアと向き合ってほしい。あの子の父親として、それだけはお願いするよ」
「ヒースさん……」
一晩寝て落ち着いたのか、ヒースさんは父親らしく娘への心配を垣間見せる。
普通に考えて、自分と同年代の男と娘の関係だ。信頼はされていると自負はしているものの、当然のことながら、やきもきもするだろう。
「本当に、君に娘をかっさらわれるとか、ありえなさすぎるんだけど! でも、リアがディランダル君がいいっていうから!」
ヒースさんはぐっと拳を握り締めて、唇をわななかせている。その瞳から、血涙が流れているのを僕は幻視した。
いや、落ち着いてなかったわ。娘ラブな父親のまんまだったわ。
「……生まれた頃から、僕にだいぶべったりだった気がするんだけど」
「ぐぬううううう!」
「もう、ランおじ様、父様のこと煽らないでよ。面倒なんだから」
「あはは、ごめんごめん」
「ほら、父様、そろそろ時間だし行こう。俺、ディーと一緒に朝食食べて、帰るまで遊ぶ約束してるんだから」
ステフがぽんぽんとヒースさんの背をなだめながら、屋敷へと促している。うーん、できた息子だね。
どうやら一緒に泊まっていた闇の侯爵家一家は、僕たちよりも先に出立するらしい。ディーというのは、嫡男で付与調律師のディーア・シュヴァリエくんだろう。従兄弟で、ステフと仲良しだったはずだ。
僕が双子にランおじ様と珍しい呼び方をされるのは、ディーアくんがいるからかな。小さい頃「ディラン」って難しくて呼べなかったのもあるけど。舌っ足らずで可愛かったんだよねえ~!
僕らは好きな時に起きて好きな時に食べていいよって、勝手知ったるユベール家扱いさせてもらっていて悪いな。
貴族家にしては珍しいことに、ご飯作っているのはカナメなんだけど、その辺は友人のよしみか、相変らず自由にさせてくれている。
「あ、そうだ。リアを振る理由が年齢や仕事ってだけなら、リアを甘く見すぎだよ、ランおじ様。というわけで、僕の姉をよろしくね! 泣かせたらおじ様でも容赦しないから!」
振り返ったステフは、にやっと笑って手を振った。姉の肩を持っているのが、ありありとわかる顔だった。僕におしめを変えられたくせに、ずいぶんと生意気になったなあ。
残されたのは、鍛錬不十分な僕とシラギくんだけ。
あーっ!こういうの、なんか僕らしくなくて嫌だな!!
「どうしたものかねえ、シラギくん……」
「私に聞かないでくださいよ……」
「子供の成長って早~い」
「本当に……。うちの子もだいぶ大きくなりましたしね、可愛いったら」
「おっと、唐突な惚気をぶち込んできたぞ、こいつ~」
シラギくんに尋ねたところで、まあ、僕がやるべきことは決まっているのだけれども。
お互い顔を見合わせて苦笑するしかない。
気を取り直して、僕は剣を振る。
とりあえず、この後、めちゃくちゃシラギくんと手合わせしてすっきりした。
* * *
カナメの作った朝ご飯は、相変わらず絶品だった。ハムとチーズのトースト、キノコのあんかけオムレツ、野菜たっぷりのトマトスープ、朝からちょっと幸せだ。
昨夜はパーティだったので、気取った品が出てきたけど、カナメの料理の本領はやっぱりこういった毎日のさりげないご飯だと思うんだよね。
「僕、ここんちに住みたい……」
「毎回そう言うのやめてくださいよ……公爵家のシェフたちが泣きますよ」
「あっちはあっちで、もちろん美味しいから悩ましいよね~。舌に馴染んだ味というか」
ちょっと遅めの朝食をいただいた後は、きっちりお仕事しないとね。
リアとステフの誕生日祝いもだけど、ユベールとオルクスでの薬の融通に関する話し合いをしなくちゃでね。【狂乱の魔女のダンジョン】を開いて以来、ポーションはどれだけあっても足りないくらいだ。
あと、先にお帰りになるシュヴァリエ家のシリウス様と、社交を少々……。ユベール繋がりで、あまり親交が深くなかったシュヴァリエとも交易ができて大助かりだよ。何せ、シュヴァリエの作る魔道具は一級品揃いだしね。
宰相家と、外部監査役も兼ねる暗部の家だ。昔からの8家でも、色々と思惑があるんですよ、これでも。
そんなこんなで、こう見えて僕もちょっとは忙しい身の上なんだよ。
「すんなりと交渉がうまくいってよかったですね、ディランダル様」
「うちの葡萄酒の効き目、何なんかな……」
「葡萄酒よりも、竜素材だと思いますよ」
「いーや、シリウス様は葡萄酒に目を光らせていたね。ユエル先輩が好きだった銘柄だもん……って、あれ……」
シリウス様との会談を終え、シラギくんと一緒に応接室からカナメの作業部屋へと移動している最中、たまたま中庭でディーアくんと、リアが隣り合って仲良く談笑している様子が二階の窓から伺えて。
それは、ごくごくありふれた光景でしかないのに。
もやっとした気持ちがまた浮上してきたのは何故なのか。
決して嫉妬心からくるものではない。僕はいくらでもそういった感情を見てきているから、体験はなくともわかった気ではいる。
「……うーん、やっぱり父性的な?」
「ディランダル様も往生際が悪い、とだけ……」
あと、シラギくんは何か言いたげな顔をしたまま、黙り込むのはやめなさい、もう。
あれだけの愛をたくさん注いでおきながら、恋にこだわるなんてと、この時シラギくんが呆れていたなんて僕は露知らず、窓の下をぼんやりと眺めていた。