107.薬の魔女、かく語りき・2
流れてくる匂いに、私は鼻をひくつかせる。マグノリアの得意料理であるブラウンシチューは、私も好物だ。
すっかりキッチンに立つ姿が馴染んでいる男を、ソファに寝そべりながら私は胡乱な目で見やる。
元々の素材がよかったのだろうし、家が裕福な商家で、父親以外に疎まれていたとはいえ、体裁を保つためかそこそこの暮らしていたせいもあったのだろう。
拾った当初は旅のせいでみすぼらしい様相だったが、生活環境が改善されると家事も仕事もお手の物、魔女の世話を甲斐甲斐しく焼く、頼りがいのある好青年のできあがりだ。
今やマグノリアがクラリッサの街を訪れると、年頃の女性がきゃあきゃあと黄色い悲鳴をあげるのだとか。
すらりとした立ち居振る舞い、ちょっとオカン属性入ったけど紳士で優しく、曰くスパダリだ。贔屓目に見ても、金髪碧眼も相俟って王子様ちっくである。平民なんだがな。
成長期の男恐い……!と、私はちょっと慄いた。
「マグはお説教ばっかりで、可愛くなくなったー」
「男が可愛くてどうするんですか……」
「拾った頃は、師匠、師匠って、ひよこみたいに私の後をついて回っていたのに」
「今の僕がそれをやったら、うっとうしくないです?」
「うっとうしい」
「身勝手」
でかいマグノリアが背後でうろちょろしていたら、邪魔で仕方ない。
マグノリアは、かちゃかちゃと卵を混ぜる手を止めて、はあとため息をつき肩を落とした。
「僕こそ、どうしてこんなに可愛げのない師匠に惚れてしまったのか……」
「ふふん、思春期の青少年が、美人のおねえさんに惚れるなんて、王道じゃない」
「自分で美人って言ってる、この人……」
とか言って、私がちょっとセクシーポーズを取ったり肌晒したりしたら、顔を赤くしているくせに。純情だなあ、こやつ。
――男女が一つ屋根の下で一緒に暮らして、何もないはずがなく。
いや、何もなかったけどね。
この数年でマグノリアが、何故か怠惰で面倒臭がりな私に血迷って、恋に落ちたってだけで。
自分で言うのもなんだけど、ドMか?とちょっと疑っちゃったわ。
マグノリアも恋心を自覚したらしき時、真面目に頭を抱えていたから笑っちゃうわよね。失礼な。
「師匠が美人なのは認めますが、それを相殺するくらい残念すぎるんですよね」
「残念言うな」
何と言われようとも、もうこれは性分なんだから仕方ないでしょう……。
それにしても、と私は寝転んでズレたメガネの位置を直して、マグノリアの全身を眺めながら、しみじみと呟く。
「マグもすっかり大きくなったわねえ……」
「師匠は全然変わりませんね」
「だって魔女だもの」
「魔女らしくない魔女ですよね。とはいえ、不老不死を目の当たりにしたから、師匠って本当に魔女なんだって知っていますけど……」
マグノリアは、複雑な様子で苦笑する。
そういえば、先日、森の外の草原で魔獣に遭遇して、うっかりお腹に穴あけられちゃったのよね。血がどばって出て、見るからに致命傷。
マグノリアが切実な悲鳴を上げていたけれども、その後私は何食わぬ顔で魔獣を撃退して、「あーびっくりしたぁ!」なんていいながら平然と血に塗れていたから、マグノリアが鳩が豆鉄砲でも喰らったかのような顔していたわ。
私も久しぶりに怪我したから、ちょっとビビったわよね。いやー。油断大敵よ。
因みに土手っ腹に開いた穴は、うぞうぞと筋肉やら肌やら細胞が蠢き、そのまま眺めていると若干R18では?と言いたくなるくらいグロテスクな感じで自然と塞がった。
その後、意気消沈と羞恥の狭間にいたマグノリアに、凄く心臓に悪かった、涙を返せと拗ね気味に詰め寄られて、ごめんごめんってよしよししてやったわよ。
昔から、何かあるたびに、私に撫でられると機嫌を直してたからね。
それにしても、やっぱり魔女への認識って、この長い年月の間でズレが起きているのね。いやでも、王侯貴族ならまだしも、一般人は知らないのも仕方ないか。
そもそも魔女って、普通に生きていれば遭遇するようなものじゃないし、御伽話の登場人物みたいな遠い存在。むしろ大半は、魔物や魔獣の被害の方が一般的だろう。
ごくごく稀に、思い立って厄災レベルのことをやらかすヤツがいるってだけで。狂乱とか、強欲とか。嘆きなんかは、基本寝てるしね。寝ながらも魔力垂れ流して、面倒な魔獣を生んでるぽいけど。
「あら、魔女だって、完全なる不死というわけではないわよ」
「え?」
目をぱちぱちと瞬かせるマグノリアに、私はにいっと唇を歪めた。
「異世界からの聖女――というよりも、『界渡人』なら誰しも、魔女を殺せるわ。だって、この世界の狭間に存在する同類だからね」
所詮、この不死は仮初。
ただ、私たち魔女に成った者を殺せる対象が少ないってだけ。
そう、魔女は「成る」のだ。
「ふふ、知ってる? 魔女って、成れの果てなの」
「成れの果て、ですか?」
「そう。元々魔女はね、聖女にならなかった者のことなのよ」
小首を傾げたマグノリアに、私はさらりと答えた。
最初の聖女――アイオン王国建国の祖の一人たる聖女を異世界から召喚したのは、創世神マリスの手によるもの。
その手法を模倣して、人は召喚陣を作り上げた。
けれども、人が神の真似ごとなんて、到底できるわけもなかったんだよね。
長い年月をかけて研究された聖女召喚魔法には、穴があった。召喚陣の不具合とでもいいますか。世界の理との兼ね合いとでもいいますか。
要するに、それっぽく出来上がったのは、性能のいい欠陥品。
人が作り上げた召喚魔法は、聖女という『役割』に当てはめることで、異世界からの存在を世界に固定化している。
――だから、召喚された聖女が聖女としての『役割』を否定した場合、この世界に弾かれてしまうのだ。
世界から弾かれたら、どうなるのか?
