21 逃走
俺が目線を移すと、それに気付いた勝は咄嗟に身を翻した。俺と勝、二人の目線の先にいたのは京子だった。なぜここに京子がいるのか? 俺の後をつけてきたのであろうか。周りを気にせずに一心に、この現場へ向かったことは隠しようの無い事実。自分の不警戒さに苛立ちを感じた。
「あなた……。ここで何を?」
京子はその場で立ち止まると勝に言った。その表情は冷静で、落ち着いているように見えた。勝は不意をつかれたかのように、驚き止っている。京子が姿を現した事にそれほど驚く事が不思議にも思えた。京子はジッと勝を見つめていたが、ほんの一瞬、俺に目を移した。
「隆、大丈夫なの? この人に関わっては駄目よ。早く逃げなさい」
俺の思考は停止していた。一歩も動かずにその場に立ち尽くしていた。逃げてどうなる。愛子はここにいる。視界に映る二人のどちらも俺は信用できなかった。次の瞬間。
『ドンドンドン!』目覚めた愛子が俺の姿を見て激しく窓を叩いた。そして、京子は足早にこちらへ向かって走り寄ってくる。それを止めるように勝は京子の前へ体を張った。
その光景は、まるで早回しのコマ送りでも見ているように瞬間的に展開され、俺は激しく首を左右に振り、二つの状況を、目を見開いて凝視していた。
「うう!……」
男の声が聞こえた。勝が京子の体に寄り掛かっていた。その左手は京子の肩の衣類を強く握り締めている。勝の背中で京子の体は隠れて視界に映らない。だがそれは、すぐに分かった。勝の背中は徐々に崩れるように沈んでいき、京子が姿を現した。その右手には、血まみれのナイフ。あれは……俺のナイフ。俺が床に落としたのを京子は拾ってきていた。右手にも血が付着し、衣類も血で濡れている。勝は渾身の力で京子の腰の辺りを両腕で抱きかかえる様にしがみ付くと、大声を上げて叫んだ。
「早く逃げろ」
車内の愛子は、ぼやけた仕種で車のドアロックを解除した。足元が落ち着かずに倒れるようにして飛び出してきた。俺は愛子を抱きかかえるように受け止めると、愛子の手首を掴み、脇目もふらずに走り出した。愛子は足を空回りさせるようにして懸命についてきた。その場を少し離れると、道端に乗り捨てられた自転車が目に入ってきた。急いでその自転車に二人乗りして、俺は目一杯の力で漕ぎ出した。港を離れていくと次第に落ち着きを取り戻していった。
「ふぅー……」
溜め息はいつもの癖だ。無理やりにでも落ち着こうとしているのが自分でもわかった。