113.元社畜は闇の女神に会う
ぱあっと広がった眩い光に眇めた瞳を開くと、私の目の前にはいつの間にか一人の少女が立っていた。
年の頃は、高校生くらいだろうか。長い黒髪に紫の瞳、黒のすとんとしたノースリーブワンピースをまとった美少女だ。猫の子みたいにつり上がった瞳が勝気さを感じさせ、ぷくりとどこか不服気に膨れている頬があどけなさを演出する。
って、誰だこの子。
私は、目を擦りながらきょろきょろとあたりを見回した。目の錯覚でもなんでもなく、祈りの間らしき場所は真っ白な謎空間に変貌し、一体ここはどこ状態になってしまった。
あと、さっきの声は誰だと思っていたら、私をじっと凝視していた少女が唇を開いた。
「もう、カナメがここまでのんびり屋さんだとは思わなかったわ……」
あ。あの声は、この少女から発せられたのか。
言葉に混ざるのは、呆れと溜息。でも、その眼差しには、しゃーないなー的な慈愛が見え隠れする。しかも、私の名前を知っている……だと!?
私は、恐る恐る尋ねた。
「ええっと、どちら様でしょう……?」
もしかしてもしかするともしかする!?
私の問いかけに、きょとんと目を瞬かせた少女は、にまっと愉しげに笑った。
「私は闇の女神、ノクリスよ。2度目まして、私の愛し子」
ぴゃあああああ、やっぱり!
てか、なんで女神様きちゃってるのおおお!?
私の内心の悲鳴など知って知らずか、闇の女神ノクリス様は、ドヤっと胸を張った。
2度目ましてってことは、私が転移したときに会った影は、予想通りノクリス様ってことかな?
「そうよ。ここは私の神域。もう、貴女がこっちにきてから、どれだけ経ってると思って? 一体いつ神殿に挨拶に来るかと思いきや、全然来ないのだもの! 待ちくたびれちゃったわ」
うおう、内心を読まれた?凄いタイミングで同意が返ってきたぞ。
「とはいいますがノクリス様、私が墜とされた地域だと、近隣に闇の女神の神殿がなくてですね」
「わかってるわよぉ! ぼやきよ、ぼやき」
ぷんぷんとわざとらしく頬を膨らませて胸の前で腕を組み、ノクリス様は不服を露わにした。美麗なかんばせが、途端に子供っぽくなって、可愛い。
闇の神殿まで遠かったから、物理的に行けなかったのもあるけれど、こうやってノクリス様が降臨してくるつもり満々だったとは、いくら私が多少ラノベ知識があるにしたって、さすがに想像できないよなあ。
第一、本当にあの時の影が、ノクリス様だったのかすら怪しかったし。
「だって、あそこに墜っことすのが、ベストだったのですもの。カナメにとっても、リオナにとっても」
「……そう、ですね。ノクリス様、ありがとうございます」
少しだけふっと切なそうに表情を緩めた彼女に、私は深々と頭を下げた。
別れは、いつか訪れる。人はいずれ土に還る。それは自然の、人の世の摂理だ。
長い長いの生で、たくさんの人を見送ってきたリオナさん。どんな思いだっただろうか。
リオナさんがいなくなってしまったのは、心から哀しかった。でも、それ以上に楽しかったし、あたたかかった。忘れられない、忘れない、優しい日々だった。
それが、私にとっての全てでいいんだ。大事なものは、私の胸の中にある。
「まさかこんな形で、疲れ果ててた社畜のちょっとした願いが叶うとは思いもよらなかったのですが、おかげで私はこの世界が大好きになりましたし、大切な人たちと出会えたし、転移してよかったなあって思っています」
「礼を言うのは、こちらのほうよ。どう転ぶかは、最後までわからなかったもの」
ノクリス様は、ゆるりと首を振った。
「私たちも、貴女のおかげで、世界の狭間に囚われた魔女の一人を救うことができたし。優しい貴女に辛い役目を負わせてしまうことになって、申し訳なかったけれども。人の理が介入してこちらに召喚された魔女の存在は、これ以上神々には手が出せなかったからね……」
苦々しげな言葉が、吐息とともに吐き出される。どうやら、神様にも制約があれこれあるらしい。
「だけど、貴女が『マリステラ』に来てよかったと言ってくれて、肩の荷が下りたわ。これで私もお役御免ね」
やれやれとばかりに、ノクリス様は肩を竦めた。
んんん?
その発言は、一体どういった心境から?
私の異世界転移は、もしかしてノクリス様の意志ではなかった、とか?