そんなの、存在の、肉体の、魂の死に決まっている。
けれども、勝手に呼ばれた挙句の果てに、死を突き付けられる存在を、創世神マリスは憐れに思ったのだろうか。
異分子となった異世界人の『聖女』としての性質を反転させ、対となる『魔女』という存在へと当てはめ、強引に『役割』を与え、世界の理に染めたのだ。
救済措置なのかなと私は思っている、良し悪しはともかく。おかげで、死ななかったしね。易々と死ねもしなくなったけど。
そんなわけで、無理矢理存在を世界に馴染ませているせいで、どうも魔女堕ちした場合、不具合が出るらしい。
紅い瞳への変質あったり、仮初の不老不死であったり、取得していた聖魔法が消え、闇魔法が使えるようになったり。いわゆる魔女の特徴といわれるものが生まれる。
「……つまり、師匠が、元聖女? ええー……」
「嘘だあ、みたいな感じでそっちに如実に反応されると、なんか癪に障るわね」
私は、むすっと唇を歪めた。
そりゃあね、聖女なんてガラじゃないですけどね。
今でこそ聖女召喚なんてクソッタレな儀式は、数少なくなってきているものの、完全になくなったわけではない。アイオン王国では封印されたけれども、近隣諸国ではまだ数百年毎に濃くなる瘴気対策に、聖女を求める声が多々ある。
そうして呼ばれたのが、私。リオナ。
日本での名前は、高瀬里緒菜。生粋の日本人で、製薬会社の研究員だった。
まあ、聖女なんて胡散臭い役割、やりたくなかったし、当時の王家の思惑にのってやりたくもなかったから、王城からトンズラしたら、いつの間にか魔女に成っていたんだけど。
一体私の何が、聖女に引っかかったんだろうね。ズボラだし、薬の研究にしか興味ない喪女だし、それこそこの世界の人に興味ないし。そこは今でも謎である。
呼ばれた土地から逃げ出し、召喚時に与えられたチートを駆使しつつ、魔女として居場所を求め流れ着いたのが、ここアイオン王国の片隅だったというわけだ。
なお、以前、シリウス宰相補佐が言っていたアイオン王との謁見っていうのは、その時の話だ。てか歴史書に残すな、そんなの。
「どう? そんなこの世界にとっても、すこぶる面倒で怠惰な存在なのよ、私は」
それこそ、私に冠された二つ名のように。
私は、不敵になるように笑みを深めた。
こうして流されるがままに、歪められるがままに与えられた魔女としての生は、なかなかにしんどいと思う。
人を信じられないまま、永遠とも思える時間を死ぬこともできずに、ただただ無為に過ごす。
いつか自分を殺してくれる『界渡人』を待って、魔女は生きている。
発狂する魔女や、この世界を憎悪する魔女が現れても、致し方ないことだ。
実際、それで魔女に滅ぼされている国もあるくらいだしね。
同じ時を生きることなどできない。とりわけ、若さと老いが見せる現実は残酷だ。
そうして、いつか必ず私は置いていかれる。何度も何度も見送ってきた。
だから、マグノリアの優しい気持ちに、同じだけの熱量を返すことなんて、私にはできない。
――だって、その果てに生まれる感情が、あまりにも恐ろしいから。
キッチンにいたマグノリアが、思い立ったようにつかつかとこちらにやってきて、私の前に跪く。何事かと目を瞬かせていると、マグノリアは私の手を取って、ぎゅうと握りこんだ。
伝わる熱が、熱い。
「……師匠が勝手に露悪的になるのは構いませんがね。これでも僕は、貴女を薬師として心から尊敬しているし、1人の女性として愛しているんです。貴女はね、魔女というには、お人好しすぎるんですよ。……喩え貴女を置いて逝くことになろうと、共に過ごした日々が、思い出が消えるわけじゃない。貴女の中に、僕を嫌って程刻みつけてやりますからね。覚悟してくださいよ」
舐めないでくださいと、真剣なマグノリアの瞳が私を貫く。
その想いの深さに、力強さに、私も思わず狼狽してしまった。表情には出ていないだろうけれども、心が久方ぶりにぐらぐらと揺れた。
こんな厄介な存在、関わらないほうが身のためだというのに。
「師匠が魔女であろうがなかろうが、関係ない。貴女の隣に立つのは、僕だけでいたい。胸を張ってそうあれるために、僕は頑張っているんですからね」
マグノリアの表情は、至って真面目で。もうそれが決定事項であるかのような強さだった。どうしてそこまで自信満々でいられるのか、笑っちゃう。
未熟者が何を言っているんだとか、素直じゃないことを返したかったのに。
言葉は言葉にならなくて。
ああ、泣きそう。
「……ほんっと、お前はバカね」
結局、素直じゃないなあなんて、マグノリアには笑われてしまったけれども。
私は少しだけ潤んだ瞳のまま、穏やかな気持ちでマグノリアに微笑んだ。
この日食べたブラウンシチューは、私とマグノリアの特別な一皿になった。