123.冒険者VS騎士団長
「ヒースクリフお兄様が、素敵なお兄様でよかった。ずっとお会いしてみたかったの」
訓練着に着替え、侯爵家にしつらえられている訓練場に向かう最中、妹のエルザにお噂はかねがねとばかりに声をかけられた。妹なのに、顔を合わせるのが初めてというのもおかしな話だが。
エルザは母によく似た、くるりと柔らかな赤毛に黄緑色の瞳を持つ少女だ。確か、17歳くらいになるのだったか?少々俺と歳が離れているので、不思議な感じがする。
彼女はにこっと人好きのする笑顔で、訓練場に行く俺の隣を陣取って、ちょこちょことついてくる。
お互いにぎこちなく様子を伺いながらも、話を交わし兄妹として打ち解けていく。これから話す機会に恵まれようとも、やはり兄としてのファーストインプレッションは大事だしね。
「……お父様ったら、本当にダメな人すぎだわ」
「時間が経過した今だからこそ、こうしてお互いの誤解が解けたとも言うよ。俺も少し頑なになっていたしね。今でも父上のことは尊敬しているし……まあ格好良かったイメージは、かなり崩れてしまったけど」
「ふふっ。お父様の格好良さなんて、見せかけだわ。本当ヘタレだし、お母様を褒めること以外は口下手だし、冷酷な騎士団長なんて言われてるのに家族以外興味ないし」
ぶうと、エルザは頬を膨らませる。
家族以外というか、母上以外というか。
俺は苦笑した。女の子は強いな、あの父上を、ヘタレだなんて一言で評せるんだから。
「ちゃーんと家族に、お兄様も含まれているんですからね?」
「うん。わかっているよ。ありがとう、エルザ。君みたいな優しい子が、俺の妹で幸せだ」
「私も! お兄様が綺麗で、冒険者としても一流で、お友達に自慢しちゃうわ」
「綺麗……そんなに褒められたら、シグムントに妬かれてしまいそうだ」
「あら、シグお兄様だって、とっても私を可愛がってくれて、情深く格好いいのよ?」
「だろうね」
年頃の女の子に大丈夫かなと思いつつ、手を伸ばして頭を撫でてみると、ふふっとエルザは気持ちよさそうな顔で笑ってくれた。
ああ、なんかいいな、こういうさりげないやり取り。
俺たち家族の歪んでしまった関係は、少しずつでも修復して取り戻していける。そんな嬉しい予感が、胸を占めた。
「それにしても、お兄様が大切な女性のためにお父様と決闘するだなんて、まるで物語みたい!」
「決闘……」
……とはまた違うんじゃないかなあと思いつつ、指を胸の前で組んで目をキラキラと輝かせ陶然としているエルザに水を差すのも悪くて、俺は口をつぐんだ。
「お兄様と結婚したら、その『界渡人』の方は私のお義姉様になるってことでしょう!? うふふ、楽しみだわ。お兄様、絶対にお父様をコテンパンにしてやってくださいましね。愛の力ですわ!」
気が早すぎでは!?
エルザがぐっと握りこぶしを作って、俺を応援してくれる。おしとやかな少女だと思っていたが、こういう血気盛んなところを見ると、武の家系たるうちの子だなあって実感する。
愛の力が優勢になるかはともかく、父上には全力を出しても五分五分がいいところか。人類最強とまでも言われる現役騎士団長は、伊達ではない。
「そうだね、俺も精一杯頑張るよ」
* * *
「模擬剣による1本先取勝負。魔法の利用も可とします。では、結界、最強設定にて展開」
シグムントが手元の制御機に魔力を流すと、ヴォン……と、訓練場に設置されている魔道具が起動し、四方に結界が張られた。魔法による破壊の影響が出ないようにするためだろうが、俺がいたころにはなかった設備だ。
だがまあ、これで遠慮なく本気を出しやすい。何せ、手を抜いて勝てる相手ではないのだし。
訓練場には、騎士団長のお出ましとばかりに、部下たちがひしめいて見学をしている。多少俺の名も知られているのか、特級冒険者の声もちらほらと聞こえる。
この対決のジャッジは、シグムントだ。
彼から渡された剣は、騎士団の訓練で使用されている刃を潰した模擬剣。とはいえ、当然だが当たれば普通に痛い。
ひゅんと一度剣を振る。普段使いの剣とは重さが違うので多少違和感があるが、調整をしていけば大丈夫か。
十二分に距離を取り、俺と父上は互いに剣を構える。
50になろうとしているのに、歳を感じさせない父上からは既に強者のオーラが出ていて、その立ち姿からほとばしる闘気だけで、立てなくなる者もいるだろう。
ああ、今俺は、幼い頃に絶対勝てないと、その強さに憧れた父上と、対峙している。
「始めっ」
シグムントが頭上に挙げていた手を振り下ろすと同時に、俺は仕掛けた。事前詠唱していた風の魔法を展開。
「――≪舞風≫」
背に風を受け、推進力を利用して俺は父上の懐に飛び込む。
取ったと思いきや、俺の剣はがんっという衝撃とともに、軽々受け止められた。ぐっと押し込むが、びくともしない。
「ふむ、いい攻撃だ」
にっと父上が口角を上げる。
「だが、軽いな」
ぐぐっと父上の腕がしなる。こちらもあらかじめ魔法を展開していたのか、剣に風の魔法がのっている。その勢いに任せ、父上の剣が力任せに振られた。俺のバランスを崩して来る。ぎぎぎ、と剣が不協和音を奏でた。
(優男の見た目のくせに、こっの、馬鹿力め!)
