110.元社畜と別れ・1
――リオナさんは、どんな状況でもリオナさんだった。
へろへろ~ってなりながら、すっかり陽ものぼったお昼直前くらいに、のんびり階下に降りてくる。昨日あんなにシリアスな話をした直後なのに、マイペースに惰眠を貪っていた。
「……んま! 要ったら、すっごい顔してる!」
そうして、睡眠不足でむくみとクマの酷い泣きはらした私の顔を、ぺちりと両手で挟んだ。いや、誰のせいだと。
私とは対照的に、リオナさんは睡眠ばっちり取りました~って、すっきりした顔をしている。
いや、もう、毒気抜かれる……。
「もう、別に昨日の今日で、いきなり殺せとは言ってないんだから」
「……それはそうですけど」
「まあ、3日後くらいに、ちゃちゃっと殺してくれるとありがたいけど」
「早っ! せめて1年後とかぁ……」
「長っ! せいぜい10日とかでしょ、この流れ」
コントかと。
甘える私に、リオナさんは困ったようにけらけらと笑った。
窓から心地よい風が抜けてくる。2人きりの空間は、静かで暖かい。
私のメンタル面を心配したヒースさんは、まだ滞在してくれている。ただ、自分がいても仕方がないしと、今はヴェルガーの森の奥へと討伐に出かけている。「俺も、腹をくくらないとね……」と呟いて。多分、気をきかせてくれたんだと思う。
「……リオナさんは、どうしてそんなにいつも通りでいられるんですか」
私の気持ちなんてどうでもいいんだと、拗ねた気持ちになっていると、それを見透かしたのか、むくれる私の頬をむにゅっと潰した。ああっ、変な顔してるぞ、私!
しばらくうりうりと頬を弄ばれてから、リオナさんは微笑んだ。眼鏡の奥の眼差しが、優しい。
「要とヒースだからねえ」
「え……?」
「私の最後を、覚えていてくれる家族が」
「か、ぞく」
「まあ、ヒースが家族かって言われると、ちょっとだけうーんってなるけど? だけど、これだけ一緒にいて、仲間外れにしたら可哀想だし?」
リオナさんが、茶目っ気たっぷりに喉を鳴らす。
ああ、私がこんな人たちが家族だといいなあって勝手に自分が思っていたのを、リオナさんもちゃんと感じていてくれたんだ。
「……本当なら、情を交わさず、ここで生きる手段の1つとして薬の手法を教えて、さくっと殺してもらえばそれでよかったし、早くマグのところに逝きたかった。最初はそのつもりだったのだけど……アンタ、ちょっとだけマグに似てるんだもの。なーんか絆されちゃって、結局ずるずるここまで来ちゃったわ」
ううん、情を交わさないだなんて、そんなの絶対無理だよ。
だって、リオナさん、お人好しじゃん。
きっと、墜ちてきたのが私じゃなくても、見捨てられなかっただろう。
「でも、アンタたちが泣いてくれた、惜しんでくれた、私とマグがここに在った証を継いでくれた。……だから、魔女としての義務的な死じゃなく、リオナとして幸せな気持ちで最後を迎えられるのが、嬉しいのよ。私の我儘ね」
リオナさんの笑顔から伝わってくるのは、ただただ感謝と幸せな感情だけで。
それ故に、私にはもう何も言えなかった。
……このまま、リオナさんが私に還されなかったら、きっと私の次の『界渡人』がくるまで、再び途方もない年月を独りで過ごすのかもしれない。マグノリアさんを想って。
そんな酷なことを、家族にさせられないなあ、と思った。
私は、ふうと詰めていた息を吐いた。肩の力が抜ける。
……心は決まった。
リオナさんをじっと見つめる。それで、リオナさんも私が腹を括ったことを理解したのだろう。
「そうね、もし私の死に意味を与えてくれるなら、7日後がいいわ。そこがマグの命日なの」
「……わかりました」
「ありがとう。そして、こんな役目を負わせてしまってごめんなさい。だけど、私の元に来てくれた慈悲の刃が、要でよかった」
「……私も、リオナさんのところに墜ちてきて、よかったです」
ぎゅうとリオナさんに抱きしめられる。服に染み込んだ、慣れた薬草の匂いと、伝わるぬくもりにほっとする。
保護者であり、姉であり、友であり、師である人。
そんな大切な人との別れは、胸が張り裂けそうなくらい辛いけれども。
――それでも、きっと哀しいだけの別れじゃないから。
* * *
それからの7日間。
最後に、リオナさんとたくさん色々な思い出を作ろうって思ったのに、リオナさんは変わらずマイペース。いつも通りでいいでしょ~って動きやしない。
