第六十五話 アスティライト王国の英雄
ルピナスが目を覚ましたのは、討伐任務から三日目のことだった。
「あれ……ここは……」
騎士団塔の自身の部屋ではない。かと言って実家でもない。
真っ白な天井と、やや鼻を掠める消毒の臭い、自身の太腿に感じる痛みの理由を思い出したルピナスは、直ぐにここが病院であることを理解した。
「そっか……皆が来てから、運ばれたのね……」
詳細は分からないにせよ、自身が助かって、病院にいることは間違いないらしい。
ルピナスは太腿を気遣いながら上半身を起こすと、ドアが二回叩かれたことで、意識をそちらに向けた。
「はい、どうぞ」
「ルピちゃん……!! 目を覚ましたのねぇ!!」
「マーちゃん……! ふがっ!!」
目に涙を溜め、全力疾走でベッドサイドにまでやってきたマーチスに抱き締められたルピナスは、突然のことにバタついた。
しかし負傷した太腿が痛いのであまり動くことは叶わず、マーチスの背中をバシバシと叩くと、しばらくしてからマーチスがその腕を解いたのだった。
「ルピちゃん無事で本当に良かったわぁ!!! 倒れてからすぐ王立病院に運ばれて、三日も眠ってたんだからぁ!!」
「えっ!? 三日も!?」
「そうよぉ!! 心配したんだからぁ!!」
そう言って、もう一度抱き締めてくるマーチスは、反省したのか少し力を抑えてくれている。
ルピナスは「心配をかけてすみません」と、目を覚ましてから一番気がかりだったことを、意を決したように口に出した。
「あの……マーちゃん……キース様の、容体、は」
「………………」
震える声で問いかけると、マーチスが両手をルピナスの肩に置いて、じぃっと顔を見つめる。
不安でどうにかなってしまいそうなルピナスが唇を震わせると、マーチスが柔らかく微笑んだ。
「……無事よ。大丈夫、大丈夫だから」
「ほん、とう、に、で、すか……?」
「ええ。お医者様の話によれば、あと三、四日もすれば目を覚ますだろうって。しばらくは過度な運動は出来ないだろうけれど、いずれは騎士としても復帰できるだろうって」
「……っ、うっ、ぅぁぁぁぁあっ…………!!」
ルピナスの瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「あらあらまあまあ」と言いながら、ふんわりと甘い香りがするハンカチを差し出してくれたマーチスにお礼を言う余裕もなく、しばらくの間ルピナスは、わんわんと子供のように泣いた。
「すみません……お見苦しいところを……」
ようやく涙が止まったところで、泣きじゃくったところをマーチスに見せてしまったことに、ルピナスは頭を垂れた。
「良いのよぉ! けどあたしがルピちゃんを抱き締めたことはキースには内緒にしてねぇ!? 間違いなく斬られるから!!」
「……ふふ、はい」
(確かにその姿は目に浮かぶ……)
マーチスに対するキースの態度を思い出して、頬を綻ばせると、「あたし、お医者様呼んでくるわね」と言ってマーチスが部屋を出て行く。
それから約十五分後、医者がやってきてルピナスを診察をすると、明後日には退院して良いとのことだった。
病院に来るまでに治癒魔法を受けてかなり回復していたことと、キースに覆い被さられることで偶然にも太ももの傷が圧迫され、それが止血に繋がっていたことから、大事には至らなかったようだ。
「ルピちゃん、入るわよぉ?」
「はい! もう大丈夫です!」
診察のため病室の外に出てくれていたマーチスが、医者と入れ替わりで入ってくる。
ベッドサイドの椅子に座ると、「ようやく落ち着いて話せるわねぇ」と、ルピナスが眠っている間のことを話してくれた。
「まず、魔物の討伐任務は無事成功よぉ。それにキースとルピちゃん以外は重症者もなし! もちろん死人もなしよ!」
「それを聞いてホッとしました……良かったです……」
マーチス曰く、討伐の後処理を一部の団員が担っているものの、もういつもの日常に戻っているらしい。そのため、第一騎士団の団員たちは交代でルピナスとキースの見舞いに来る余裕もあったそうだ。
避難していた国民たちに関しては、既に自宅に戻ることができ、街は騎士団と魔術師団を労う声で溢れているのだとか。
「それでねぇ? 一つ伝えておかなきゃいけないことがあってぇ!」
「はい、何でしょう?」
「うふふ!」とほくそ笑むマーチスに、ルピナスは小首を傾げながら、彼のバッサバサの睫毛を、食い入るように見つめると、次の言葉に驚きを隠せなかった。
「今国民たちの間ではね、ルピちゃんは英雄だって言われてるのよぉ?」
「えい、ゆう?」
「そっ! 討伐部隊の被害を最小限に抑えるため、一人でワイバーンを倒した英雄! うふふ! 何だかあたしまで鼻が高いわぁ〜」
魔術師の中には、特殊な魔法が使える者がいる。
今回の討伐では、遠くにいる相手の動向を観察できるという遠視魔法によって、ルピナスが仲間たちを守るために一人でワイバーンを相手にし、倒したことが明らかになった。
そしてその事実はどこからか漏れ、討伐に参加した者のみならず、国民にも知れ渡る結果となったのである。
「けど私は、キース様に庇ってもらったから生きていられるのに……そんな、私だけの手柄みたいに……」
「まあ、それはそうかもしれないけど、ルピちゃんが一人でワイバーンを倒したことは事実じゃなぁい! 深く考えなくたって良いわよぉ! それに、キースはもう地位も名声も持ってるんだから、これ以上いらないわよ!」
「…………マーちゃん……」
そう励まされると、今は喜んでいようとルピナスは気持ちを切り替える。
(それにしても、傷物令嬢って呼ばれてた私が……この国の英雄だなんて……何だか信じられない……)
むず痒いような、けれど決して不快ではない感覚。
ルピナスが今後も精進しなければと思っていると、コンコンというノックの音が病室に響いた。
ルピナスが眠っているかもと気遣っているのか、声も出さず、入って来もしない人物に、ルピナスとマーチスは目を見合わせる。
「お医者様はさっき来ましたし、お見舞いでしょうか?」
「けど、今日、第一騎士団でお見舞いに来るのはあたしだけのはずなんだけどぉ。念のためあたしが出るから、ルピちゃん待っててねぇ!」
「はい、お願いします」
そうして、マーチスが病室の外で訪問者の対応をしている中、ルピナスは枕元にあった果物や本などの見舞いの品に気が付く。
中には手紙が添えられているものもあり、コニーやラーニャ、アイリーンからのものまであった。
(明後日、退院したら皆に心配をかけたこと謝らなきゃ。それと、ありがとうって伝えたい)
ルピナスは今日一日は病室から出ずに安静するよう言われている。
明日になれば、病院内なら自由に行動しても良いとも言われているため、キースの様子もその時に見に行こう。
(早く、キース様の無事な姿をこの目で見たい)
たとえ眠っていようと、構わないのだ。温もりのある手に触れたい、僅かな吐息さえも聞いていたい。
(早く明日に、ならないかな……)
シーツを握り締めながら、ルピナスがそう思っていると、ガラガラと扉が開く。
マーチスが戻ってきたのだろうと、そろりと扉を見たものの、予想とは違ったその人物に、ルピナスは目を瞠った。
「セリオン様……? どうしてここに……」
「やあ、ルピナス。怪我は大丈夫かい? ……少しだけ話があるんだが、良いだろうか?」