124.冒険者と弟
無事父上から爵位譲渡を約束してもらえた俺は、そのままミスティオ侯爵家に厄介になっている。
使用人や料理人たちは、昔から仕えている者も多く、久しぶりの再会を泣いて喜ばれたりもした。
夕食に俺が昔好きだった料理を出してくるので、時間の流れを感じて苦笑してしまったよね。いや、もちろん嬉しいし、懐かしくなったけれど。
味覚の違いを実感して、俺も大人になったな……なんて内心でちょっとしんみりしたのは秘密だ。
カナメと魔女殿と囲む食卓や、酒場で一人での食事とはまた違う、血の繋がった家族としての団欒だ。父がいて、母がいて、弟妹がいて。こんな風に、すんなりミスティオ侯爵家の食事の場に混ざれるだなんて、昔からは考えられないほど夢みたいな感じだ。
まあ、カナメのことをうっきうきで根掘り葉掘り聞かれ、ミスティオ侯爵家一同で応援してくれる流れになるとは、露とも思わなかったが……。爵位なぞ、今すぐにでも喜んで渡したいとばかりの勢いだ。落ち着いて欲しい。
正直、こんなにノリの良い家族だったのかと、目から鱗だ。いや、愛の重い一族だからな……こと恋愛関係に関しては予定調和だったのかもしれない。
俺の私室も、ちゃんとそのまま残っていた。さすがに家具などは入れ替えられ、手は入っていたものの、俺の居場所を残しておいてくれたことに母の愛を感じる。多少家具のチョイスが女性向けかな……と思わなくもなかったが。
怒涛の一日を振り返りながら浸かっていた湯から上がり、就寝前の一息をついていると、こんこんとドアがノックされる。
ノックに応じれば、部屋に入ってきたのは、弟のシグムントだった。
彼はワインボトルを掲げて、にこりと笑った。
「兄上、よければ少し一緒に飲みませんか?」
弟からの酒のお誘いに、否やはない。
そのまま快く招き入れれば、シグムントが引き連れてきた侍従が、軽いつまみやらフルートグラスやらワインクーラーやらを、ちゃちゃっとセットしていく。
グラスに注がれた酒は、レイン侯爵領産のスパークリングワイン。おお、珍しいものを出してきたなと、ちょっとテンションが上がる。
細やかな泡がグラス内を美しく立ち上って、カナメが好きそうな酒だなんて思いながら、シグムントと乾杯する。
「ふう……初めて飲むが、しゅわしゅわとした喉越しが面白いな。少し甘めだが、旨い」
「最近の私とエルザの、とっておきのお気に入りなんですよ。兄上は辛いほうがお好みですか?」
「冒険者向けの酒場とかだと、こういった上品な酒はまず出ないからな……」
そのまま、ワクワクと好奇心を隠さない顔で、シグムントから冒険者時代の話をねだられ、とっておきのネタを話してやったりする。やっぱりシグムントも男だな、冒険譚は心躍るようだ。
ワインに合うチーズやブルスケッタ、ナッツをつまみながら、俺たちは数十年来に会う兄弟として、他愛のない穏やかな言葉を交わす。
「はぁ……。あんなに小さかったシグムントと、こうして酒を飲めるとはなあ。俺のこと、覚えてくれていたか?」
「兄上、爺臭いですよ……。記憶が鮮明かといわれるとそうでもないですが、遊んでくれた兄上がいつの間にかいなくなって、しばらく泣いていましたね。だから、兄上が帰ってきてくれて、本当に嬉しいんです」
「放蕩兄が、迷惑をかけたな」
シグムントは、俺の言い方にくすっと喉を鳴らして瞳を細めた。俺の帰還を心から歓迎してくれているのが伝わって、胸があたたかくなる。
「ただ……兄上は、本当に侯爵家を継ぐ気はないんですか?」
「シグムント?」
その柔らかな瞳が、次第に曇っていく。まっすぐだった視線が、ゆらりと不安に揺れる。
「いえ……今日の父上と兄上の戦いを見て、本当に凄くて……。私よりも兄上のほうが、やはり後継者に相応しいのではないかと」
「どうして、そんな風に自信がないんだ? 俺がいない間、勉強にも剣にもしっかりと励んで、家族を支えてくれたのは、紛れもなくお前だろうに」
表情を翳らせるばかりのシグムントに、俺は小首を傾げる。
俺だけじゃなく、聞かずとも家族全員、跡取りはシグムントの認識でいるだろう。
「私は、騎士団長の器ではないんです……」
かすかに震える声でそう呟いたシグムントは、グラスに残っていたワインを一気に煽った。
何故、わざわざ2人きりでの酒の席に誘ってきたのか。それは、酒の力を借りたかったからなのだろう。
果たして。一体何がそんなに引っかかっているのかと、全てを話すように俺は先を促した。
長らく離れていたとはいえ兄弟だ。こんな兄でも胸襟を開いてくれるのであれば、きちんと相談に乗ってやりたかった。
「私のスキルは、騎士向きじゃなくて、どちらかというと諜報向きなんです」
細かく話を聞けば、風属性の騎士クラスであるものの、シグムントに与えられたスキルは、鑑定、探知、危機察知、見切り、気配遮断、統率とのこと。
うーん。確かに、騎士にしてはちぐはぐな。これでは、シグムントが懊悩するのもわからないでもない。
どちらかといえば、ディランダル君からスカウトを受けそうなスキルセットだなと思った。
速度と偽装隠ぺい工作を得意とするディランダル君と、かなり似通っている。あちらのほうが、より裏の仕事に特化しているが。
でも、俺から言わせてもらうと、集団を指揮しその力をいかんなく発揮できるとされるレアスキル≪統率≫があるだけでも、シグムントは俺よりずっと騎士団長向きじゃないか?
