第六十二話 魔物討伐任務の緊張を解す
魔物討伐の早朝、任務に参加する団員たちは、王宮内の正門へと整列して集まっていた。
事前に準備された、赤い絨毯が敷かれた簡易的な上段に上がった国王から有り難いお言葉を頂いたあと、一番後方で並んでいるルピナスは、最前列に並ぶキースに対して思いを馳せる。
(結局、あれからまともに話すことが出来なかったな……。せめて、前線で戦うキース様に一言くらい声を掛けたかったけれど)
安全なところに居てくれと、頼むと懇願されてからというもの、騎士団長のキースの多忙さは群を抜いていたように思う。
団員たち、延いては国民たちの命さえ背負う立場にあるのだからそれは当然のことなのだが、やや気を張りすぎているように思えてならないルピナスは、そんなキースが心配だった。
(前世でもそうだった……程よい緊張は良いけれど、度が過ぎれば毒になる。それが騎士団長なら尚更……任務の成功率に大きく影響してしまう)
そう思うものの、配置も違えば、階級も違うルピナスが、大勢人が集まり、しかもこんなに殺伐とした空気の中でキースに話しかけるチャンスなんて無いに等しかった。
(どうしたら……どうしたら良いだろう)
ルピナスがそう思案していると、宰相の「第一騎士団、団長前へ!」という鋭い声がその場に響いた。
どうやらこの国最強の騎士──キースは団員たちに檄を飛ばす役割を担っているらしい。
国王の隣に立ち、整列した団員たちに向き合うキースに、ルピナスは息を呑んだ。
「皆、此度の討伐任務は大掛かりなものになる。──……だからこそ──……」
(わ、わぁ、キース様……なんて固くて重たい檄を……)
前世での経験を入れれば、ルピナスは騎士としてそれなりの修羅場はくぐってきたため、此度の討伐にそれほど緊張はなかったが、この場にいる殆どの者はそうでなかった。
辺りを見渡せば、元々の緊張がキースの檄によってより増幅され、顔を青ざめさせている者や、カタカタと体を震わせている者、体に余計な力が入っている者が大多数だったのだ。
(これは……まずい。こんなんじゃ、皆本来の力を出せるはずない)
しかし、キースもそこまでは気が回らないのだろう。
至って真面目に、かつ重たい言葉を述べることが、周りの緊張を増幅させることにも、そして自身の首を絞めていることにも気付いていないようだった。
(……仕方ない。……後で叱られる……だけでは済まないかもしれないけれど)
──緊張を解すにも、気合を入れるにも、きっとこれが一番だと思うから。
ルピナスは後にきついお叱り──否、それ以上の罰を受ける覚悟で、肺を目一杯膨らませ、目をギュッと瞑った。
「キース様ーー!! 緊張でお顔がおかしなことになっていますよおおお!!」
「…………!」
「一度こうやってみましょうぉぉ!!!」
そして、ルピナスは、一同が自身に視線を向けたのと同時に、両手で両頬を引っ叩いた。
──バッチーーーン!!!!
ルピナスの叫びと、乾いた音がその場に響き渡る。
ルピナスの両頬が真っ赤に染まり、「いてて……」と涙を滲ませる姿に、皆唖然とする中、壇上に立ったキースだけが、喉をくつくつと鳴らせた。
そして、ふっとルピナスに向けて小さく微笑んだあと、今度は柔和な表情で「皆聞いてくれ」と語り始める。
「……彼女の言う通り、俺は気を張っていたようだ。皆にもそれが移ったかもしれない。悪かった」
そう言ったキースは、ルピナスに負けないくらいの力で自身の頬を両手で叩くと、頬に紅葉をつけて再び団員たちに向き直る。
「どうだろうか? これで少しはまともな顔になったか?」
普段のキースとは思えない、おちゃらけた声色でキースがそう言うと、「ぶはっ」と堪えきれずに吐き出したのはマーチスだった。
「ぶっ、ブッサイクねキースぅ!!! あはははっ!! けどさっきよりマシになったわよぉ! ねぇ! 皆!」
「た、たしかに……ぶぶっ。そんな間抜けな団長の顔見たら、緊張してるの馬鹿らしく思えてきましたよ」
マーチスを含めた第一騎士団の明るい声色に、周りの団員たちもつられて笑い始める。
まるで今から命がけの討伐任務に向かうなどとは思えない雰囲気だ。
「ルピちゃん格好良かったわよぉ!」「ルピナスはやっぱり漢だぜ!」なんて声も聞こえてきて、ルピナスは羞恥心で顔全体を真っ赤にした。
そんな中、至って冷静な宰相が団員たちを見ながら「静かにしなさい君たち! 陛下の御前ですよ!」と注意を促すが、派手好きの国王が「さっきより盛り上がってて良いじゃないか!」と満足げに笑っているので、どうやらルピナスが罰せられることはなさそうだった。
「さて、ひとしきり笑ったところで、皆に一つだけ言っておく」
表情は穏やかだが、真剣味の帯びた声色で再び話し始めたキースに、団員たちは緩んでいた姿勢をぴしりと正す。
そこには、程よい緊張感に包まれた、凛々しい団員たちの姿があった。
「魔物を討伐することは、家族、友人、恋人、未来の子どもたちの安全と平和に繋がる名誉なことだ。だが、常に危険とは隣り合わせで、国のためになる死は名誉だと、勲章だと、そう教えられて来た者も殆どだと思う。──それは、間違っていないのだろう。現に俺も昔、とある女性に命を懸けて守ってもらったから、生きて今、ここにいる」
(キース様……っ)
「だが、それでも言っておきたい。……ここに居る全員、死ぬな。生きて、守りたい者を守り通せ。……良いか、死ぬなよ……!!」
刹那、シーンと静まり返った。そして。
「「ウォォォォォォォ!!!」」
地響きが起こるほど、声を上げる団員たち。絶対に生きて帰るという気迫が、ビリビリと肌に突き刺すような感覚さえある。
(キース様……素敵でした。この生こそは、私は絶対にこんなところで死にません。だから)
団員たちの士気が最高潮の中、ルピナスは一番後方ながら、しっかりとキースと目が合っているのが分かった。
そのときは何故か、互いの目だけで何を思っているのか、鮮明に把握できた。
(ルピナス)
(キース様)
((絶対に、生きて帰って来よう))
──そうして、今度こそ必ず伝えるのだ。
キースを、愛していると。