17 母親
静かな公園にやさしい風が吹き込み、俺の頬を掠めていた。気持ちの整理がついた頃には、健太の姿はここにはなかった。高々と設置された公園の時計を見上げると二時間ほどベンチに座っている事に気付いた。
「そろそろ、戻らないと……」
俺は抄本を小さく折り、ポケットにしまい込むと公園を後にした。なぜ親父と姉は、奈保と愛子の事を話してくれなかったのだろうか。京子にしてもそうだ。この事を知っていたはずなのに。形はどうあれ、俺は京子の連れ子で、勝は本当の父親ではないのかもしれない。奈保と言う女性は、今も生きているのであろうか。いろいろな疑問が俺の頭の中を支配していた。俺は重い足取りで、俯きながら歩き始めた。心では、健太が言った言葉を不意に浮かべた。
『これを見て京子さんに電話したんだけど繋がらないんだ……。それどころか家に行ったら誰も居ないし、病院にも入院してなかったんだよ』
病院に入院してなかった……。病院に入院してなかった? あの日、姉は病院へ向かった。あの日、既に姉の身に何かあったのかもしれない。俺も病院へ行っていれば、最悪の事態を防げたかも……。あの日、事態は着実に悪い方向へ進んでいたんだ。俺は、あらゆる可能性を想像していた。自分に出来る事は、いくらでもあったのに、そうしなかったのは自分の責任だと、俺は猛省し、自嘲を繰り返していた……。
もう少し歩くと自宅へ着く。家のソファにでも座って、これから自分のすべきことを考えよう……。階段を上がり、玄関ドアの前に立つと俺は目の前の状況に驚いた。ドアの南京錠は乱暴に壊され、ドアノブに手をやると簡単に回った。鍵は掛かっていない。俺の脳裏には、愛子の顔が浮かび、不安に駆られた。俺は何の躊躇も無く、勢い良くドアを開けた。
「愛子!…… 愛子!」
そこに愛子の姿は無かった……。俺がその場に立ち尽くしていると、部屋の奥に人影を感じた。
「誰だ……」
俺は咄嗟に内ポケットからナイフを取り出して構えた。窓へ差し込む日差しが逆光して、黒い人の形のままこちらへ向きを変えた。
「たかし……」
その声は母、京子のものだ。