35 帰路
外はすっかり光を失い暗い闇が支配していた。時折、頬をすり抜ける風が肌寒さを誘う。セダン型の車のドアがばたんと音を立てて閉じられた。俺は助手席に座り、車窓から空を眺めた。尖った月が薄くかかった雲に見え隠れしていた。月は時に完全に雲に覆われ見えなくなる。錯覚を起こして、まるで月が自らその姿を自在に現したり、消したりしている様でもあった。
「刑事さん。俺、夕方に警察行きましたよね。その時、俺は一人でしたか」
「そうやないか。覚えてへんのか」
予想通りの返答だった。俺以外の全ての人間はきっと愛子の姿が見えていないのではないかと思い始めていたからだ。ありえない話だが、納得できる答えはそれしかない。あれは幻だったのだろうか。あれだけリアルに愛子を感じていたのに実際にはいない人間を見ていたとは到底想像すらしていなかったが、そう思うより他になかった。愛子を見ることが出来るのは俺だけなのだろうか。今でも彼女を見ることが出来るのだろうか。愛子は家へ帰ると言っていた。大山家を訪ねれば愛子はそこにいるのだろうか。
「今から大山さんのところへ行く事はできますか」
俺の問いに刑事はしばらく考えてから答えた。
「あかんやろ。もう十二時回ってるし、さすがに寝とるんちゃうか。それに方向逆やしな。どうしたんや。なんかあったんか?」
車は街中を外れ郊外の道へと入っていった。段々とひと気が減っていく。
「俺の言う事信じてもらえるとは思いませんが話しますね」
「なんや急に改まって、気楽に話せばええよ」
俺の真面目な声色に刑事は微笑みながら言った。
「俺は、大山愛子と一緒にいました。最初に見たのは大山さんの家です。次に見たのは親父の泊まっていたホテル。そこでこの写真を撮りました」
親父がホテルの部屋で一人で写っている写真を刑事に見せた。刑事は横目でちらりと写真を見ただけで、その写真について何も言わなかった。
「病院で言ったように確かにこの写真には愛子が写っていたんです。今は消えていますが。写真を撮った後、家に帰り、そこで親父が刺されたのを知りました。ホテルには愛子がいたんです。親父は愛子に刺されたのかもしれない。それを奈保さんは見たんじゃないかと思ったんです」
「幽霊かいな。見えない愛子さんか。警察よりも、霊媒師の方が必要なようやな」
刑事は少し呆れ顔で笑った。頭がおかしくなったと思われても仕方がないと思った。証拠なんてものは何一つもないのだから。俺は自分の見たこと、感じたことを信じるしかないと思う。
「大山さんとこ行くんなら、そん時一緒に行こか?」
「いいですよ。一人で大丈夫です」
俺は刑事の行為を断った。
「気いつけるんやで。一応、警察としても誤報もろうとる人物やからな。要注意とはいかんと注意人物ぐらいなっとるはずやから」
俺は、はい、と軽い返事をした。ふと外を眺めるといつもの見慣れた景色が目に入ってきた。