19 携帯電話
「さっき隆が言った愛子って……。大山愛子さん?」
京子は上擦る声で俺に問う。俺は口の中に溜まった唾をゴクリと一度、飲み込むと、大袈裟に一度、大きく頷いてみせた。
「腹違いとは言え、愛子はあなたの妹になるのよ。もう会ってしまったのね。あなたを傷つけたくなかったから会わないで欲しかったの。本当のことはどうであれ、あなたには普通の家族として育っていって欲しかったのよ。今まで黙っていて、ごめんなさい……」
目の前にいる京子は、まるで別人のようだった。これまで何をしていても荒々しく攻め立てあげられてきた事を思い出すと、嘘のようにも思える。今にも、しおれて枯れそうな花のようにその場にうずくまって泣き崩れている。その涙は滂沱し、滾々と流れていた。そんな京子にかける言葉も無く、俺はただただ、その姿を目線の隅へ追い遣っていった。俺はその場に居られなくなり、部屋を飛び出した。通路の手摺りに体重を預けた。俺の手は、いつもの自然な動きでタバコに火を点けていた。
「はぁー……」
無意識に溜め息が出る。頭の中は混乱していた。ひと時でもいいから落ち着ける時間を俺の精神も欲していた。二階から街をボーっと眺めていた。静かな街並み……。こんな静寂の中で俺の心は、まるで沼地に足を踏み入れたように不安という沼に沈んでいっていた。俺はこれからどうなってしまうのだろうか。愛子は何処へ行ってしまったのであろうか。その時だった。
『ブーブー…… ブーブー……』
右ポケットに入れていた携帯電話が振動した。その振動は、不安に沈み始めていた俺を現実へ引っ張った。携帯電話を見ると、着信は愛子からのメールだった。愛子の携帯電話はGPS付きの物だったらしく画面上は地図が表示されている。マーキングされているのは少し離れた所の港を指していた。俺は全力で駆け出した。今、感じている風が俺を惑わせるもの全てを吹き飛ばしてくれないだろうか。そんなことを考えながら走ったが、俺の運動不足な足はもつれ、無様にアスファルトに転げた。顔面から落ちるのを避け、無理やりに左肩から地面に激突し、そのまま仰向けになった。俺の目に映ったのは、真っ青な空だった。
「くそ!」
俺は仰向けのまま怒鳴った。悔しかった。情けなかった。転んだからではない。犯人の描くシナリオ通りに事が進んでいるのではないかと思えたからだ。自分の無力さに嫌気がさした。