俺は内心で毒づく。
あえなく押し切られた俺は、体幹を駆使し、すぐさま追撃がかかった父上の剣の軌道から逃れた。ブンと物凄い音と風圧が、俺の頭上を掠める。重いのに速いときたもんだ。厄介なことこの上ない。
「速さの戦いをするのは、我が弟の専売特許かと思っていたがな」
「あいにくと、父上のようにパワーで攻められなかったもので」
「だが、良い剣だ。強くなったなあ、ヒースクリフ」
「父上の背を、ずっと見ていましたから」
魔法の扱いがそこまで得意でない父上は、剣に風をまとわせ、真正面から力で薙ぎ払うタイプ。
対する俺は、増えた魔力と風の魔法を利用して、技術や速度で翻弄していくタイプ。
剛と技。全く異なる戦闘スタイルだ。
一合、二合、三合。
会話の間にも、切り結びが重なる。父上の剣は一撃が凄く重くて、ビリビリと振動が伝わってくる。
魔法を放ったとて、父上に綺麗に相殺される。
てか、風の魔法を剣圧だけで跳ね飛ばすって、意味が分からん。≪風刃≫なんて、綺麗に剣で割られた。魔法に物理効くんか!?と呆気に取られて、隙をつかれたくらいだ。
いいかカナメ、本当の人間離れっていうのはこういう人のことを言うんだぞ。
俺の攻勢を、父は余裕でいなしていく。
ガンガンガンと、刃が激しく合わさっては離れる。父上の攻撃を紙一重で交わし、その隙に薙いだ剣は、たやすく受け止められる。
風の魔法の補助もあり、四方八方から仕掛ける俺のスピードはとんでもないはずなのだが、父はきちんと合わせて対処してくる。
それが、悔しくもあり、嬉しくもあり。
……ああ、楽しい、不謹慎だがこの上もなく楽しい。
こんなにも強い相手と、刃を交わせるだなんて。
ぞくぞくぞくと、先ほどから快感にも似た武者震いが背中に走っている。じりじりと高揚感が脳を焼く。
俺の火のついた闘争心に、父も煽られたのだろう。くっと笑みを見せる。
はたから見たら、互いにただの戦闘狂でしかない。でも、それでこそミスティオ。武官の家系だ。
一旦間合いを取り、俺は細く息を吐いた。
愉しい時間も、いずれ終わりが訪れなければならない。
胸を借りるつもりで、俺は父上を見据える。父上も、余裕を消し、真剣な表情で改めて剣を構えた。
仕掛けたのは俺から。
馬鹿正直に父上の懐目指して、加速する。
父上の剣が、光の如き速さで振りかぶられる。
「とった! ……っ!? ぐ……!」
が、その剣は届かない。
確かに、俺をきっちり捕えていたはずの剣は、中空を空振った。
父が驚愕に見せた一瞬の隙をつき、俺はその胴へと渾身の一撃を叩き込み、父がその場に跪いた。
「勝負あり!」
わああああ、と周囲の見物人たちから、歓声と動揺の混じった声が上がる。
いやはや、まさかの奥の手を、そうそうに開示しなければならなくなるとは……流石だ。
先ほどのは、カナメの≪迷彩≫の魔法を見て、同じことを風の魔法できないかと四苦八苦して、カナメにも原理を聞きつつ、どうにか再現できた魔法だ。
ほんのわずかだけだが、空気で光の屈折を少し歪めて、目測を誤らせるための奇襲戦法。
だが、その一瞬の隙が、俺には重要だった。
「この勝負、兄上の……」
「いや、悔しいが引き分けだ、シグムント」
「え……? あ……」
シグムントが怪訝そうに首を傾げるが、はっと目を見開いた。
俺の模擬剣が、ぱきんと中央から折れていた。父との剣戟の激しさに、耐えきれなかったのだ。これではもう戦えない。
俺ははーっと息をつく。一瞬たりとも気の抜けない闘いだったが、なんだかとてもすがすがしい気分だった。
「まさか、私に膝をつかせるとは……いい闘いだった、ヒースクリフ」
「父上……」
立ち上がり、砂を払った父上が、俺の目の前に立って笑う。そうして、ぽんっと頭を撫でてくれた。
剣の稽古をつけてくれていた頃、頑張ったなと父上がよくしてくれた仕草。
たった、それだけ。
たったそれだけで、幼い頃の俺が、報われたような気になったのだ。