ピクニックとか面倒くさいし、どっかに外出も外食も面倒くさい、何もかもが面倒くさい、ゴロゴロしていたいっていわれて、私とヒースさんは目を合わせて苦笑するほかなかった。
「アンタたちとの思い出なら、今まででいっぱい作ってきたじゃない。私の胸にきちんと残っているわけ」
だってさ。
そうだね、思い出なんて、無理やり作るものじゃないよね。
だから、普段のまま薬の作り方を教わって、散歩したり畑仕事をしたり読書したりとのんびりして、ヒースさんの豪華戦利品で賑やかに食卓を囲んで。
――何の変哲もない日常の7日間だった。
ただ3人で過ごした。でも、リオナさんにとって、それが一番良かったみたい。
そうしてやってきた最後の日。
リオナさんは、やっぱり寝起きでよれよれな姿のまま、昼に顔を出してきた。
最後まで締まらなかったから、私とヒースさんは笑ってしまった。
「あら、お昼はポトフとパンケーキ? 要が最初に作ってくれた組み合わせの料理ね」
「はい。バントリーにろくすっぽ食材ないし、キッチンは魔境だし、本当にこれで生きてたの!?ってびっくりした曰く付きのやつです」
「ああ、俺が少し片づけた後だったから、ちょっとだけマシになってたときの……」
「ちょっとぉ、そういう黒歴史は言わなくていいの!」
わはは、と食卓に笑いが広がる。
あの時は、もうなけなしのしおしおのソーセージから出汁をとったり、腕力を駆使してメレンゲ作ったりしてして大変だったよね。
今はもっと美味しいポトフとパンケーキを作れているはずだ。
リオナさんが、スプーンでポトフを掬う。野菜と肉から出た出汁のきいたスープ、ほくほくのお野菜を一緒に、大口開けてぱくり。
しみじみ味わってから、ゆるりと目尻が下がった。
「美味しい。やっぱり要のスープは最高」
リオナさんが、もりもりと食事を進めてくれている。
うん、それって一等賞の賛辞だね。
お腹を充分に満たした後、リオナさんは畑に出向いてお花をたくさん摘んだ。普段の比じゃないくらい、花束になるくらいに。
毎月、花を摘んでどこかに行っていたのは、マグノリアさんの月命日だったらしい。
白いお花を中心にしているものの、ピンク、黄色、オレンジとカラフルな花束。しんみりと悼む花じゃなく、もっと前向きな想いの籠ったお花なんじゃないかな。
3人で森の奥までてくてく歩く。ここも毎日、歩いたりランニングしたりで踏み固められて、すっかり道ができた。
やがて、たどり着いた湖には、相も変わらず中央の離れ小島に幻想樹が咲き乱れている。
≪飛翔≫の魔法で、リオナさんがそこまで連れて行ってくれた。なお、帰りは魔石に付与した≪飛翔≫で戻る予定。ヒースさんも、このくらいの距離なら自分1人であれば飛ばせるらしい。
リオナさんが、樹の幹に置いてある石の前に花を供え、手を合わせた。こういうさりげない仕草を見ると、リオナさんって日本人なんだなあと改めて。
やっぱりここの石は、マグノリアさんの墓石だったようだ。
リオナさんが故人を偲んでいるので、私たちも背後でそっと冥福を祈った。
しばらくして、彼女が私たちを振り返った。
「さて、と……ヒース、世話になったわね。要のこと、お願いね」
「ああ、こちらこそ。魔女殿も、今までありがとう」
「2人とも、後のことはユエルに頼んであるから、頼りなさい」
「はい。リオナさん、ありがとうございました。大好きです」
「ふふ、私もよ。要、アンタが私のところにきてくれて、毎日が楽しかったわ。魔女なんて厄介な存在に成ってしまって、嘆いたこともあったけど、なんだかんだ幸せだったと思える人生だったわね」
泣くな。泣くな。泣くな。笑え。
私は腕につけた、リオナさんの教え子たる証のバングルを撫でる。大丈夫。
リオナさんの見送りに、情けない涙なんて似合わない。泣いたら、リオナさんを困らせてしまう。
だから、心配させないように、私はとびきりの笑顔で笑う。
「じゃあ、お願い、要。私の旅立ちを、祝福して頂戴」
「……はい」
私は深呼吸して、自然と浮かんだ言葉をリオナさんに紡いだ。
「我は理を超え、世界の荊を刻み、歪みを正す刃。狭間に堕ちたる魂は在るべき場所に――≪葬送≫」
ひらひらと薄紅色の花弁が舞う中、金色の光の粒が生まれ、リオナさんを包んでいく。
足元からゆっくりと、泡のように消えていく。
「さようなら。ああ、マグノリア、やっと貴方のところに逝けるわ……」
ふわりと浮かんだリオナさんの笑顔は、確かに満ち足りていて。
万感の想いのこもった言葉は、静かに掻き消えた。