そもそも俺はソロ活動が長いので、数人程度ならともかく、部隊クラスの集団行動には不向きだ。
実際、文武両道で頭のいいシグムントなら、情報戦とか仕掛けられそうだけど。
「いや、俺はそうは思わないな。父上と必ずしも同じスタイルなのが、騎士団長の正しい在り方ではない。シグムントはシグムントなりに、団長として団を仕切れると思うぞ。そういう俺だって、父上とはスタイルが真逆だ」
「でも、兄上は、父上に対抗できるほどに強いじゃないですか」
「上に立つ存在に必要なのは、必ずしも強さばかりではないんだけどな」
騎士団なんてもんは、比較的まとまりのある花形集団と言われているものの、蓋を開ければ力自慢や戦闘狂、下手をすると貴族のお飾りすらもいるような有象無象の寄せ集めだ。清廉な騎士らしい騎士なんて、どれだけ在籍していることか。
強さは、確かにわかりやすく騎士の指針になりやすい。
だが、そのトップたるもの、厄介ごとを取りまとめなきゃいけない。
単に父上は圧倒的な武力で、恐怖政治敷いているだけだぞ?要するに力技だ。
ただ、父上の存在が大きすぎるんだよな。血縁関係にあるから、余計に。憧れと嫉妬が同居する。
今が戦時だったら、父上は英雄とも呼ばれる存在だっただろう。
にしたって、シグムントの後ろ向き加減は、極端すぎるが。
父上の子なのだ、ポテンシャルは確実に高いはず。それを活かすも殺すも、自分次第というだけで。
父上との模擬戦の後、頼まれて軽くシグムントと手合わせした感じ、そこまで卑下するほどでもないと思うのだけど。
目もいいし素早い、俺の動きにもきっちりついてこられる。多少パワーに欠けるものの、頭を使って闘うタイプだ。絶対に指揮官向き。小細工が少々足りないが、その辺りは清濁と経験の差だろう。
シグムントに必要なのは、自信、ただそれだけだ。
「……強くなれれば、自信がつくか? なら、ちょうどいいな」
「え?」
シグムントが、ぱちりと目を瞬かせる。
「父上から子爵位を譲ってもらったが、それだとまだ少し足りない。だから、最短で爵位を上げるために、大きな功績が欲しい。そのためには、俺一人だけでは無理で、戦力が必要なんだ。協力してくれるなら、お前の心が負けないような強さを身につけられるよう、俺が指導する」
ちょうど俺が欲しかった人材として、最適な弟が手伝ってくれるなら望外だ。
さすがに、任務と書類仕事で忙殺されている某公爵家の次男を、おいそれと引っ張り出すわけにもいかない。借りを作るのも癪だし、彼並みのスキル持ちが、ひょいひょい転がっているわけもない。いや、実際目の前にいたわけだが。
戦果を上げるのに多少時間がかかるので、少々騎士団には迷惑をかけるものの、シグムントの成長ためとでも言えば、父上がどうにかしてくれるだろう。
職権乱用というなかれ、次期騎士団長の未来がかかっているのだ。
「どうだ、シグムント。兄の嫁取りに、力を貸してくれないか? 今の俺には、お前のそのスキルが喉から手が出るほど欲しい」
「私の……力が……」
はく、と呆然と息を呑んだ後、シグムントは一度瞑目してから、ゆるりと目を開いて、まっすぐ俺を見据えた。
腹を据えた、いい瞳をしていた。
――シグムントは知らない。
このあと連れていかれる場所が、現時点で最難関の【狂乱の魔女】のダンジョンだということも。
3人という若干常識外れなパーティーで、さくさくダンジョンを駆け抜ける羽目になることも。
ボス戦が、最強種たる属性違いの竜が揃い踏みすることも。
強制特訓すぎて、自分の戦闘スタイルがどうこうと悩んでいる暇などなくなることも。
そして、そのおかげで吹っ切れ、脳筋の多い騎士団において、将来的に智将と呼ばれるほどの存在になることも。
今のシグムントは、知らない。
誤字報告ありがとうございます…!