122.冒険者は和解する・2
「そもそも、この人が拗らせたのが発端なのよね……」
じっと頭を下げ続ける父に対して、ペチペチをやめ頬に手を当てた母が、やれやれとばかりにため息をついた。
倒れて魔力の枯渇を何度も繰り返した結果、母上は身体に影響が出てしまい、長期間療養生活を送らざるを得なくなったらしい。
父は父で、愛する母上が倒れて動揺し、メンタルがヤバくなった。
息子にあのような態度をとるのは良くないと理性ではわかっていたものの、酷く衰弱した母を見て、感情が凌駕した。片時も離さず母上を優先し、これ以上の危害を加えられないよう囲ったのだ。
まるで手負の獣のようだったとは、ヨアンの言である。
そんなわけで、母も思うように身動きが取れないまま、長男1人が家族から取り残されている事態に陥っているだなんて知ったのは、別居生活からおよそ1年後。
まさか長男だけを隔離して、別館で生活を送っているとはつゆとも思わず、母も抗議を繰り返していたが、父は断固として受け入れなかった。何が原因で母が倒れるのか、確証が得られなかったからだ。
「ヒース、お前のことも可愛いと思っているが、父さんはそれ以上にエリーゼを愛しているだけなんだ」
面を上げた父上が、きりりと表情を引き締めて格好良さげに言う。
ブレなさすぎでは……?
父以外の家族が、全員ドン引きしてるけど。
少しくらい申し訳なさそうな顔をしてもいいものではとも思うが、どちらかしか手を取れないなら、父上は息子よりも母上を選ぶ。
俺自身もミスティオの血を感じてしまった今、少しだけ父上の気持ちはわかる気がするのが嫌だ。
今言うことじゃないって、母上に扇で颯爽と殴られていたが。
力強く頼もしく格好よく、憧れていた父親のイメージがガラガラと崩れていく。
母上も母上で父上を雑に扱っており、嫋やかで儚い女性だった記憶が薄れていく。
(び、美化ってやつかなあ……)
シグムントとエルザにちらりと視線をやると、いつものこととばかりに首を振られたので、ちょっとだけ遠い目をしてしまった。
で、だ。俺と離れたことでどうにか母が回復し、少し気持ちが落ち着いた頃には、父上はもう俺に対してどう接していいかがわからなくなってしまった。
母上との間にできた最愛の息子であるのに、最愛の妻を害する可能性のある者。その二律背反に、父上は至極葛藤した。
ただでさえ口下手なのに、がんじがらめになってしまい、ますます頑なになってしまったのだとか。
加えて、俺も父上に愛されていないと拗らせ、よそよそしくした結果、ついぞ父子できちんと会話をする機会が取れなかった。
とりあえず俺は本館で使用人たちに良くしてもらっているからと、母も母で、囲われている現状をどうにか打開する方向に意識を割いてしまい、俺の心情に対して細やかな配慮ができなかったことを、反省していたらしい。
こういうところが貴族だなと、平民暮らしをしていたからこそわかるので、俺も少々苦笑気味だ。
その間にエルザを妊娠して再度体調を崩したりと、母上にも心の余裕がなかった。間が悪すぎる。
しかしながら、俺が家族団欒だと思っていた別館からかすかに流れてくる声が、実は夫婦喧嘩の騒音だったとは誰が思うだろうか。
嘘だろう……。
や、よくよく考えれば、外に響くほどの声の団欒ってなんだ?って話だよな。思い込みって恐い。
そんな感じで誤解もありつつ、俺が学校から出奔。
知らせを受けた父は、騎士団長室で「私のせいだ」と涙ながらに崩れ落ちたらしい。騎士団、慌てただろうな……。
侯爵家の力で捜索は容易なものの、今更追いかけても更にこんがらがるだけではないのか、このような父親のそばに置いていいものか、そっとしておいてあげたほうがヒースのためになるのではないかという母の気持ちを汲んで、俺はそのまま見守られていたのだそうだ。
困った事態に陥っていたら、こっそり手を貸してあげるつもりで。
ただ、良い師匠に出会えて俺は、順調に冒険者としての実績を積んでいったから、さほど出番はなかったそうなのだが。
「引き止められなかったのは、てっきりいらないという意味なのかと……見守られていたとは……」
「あああああああ……誤解が……!」
時々、俺の活躍を報告させては、家族で話題にしては父上がしょんぼりしていたというのだから、俺が頭を抱えたのも無理はないだろう。
俺だけじゃなく、みんな頭を抱えていたけど。
「自分の息子に対して、何をやっているのかしらね、本当に」
「面目次第もない……」
「控えめに言ってもクズだわ」
「ううう、エル……」
父上が肩を落としながら、あたらめて頭を下げた。
ぼそりと呟かれた、エルザの容赦ない言葉がぐっさりと刺さったようで、父上はうっと胸を押さえている。
エルザはつーんとそっぽを向いている。ちょうど思春期か。エルザは顔立ちが母上によく似ているから、ダメージも大きいのかもしれない。
「……許してくれとも言わないし、言えない。ただ、今更伝えたところで真実味も何もないかもしれないが、ヒースクリフ、お前のことは大事な息子だと思っている」
父の瞳を真正面からしっかりと見つめる。その真剣な眼差しに、一切の嘘は含まれていない。
はたから見たらただのクズだけれども、自分にとって正真正銘の父で、その背中に憧れた人だ。ただ、母が好きすぎただけの、残念な人でもあるのだけど。
