2 電話
相変わらずな変化のない日常、仕事も別段順調ではないが、これもまたいつもの日常の一部だ。陽はまた昇り、沈みゆく。そうして毎日は繰り返されるのだ。物が混雑した部屋で、いつものようにタバコを吹かす。これもまた、いつもの日常の一つ。ちょうど今の時間帯が俺は好きだった。陽が沈みかけ、窓から差し込む夕日が部屋を赤く染め、いずれ漆黒の闇に変えていく。部屋の電気も点けずに煙草を吹かすと、タバコの煙が良く見える。まるで生きもののように形を変化させて、いずれ消えていく。それを見届けるのが俺は好きなのだ。吹かしたタバコの煙を見つめていると、俺の脳裏を過ぎるものがあった。手紙のことを思い出していた。ゴミ箱を除くと、それはまだそこにある。かれこれ手紙が届いてから一週間が経っていた。
『トゥルルルルル……トゥルルルルルル……』
黄昏時を邪魔された。そんな気分だった。携帯電話を持っていない俺への連絡方法と言えば、今鳴っている固定電話と手紙の類いくらいだ。俺はそのままの体勢で、右手を受話器へ伸ばした。
「真奈だけど……。母さんが車にひかれて……。すぐに救急車で病院に……。ひき逃げらしいのよ」
姉さんの声だった。震える声で動揺をそのまま声にのせていた。
「ひき逃げって、犯人は?」
「詳しいことはわかってないのよ……。市民病院にいるから隆も来て……。お願い……すぐに来て……。私、どうしたらいいのか……」
「少し落ち着きなよ、今、自分たちが出来る事はないんだから。病院に行ったんなら、医者が最善を尽くすよ」
「落ち着いてるわよ、母さんに、もしものことがあったら……。父さんに連絡つかないし……」
姉は落ち着きを失くしていた。泣き出しそうな声で訴えてきたが、姉を宥めて病院へ行くのを俺は断った。今の自分では、母に会わせる顔がないからだった。病院へ行かない理由としては、随分と子供じみた理由なのは分かっている。
「俺は行かないけど、母さんを頼むよ。それと、なにかあったら電話して」
若干、気が咎める面はあったが、俺は病院へ行くことを拒んだ。
ふと頭では手紙のことを考えていた。自然と眉間にしわが寄る。手紙に書かれた警告通りに、俺が殺人を実行しなかったために家族に危害を加えたのだとしたら? そう思うと普通は落ち着かないものなのだろう。だが、自分の予想に反して気持ちは至って落ち着いたものだった。が、口元と手元は無意識にタバコを欲し、落ち着きを失くしていた。
「家族がどうなっても知りませんよ……、か……。まさかな……」
俺は小さな声でポツリと呟いた。自分が発したその言葉は信憑性を増して俺の不安を徐々に掻き立てていったのだった。