106.薬の魔女、かく語りき・1
「……ナニ、コレ」
屋敷の前で、行き倒れている小汚い少年を拾った。
――それが、始まり。
薬の魔女たる私リオナと、いずれヴェルガー男爵と呼ばれるマグノリア・セラエノとの出会いだった。
* * *
行き倒れを拾ったのは、単に気まぐれだ。もちろん、家の前に倒れたままで、死なれても困るからだけど。
少しだけ、日常に飽いていたのもあるかもしれない。
その少年は、確実に私の代わり映えのしない永遠の日々に、新たな風を吹き込んだ。
「……」
目が覚めると同時に、行き倒れていた少年は、遠慮なくお腹を鳴らした。
がつがつがつと、私の目の前で食材が貪られていく。
私はテーブルに頬杖をつきながら、その勢いを胡乱な目をして眺めていた。
クラリッサから帰宅したばかりだったから、多少調理済みの惣菜はあるものの、自分で言うのもなんだけど、ほとんどがユイ差し入れの食材だ、食材だぞ。それを美味しそうに食している。なお、私が料理なんてできるわけがない。
それでも、そのまま食べて問題がないものを一応出してあげてはいるんだから、文句を言ったら叩き出してやるつもりだったのだ。けれども、そんなことはなく、むしろ嬉々としてむしゃむしゃ食べているのだから、逆に毒気を抜かれてしまった。
く、空腹は最高のスパイスとはいうけれども、限度があるでしょ!!
「……はあ、ごちそうさまでした。拾って下さったばかりか、ご飯まで食べさせてもらって、ありがとうございます」
「お粗末さまでした……?」
ご飯といっていいのかは、はなはだ疑問だが……?
ぺこりと丁寧に頭を下げた少年は、にこりと素直に笑った。
可愛い感じの、まだ少年と青年の間にありそうな、あどけない笑顔だ。年の頃は15~16くらいだろうか?金髪に碧眼。この世界のスタンダードな色をまとっている。
薄汚れてはいるものの、身に着けているのはそこそこ質の良い代物だ。平民でも上流階級のお坊ちゃんか、はたまた貴族か……。
どちらにせよ、よくもまあ、ユノ子爵領のはじっこもはじっこ、こんな辺鄙な森の中で行き倒れたものだと、少しばかり呆れてしまう。恐らく一人旅であろうに、良く無事でいられたものだ。事情ありだろうなとあたりはついた。
彼は居住まいを正して、おずおずと唇を開いた。
「あの、不躾なことをお聞きしますが、貴女は薬の魔女様でいらっしゃいますか?」
「そうだけど」
私が応じると、少年はぱあっと表情を明るくした。
「~~っ!! ぼ、僕はマグノリア・セラエノと言います。どうかお願いです、僕を魔女様の弟子にしてください! 薬を学びたいんです!!」
「は、はぁ!? 弟子なんて取ってないんですけど!?」
「そんなこと言わずに! 貴女に会って弟子入りするために、僕はこんな辺境にまで、死にそうになりながら来たんです!! お願いです、師匠!」
「ちょっ、勝手に師匠言うな!!」
「そんな、師匠、ご無体な! 僕、師匠に捨てられたら、どこにも行くところがなくてしまうんですよ……!」
「拾われたくせに押しが強いなこいつ!!」
私、これでも一応厄災とまで呼ばれる魔女の一角なんですけど!?こんな風にフレンドリーに接せられるような存在じゃないんですけど!?我、怠惰の魔女ぞ!?