「……俺を、愛していないわけではないのですね」
「ああ、それは当然。エリーゼとの間にできた子を、愛さないわけがないだろう」
ここでもブレずに母への愛を前面に出すあたり、仕様がない人だ。
男親は面倒くさいと以前カナメに言われたが、蓋を開けてみれば本当にびっくりするくらい面倒な人だった。
俺はソファに体重を預けて、身体の力を抜く。可笑しな気分になってくる。
今こうして十数年に渡るわだかまりを、そんなものだったのかと笑えるようになったのも。
全部全部、カナメのおかげだ。
「いえ、俺にもやはり問題があったのです。だから、母上が無事でよかったと。あの時、俺が家を離れたのは、間違いではなかった。今だから言えることですが。カナメ……俺の症状を見抜いてくれた付与調律師の方が言うには、俺は母上と魔力の相性がよく、吸収・放出する体質だったようで……。もちろん、今は治療してもらい、母上の魔力を勝手に吸い上げることはないので、安心してください」
「私のことより、貴方の体調には影響ないのね?」
「はい。すこぶる元気です」
「ならよかったわ。付与調律師の方って、ヒースが保護していたという『界渡人』のお方でしょう? 噂程度だけど、存じ上げているわ」
「そうです。思いやりがあって、優しい女性です」
「まあまあ! 素敵な方に出会えたのね」
母上が、嬉しげにぽんと両手を合わせる。
ちょっと労働に対する意欲がありすぎるけれどという言葉は、余計な情報だと思って避けた。
「……その、『界渡人』のことが、今回俺が恥を忍んででも侯爵家に戻った契機です」
「恥を忍んでだなんて……。ここは貴方の家なのだから、いつだって戻ってきてくれていいのよ」
「エリーゼの言う通りだ。何があっても、お前はミスティオ侯爵家の嫡男だ」
「ありがとうございます、父上、母上。出奔で、既に除籍されているかと思っていたのですが、まだ籍があると小耳に挟み、正直驚いたものです」
「除籍なんて、するわけないだろう!」
「いえ、今ならばわかります。まだ家との繋がりがあったのだと知って、戸惑いとともに、嬉しいと思いました」
俺は居住まいを正し、背を伸ばした。そうして、俺の隣に座るシグムントを見る。
俺の記憶の弟は、まだ幼児で、よたよたと歩いている子だった。
それがこんなにも立派に、大きくなった。嫡男が勝手にいなくなった騎士団長家の侯爵家を支えるのは、さぞかしプレッシャーも大きかったことだろう。
「ただ、長らく出奔していた俺は、この家を継ごうなどとは全く思っていません。この家を継ぐのは、ずっと支えてきたシグムントがふさわしいでしょう」
「兄上!?」
シグムントが、目を丸くしている。いや、何故そこで驚愕するのかが、俺にはわからないのだが。
俺は父上にーーミスティオ侯爵家現当主に向けて、深々と頭を下げた。
「それでも、俺には力が必要なんです。大切な人を……カナメを、守れるだけの力が。だから、お願いです。長く家を離れていた俺が、こんなことを言うのは虫のいい話だとわかってはいますが、俺にこの家の持つ爵位を一つ、わけていただけないでしょうか」
そう。これが俺がずっと躊躇して切れずにいた、俺の虎の子のカード。
カナメを守るために、俺に足りないもの、それは身分だ。
一度は身分を捨てた俺だが、カナメを守るためなら、何だってしてやる。
悔しいが、いつぞやディラン君の言っていた通りだ。利用できるものは、なりふり構わず全て利用する。
「カナメ……というのが、お前の愛する女性なのか?」
「はい。そうです。俺を救ってくれた大切な人です」
「『界渡人』なら、お前でなくとも、もっと有力な家がバックにつくだろう。オルクスにシュヴァリエ、王家にも伝手があると聞いているが、それでもか?」
「はい。俺の手で守りたいのです」
「ふむ……」
顔を上げ、父上の闘気を含んだ眼差しを、俺は正面から受け止める。凄いプレッシャーだ。さすが現役騎士団長。ただものじゃない。
クズいし、倫理観どうなっているんだと思うし、母上に対してだけ愛情が激重すぎる父上だが、それでも俺がこの圧倒的な強さに憧れを抱いた男だ。ぶるりと、肌が武者震いする。
俺も負けじと、挑むように父上と瞳を合わせた。俺と同じ翡翠色をした瞳。ああ、どちらかというと俺は母上似なのに、こんなところは父上にそっくりで、嬉しいような悲しいような。
俺たちの緊張感を孕んだやり取りの傍ら、母上とエルザが爛々と目を輝かせている。
気にしないでいようと思うものの、目に入るので気になってしまうんだが……。うん、女性はこういう話好きだものな。
「……お前もやはり、ミスティオの男なのだな」
「不本意ながら」
フ、と父上が笑う。
正直なところ、俺もこんなところで家の血筋を感じたくなかったよ……。
こうなってくると、シグムントも似たり寄ったりなのかなという気がしないでもない。
「いいだろう。ただし、我が家は騎士の家系。爵位が欲しくば、お前の実力を示して見せろ」
うっそりと口角を上げた父上は、まさしく騎士の筆頭であり、武官の家系の当主たる男の姿をしていた。
ヒース父は、エリーゼ(母)かそれ以外か、という判断をするヤンデレです。子供はエリーゼの血が流れているからという理由で大事です。クズにしかならなくて困りました……が、ヒースもわかる…となってしまったので血筋です。