105.元社畜とビーフシチュー・2
「ああ、美味しい……」
リオナさんが、ビーフシチューを一口食べてしみじみと呟く。
じっくりと煮込まれたお肉は、フォークでも切れてしまうくらい柔らかい。元々良いお肉を使っているのだ。素材そのものの美味しさもさることながら、口に入れるとお肉の甘みと旨味がほろほろ溶け、あつあつのデミグラスソースの中にぎゅっと凝縮された野菜のコクとマッチして、幸せが天元突破しそう。
我ながら、上手に作れたんじゃないでしょうか!
テーブルの上にはビーフシチューの他に、バゲット、サラダ、アヒージョが並び、食卓を彩っている。ちょっとしたお祝いディナーとして、なかなかにいいメニューじゃないかな。デザートには、プリンアラモードを準備してある!
私の中でビーフシチューって、豪勢なイメージがあるんだよね。お母さんが、何かいいことがあったときに出してくれたメニューだからだろうか。特別感がある。
「いや、でもいつにも増して、付与効果が凄くない?」
「あはは……浮かれすぎましたかね……」
リオナさんが苦笑する。
ヒースさんの手伝いが入る前、煮込み真っ最中からランララランと歌ってましたからね。おかげで、疲労回復とメンタルアップに効く、ちょっと怪しげなビーフシチューになっちゃったよ。
「これ、この間の土産のお肉? ちょっと硬そうな部位もあったのに、めちゃくちゃホロホロになっているな」
「そうなんです。ヒースさんが持ってきてくれたのを、ここぞとばかりに出しました!」
「あんなに凶悪なミノタウロスが、美味しく化けたなあ……。ただ焼いただけでも旨いけど、煮込みもまた違った旨さがあって乙だね」
にこにこ笑顔のヒースさんは、優雅で上品なテーブルマナーとは裏腹に、もりもりとお皿からビーフシチューを減らしていっている。今日も食いしん坊は健在だ。
お野菜もほくほくに煮込まれているから、無限にいただける気がする。ちょっとお行儀悪いけれど、バゲットに載せて一緒に食べても最高。はー……美味しい、食が進むね!
リクエストしてくれたリオナさんも、幸せそうに目を細めてお肉を味わっている。
その姿からは、どこかに思いを馳せているような、懐かしそうな様子が感じられた。
リオナさんはぺろりと唇を舐めると、カトラリーをそっと置いて神妙な顔をする。
「よし、酒だ。これは酒を飲まねばなるまい」
「ですよね」
「そうでなくちゃ魔女殿じゃないな」
知ってた。大人しく食事だけで終わるわけがなかった。
まあそれを先読みして、アヒージョも作っているんだけど。
リオナさんは徐に立ち上がると、ワインセラーからとっておきの一本を取り出してきた。
「って、それ、リオナさんが大事に取っておいたヴィンテージじゃないですか……!」
「この間から、貴重な葡萄酒が次々と……!」
「いいのよいいのよ、お祝いなんだから。パーッと開けちゃいましょう!」
リオナさんが、けらけらと笑う。ほわあああああ、太っ腹。
この間ディランさんが出してきた葡萄酒も相当だったけど、これも結構な年代物では。ヒースさんが、目をまんまるくしているよ。
グラスを軽く掲げて乾杯をして、私たちは葡萄酒を口にする。
ちょっと渋みが強めだけれども、香り高く芳醇でフルーティーな味わいが、更にビーフシチューの美味しさを引き立てる感じがする。めっちゃくちゃ美味しいなこの葡萄酒……!
美味しいお酒と食事、そして他愛のない会話を楽しみながら、穏やかな夕食は進んでいく。
「カナメ、よくここまで頑張ったわね。おめでとう。もうすっかり薬師として一人前といえるわね」
「ありがとうございます! だけど、リオナさんとヒースさんあってこそのたまものですから」
「ふふ。ヒースも、根気よく丁寧に薬草を採取してきてくれて、いつも助かっているわ」
「いえ、こちらは仕事ですから」
な、何だろう。急にリオナさんが、らしくないしおらしいことを言い始めたぞ。お酒にでも酔ったのかな?いやいやまさか。
私とヒースさんが目を白黒させている間に、リオナさんはグラスに残っていた葡萄酒を飲み干し、テーブルに置く。
ことりとグラスがテーブルに触れる音が、やけに大きく響いた気がした。
「それから、ありがとうと言わせて欲しいの」
「……リオナさん?」
リオナさんは、ふ、と眼鏡の奥の紅い瞳を優しく細めた。
……まただ。
ちょっと前くらいから、よく見かける仕草。さっきもしていた。どこか遠くを見据えるような、心あらずの眼差し。私を通して、別の誰かを見ている目だ。
「……お祝いの席だけれども、ううん、お祝いの席だからこそ、少しだけ、私の昔話に付き合ってくれるかしら」
切りどころが悪くて短めですみません