マグノリアはそんなことも気にせず、私を全く恐れず、果敢に縋り付いては、ぽんぽんと小気味良く言葉を重ねてくる。
近隣の住人たちは、長年に渡り薬を与えたおかげで、だいぶ私という特異な魔女に慣れてきたけれども、まだまだ魔女に対する偏見は根強いにもかかわらず、何というか面白い少年だと逆に感心してしまった。
……結局、しつこく食いさがり、捨てられた犬みたいに瞳をうるうるさせたマグノリアを見捨てることができずに。
「ありがとうございます。末永くよろしくお願いします、師匠!!」
ぱあっと輝く眩いばかりの笑顔を浮かべるマグノリアに対し、私は気疲れのままぐったりと肩を落とした。
こうして、すったもんだの末に押し切られ、根負けした薬の魔女に、まさしく押しかけ弟子が爆誕した。
……クッ、私も甘くなったものだ。
セラエノというと、アイオン王国でも新進気鋭の大きめな商会だ。貴族ではないものの、そこそこ裕福な平民。マグノリアは、そこの三男坊だという。
商会は既に成人済みの長男が後を継ぐ予定で、次男が長男を支える安定基盤で運営されており、そこに年の離れた三男、しかも愛人の子が入り込む余地はなかった。あっても地方支店の店長くらいだ。
父親にはそれなりに愛されたとて、本妻や義兄弟からは疎まれていたのだろう。
父親の意向で、マグノリアも幼少のみぎりより商人としての教育は受けてきたけれども、かなり肩身は狭かったようだ。
そんな中、平民向けの学校に通っている間に興味を抱いた薬草研究にどハマりしてしまい、どうしても薬師の夢を諦めきれなかったのだそうだ。
マグノリアの持つスキルは≪鑑定≫で、商会の息子らしく商人向き。それで薬師を目指すのは、なかなかに険しい。
なれば、どうせ苦難の道を行くなら、また畑違いの錬金術で薬を作っている酔狂で高名な魔女の弟子になろうと一念発起して、家を飛び出したらしい。
なんという無謀、無茶、計画性のなさ。無鉄砲だな、こいつ!?と私が慄いたのも無理はなかろう。
何せ、マグノリアの家のある王都からここは、相当な距離がある。馬車を乗り継いできたとて、近隣のクラリッサの街から魔女の屋敷までは、徒歩確定である。
魔獣も出るのに護衛もつけずに、ひょろっちい身体でよくもまあ生きてこられたものだ……。いや、最終的に行き倒れていたんだけど。
マグノリアの目は未来にきらきらと輝いていて、これが若さなんだろうなあなんて、軽く百年超えて生きている魔女は、ちょっとだけ遠い目をしてしまった。
風呂に入って旅の垢を落とし、こざっぱりしたマグノリアの薬の勉強をしたいという言葉に嘘はなく、薬草や調薬に大層興味を示した。作業部屋や図書室なんて、飛んで喜んでいた。
薬草好きな奴に悪い人はいない、これは持論、うん。
女受けの良さそうな少し軽い感じのさせる外見とは裏腹に、マグノリアは至極真面目だった。
私の出した課題をきちんとこなすし、薬草畑で土に塗れるのも厭わず面倒を見るし、ワクワクしながら蒸留器具を扱うし、調薬作業は繊細にして丁寧だし、自主勉強も厭わない。
見た目で判断してはいけないほどに、薬馬鹿だった。
まあ、周辺には森しかなくて、娯楽も何もないからかもしれないけれども。
それでも、マグノリアは私のちんたらした指導を受けて、数年で頭角を現し始めていた。
思った以上に、良い拾い物だったかもしれない。ちょっと鼻が高い。
そんな感じで、弟子を押し切られて以来、なし崩しに奇妙な2人暮らしが始まった。
だが、居候が増えたところで、私の怠惰っぷりが変わるわけもない。
食事は気まぐれ、就寝も適当、仕事以外はダラダラで、掃除はほぼしなくて埃だらけ、布団も滅多に干さず万年床、本や書類はあちこちに放置、服や下着くらいは多少気をつかうようになったけれども、面倒だと着たきり雀だ。
いや、もちろんある程度ヤバいなーってなったら、≪清浄≫で綺麗にしてはいるわよ?自宅でなんて、そこまで取り繕うほどでもなくない?
そうは思うものの、私のズボラさは、どうやら他の人とは比べものにならなかったらしく。
さすがに見かねたマグノリアが、研究の傍ら、自分の生命維持も兼ねて家事を始めるのも、時間の問題だったわけだ。
さすがにずっと食材を齧っているわけにはいかないと、危機感を抱いたのだろう。成長期だというのに、しばらくずっと林檎ばっかり齧ってたもんな、マグノリア。
温厚なマグノリアがマジでキレた時には、さすがの私もびっくりした。
人としての必要最低限の健康的生活について、魔女にめちゃくちゃ説教してくる姿を、今でも覚えている。
あの時は心の底からスマン悪かった、と私も反省した。
反省はしたが、当然抜本的に改善をするわけではない。まあ多少は譲り合うことを覚えたりもした。
「急に笑い出してどうしたんですか、師匠」
「や、マグが魔女に対して健康的で心身の健全な生活とはと混々と語り始めた時のことを、ふと思い出してね」
「師匠は薬に関しては完璧なのに、どうして私生活になるとダメダメなんですかねえ……」
お玉を片手に、苦笑しながらおさんどんする姿が板についたマグノリアは、5年の時を経て今や20歳。
田舎暮らしにも慣れ、出会った時の小汚くひょろひょろな少年姿を払拭してにょきにょきと縦に伸び、すっかり男らしくなった精悍な顔に磨きをかけていた。