「……ていうか、改めておうかがいするんですけど、どうして私がここに転移することになったんですか?」
正直、女神様に加護やらチートやらを無条件に授けてもらえるほど、何かをなしたという記憶もない。
よくあるラノベみたく、トラ転っていうわけでもない。人助けも犬猫助けもしていない。
ただただ、遠くにいって癒されたいってぼやいただけだ。
ノクリス様は、ふふっと鈴を転がすような声で笑った。
「そうねえ、ぶっちゃけると、貴女の母親のお願いよ」
「母の、」
女神様の唇から唐突に出てきた単語に、私は一瞬言葉を失う。
いや、でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけ可能性があるかもっていうのは、理解していた。
「……それは、シュヴァリエ侯爵家の初代の方と、関係がありますか?」
私が、こうして闇の神殿に足を運んだ目的の一つ。
シュヴァリエ侯爵家に引き取られて、改めて案内された邸内で見つけた、歴代当主の肖像画。
――その一番最初に、私の母そっくりな人が描かれていた。
思わず二度見した。
いつぞや、シリウスさんが私を見て、どこか怪訝な様子になったのもそのせいだ。
そりゃあ、見たことあるような顔だろう。私は母に似ているから。
「そうね。シュヴァリエ侯爵家の初代は、勇者と聖女と共に戦った大魔法士と呼ばれているわ。……私が初めて創った、たった1人の可愛い子よ。貴女たちの世界でいうところの、ホムンクルス的な存在ね」
私は、こくんと頷いた。
シュヴァリエ侯爵家に来てくれる家庭教師の先生に、国の起こりに関わる一連の歴史は、しっかり講義された。
一応、侯爵家の娘になるので、最低限の勉強を施されている真っ最中だ。マナーとダンスが一番大変だ。って、それは置いておくとして。
アイオン王国の成り立ち、現在まで血脈を繋ぐ始まりの8家は、勇者と聖女、その仲間たちを祖とする。
その一角にいるのが、闇を主軸に複数の魔法を使う女神の使徒。寡黙な少女魔法士だ。
「カナメ、貴女の母親はね、その初代の生まれ変わりなの」
「はい!?」
いや、女神様まで降臨したのだ。こうなったら何が来てもおかしくないなと、心の準備だけはしていたつもりだったけれども、想像よりも突拍子もない話が出てきたな。思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。
「私の可愛い子の初めてできた娘なんだもの、愛し子の加護くらい与えちゃうわよ!」
ちょっと待って、情報量が多すぎるんですけど!?
ノクリス様、めっちゃ浮かれてるし。しかも、おばあちゃん気分的なこと言ってるし。ううん、母を生み出したのがノクリス様なら、確かに私は孫になるのか???
兎にも角にも、一体どういうことだって、膝を突き合わせながらノクリス様に経緯を聞くことにした。
かいつまんで言うと、恋情に憧れを抱いた少女の話だ。
人の腹を介さず、勇者を手助けする存在として、女神より生み出されたホムンクルスの少女は、感情を欠落していた。
勇者一行の仲間として旅をし、人との交流をした結果、少女は人と感情に興味を抱き、人として生きていくことを望んだ。そのまま、闇の女神の眷属として、神の末席に加わることもできたというのに、だ。
ただ、元々はホムンクルスのため、その生涯は短命。
自らの手で生み出した命を愛しく思ったノクリス様は、彼女の魂を手元に戻して癒しては、転生をさせていたみたい。
ちなみに、シュヴァリエの家を起こす際は、自らの肉体の一部と魔法を使って、後継者を作ったという経緯があるらしい。いやいや、それ禁呪的なあれそれじゃないのかなってツッコんだら、ノクリス様はにこっと笑っただけだった。いいのか。
そうして、何度となく転生を繰り返し、少しずつ感情を理解していった少女は初めて、恋をして結婚をしてみたいと願ったそうな。
ノクリス様は、それを嬉々として受諾した。あの子がここまで感受性が育って……と、母性が湧いたらしい。
ただ、ノクリス様のおっとうっかり手が滑った的な手違いが発生。記憶を継承しないまま、マリステラではなくマリステラと続く世界である地球に転生し、少女は私の母として生まれ変わったのが、要するに事の発端だ。
母自身、私からするとだいぶクズい父との生活には、満足して命を落としたらしい。どこかのんびりおっとりした人だったし、父とも関係が悪いわけじゃなかったからね。父のありえなさに反発していたのは私だし、感受性がズレているのであればなるほど、となる。
ただ、唯一、私のことだけは心から心配をしていたらしい。何せ幾度とない転生生活の中で、初めて産んだ子だったからね。
そうして彼女は次に転生する前に、女神に願ったのだ。「私の唯一の子が、今の生活を辛いと感じたら、どうか手助けしてやってください」と。
いや、確かに、それなりに苦境を感じてはいましたけどね!?
よもや「どこか遠くへ行きたいな」の一言が、キーになるとは思わないじゃないです!?
でもまあ、母が闇の女神の眷属だったなら、闇の女神の加護が授けられたのも腑に落ちた。
純粋に地球の人の身に転生したから、魔法も何も使えなかったようだけど。
「あの子はね、不慮の事故で私の手元に戻って離れていくまでずっと、貴女の幸せだけを願っていた。苦労をかけてしまったと、しょんぼりしていたの」
「それで私だったわけですね……。はあ、転移の経緯がわかって、すっきりしました」
いや、なんか、凄い壮大なことになっていたんだな、うちのお母さん。
お母さんらしいといえばそうなんだけど……。
「……だから問うわ。ねえ、カナメ。貴女は今、幸せかしら?」
女神様の優しい眼差しが、私を貫く。
自然、心からの笑みが浮んだ。
それが、答えだ。
蛇足的な話かなと思いますが、一応伏線回収ということで。