第六十九話 さあ、書類で隠しましょう
──あれからしばらくして。
団長室の床に正座させられながら、言葉の端々に棘があるキースの説教を聞くこととなったマーチスたちだったが、やっとのこと許しが出たので、痺れる足にムチを打って立ち上がった。
「それにしても、まさかもう二人が両思いだなんてねぇ! あんたたちぃ? 今日は宴にするわよぉ!」
マーチスの号令に、「「宴だーー!!」」と盛り上がる団員たち。
キースはもちろん、ルピナスも二人の関係性については隠すつもりはなかったものの、こうも大々的に喜ばれては流石に恥ずかしかった。
(キース様は恥ずかしくないのかな……)
不思議に思ったルピナスが、団員たちに未だ冷たい視線を送るキースをちらりと見やると。
「お前ら、分かったなら今後絶対にルピナスにちょっかい出すなよ。それと、もし外部の人間でルピナスにちょっかいを出そうとするやつが居たら俺にすぐ報告しろ。……処理するから」
(な、何故か対処の部分だけ悪寒が……気のせい……よね?)
悪寒を抑えるようにと、ルピナスが自身の腕を優しく擦る中、マーチスたちはキースとルピナスに春がきたことを喜び、また宴が開かれることに騒いでいる。
キースとルピナスのことが気になって聞き耳を立てていたというのに、今となってその二人を放っておいて「宴だ」「酒だ」「春だ」と会話に花を咲かせる様子に、ルピナスはついクスリと小さく笑った。
「ほんと、調子の良い奴らだ」
団員たちが入ってきたときから、執務テーブルの奥に移動していたルピナスの隣にやって来たキースは、彼女の方に少し顔を傾けてそう小さく囁く。
「ふふ、本当に」
「……にしても、悪かった」
「え? 何のことですか?」
脈絡のない謝罪に小首を傾げたルピナスに、キースは小さな耳に顔を寄せた。
「雰囲気もないこんなところで、結婚してくれだなんて」
「…………!!」
「俺も色々考えたんだ。レストランで言おうだとか、そもそも、もう少し時間を置いてからのほうが良いかもしれないとか。……だが、前世でのことや、今回の魔物討伐のことで、伝えたいと思ったときに伝えないと後悔すると思ったから」
このとき初めて、キースも同じことを思っていたのだとルピナスは知る。
(そっか……キース様も……)
キースが死ぬかもしれないと思ったとき、ルピナスは想いを伝えていないことに後悔した。
たった一言の『好き』を、どんなタイミングであれ伝えれば良かったと。キースが生きていると分かったとき、伝えられることは、生きているということは、奇跡なのだと。
「キース様、謝らないでください」
だから、別にタイミングや場所なんて大きな問題ではないことを、ルピナスは誰よりも知っているのだ。
少しこちらに傾いてくれているキースの耳元により近づくように、ルピナスはツンとつま先立ちをして、小さく口を開く。
「結婚のお返事、今しても大丈夫ですか?」
「……! あ、ああ」
僅かに震えたキースの声。小さいけれど、凛としたルピナスの声が、そんなキースの耳に届いた。
「私を、キース様の妻にしてください」
「…………っ」
「大好きです、キース様」
恋愛経験皆無の自分が、思いを伝え、また求婚を受け入れるなんて、前世では考えられなかっただろう。
それでも、勇気を振り絞って紡いだ言葉に後悔はなく、何か堪えるようにして下唇を噛み締めるキースに、ルピナスは「あの……?」と不安げに問いかけた。
「破壊力が凄まじかった……」
「破壊力?」
「……つまり、ルピナスが可愛いのが悪いってことだ」
「何がつまりか分かりませんが!? ……って、わっ!!」
ぐいと手首を引っ張られ、キースの胸元に飛び込む形になったルピナス。
叫び声を上げたからか、先程まで盛り上がっていた団員たちの視線が一身に注がれ、密着していることもあって、顔が羞恥に染まった。
「キース様……離してくださいっ、皆見てますから……!」
「悪いがそれはできない。それに、さっきも言っだろう。ルピナスが可愛いのが悪いって」
「はい……!?」
「見せつけてくれちゃってるぅ。あたしも恋人ほしいわぁ」「え、そもそもマーちゃんの恋愛対象って」「あたしはもちろん! 全人類オールオッケーよぉ」「流石かよ」なんて雑談が聞こえてくるものが、いまいち頭に入って来ないのは、キースがより一層力を込めて抱き締めてくるからである。
ルピナスは全力で彼の胸辺りを叩くと、頭一つ分以上優に高いキースの顔を見上げた。
そこには、幸せで仕方が無いと言わんばかりのキースがいる。ルピナスは、もう一度言おうとした拒絶の言葉をぐっと飲み込んで、羞恥に耐えることを選んだ。
もう少しだけ、こんなキースを見ていたいと思ったから。
「あ……そういえば」
そこでルピナスは、はたと、とあることを思い出した。
「直ぐに入籍したい気持ちは山々なのですが……三ヶ月ほど待っていただいても良いでしょうか? 私なりのけじめがありまして」
「……ああ、なるほど。あと三ヶ月もすれば、ルピナスがここへ来てから半年になるのか。そういうことなら分かった。……だが」
すんなりと提案を受け入れてくれたキースだったが、何故か意地悪そうな表情を浮かべているのは、どうしてなのだろう。
そんなルピナスの疑問は、キースが片手で執務テーブルの上から書類の束を掴んだ直後分かることになる。
「夫婦になるのは少し後になるが、これくらいなら構わないよな?」
「えっ」
そう言ってキースは、未だにマーチスたちからのしつこいほどの視線を感じる中で、見上げるルピナスの顔にぐいと自身の顔を近付ける。
彼らの視線から、書類の束で互いの顔を隠すようにして、柔らかな唇がふに、とルピナスの唇を奪っていったのは、まさに一瞬の出来事だった。
「……えっ?」
刹那の時間の出来事だったからか、初めての行為だったからか。
咄嗟に理解が追い付かず、素っ頓狂な声を上げたルピナスには、キースは悪戯が成功した少年のように、かつ大人の色香を孕んだ笑顔で笑ってみせた。
「キスされるのは嫌じゃないって、前に言ってたもんな?」
「……っ、もう!」
誰かが呟いた、「俺もほんとに恋人欲しいわ……」という言葉に、一部始終を見ていた一同は深く頷いたのだった。