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第五十八話 青いハンカチが紡ぐ物語

 

 ルピナスが馬車で帰路に就いたのとほぼ同時刻、アイリーンは退勤時間を迎えたため、廊下を歩いていた。

 背中を丸め、とぼとぼと歩く様子に、同僚は心配そうな面持ちを見せる。


「アイリーン、大丈夫? 朝からそんな様子だけれど……何かあったの?」

「ううん、何も。少し気持ち悪いから、風に当たってから部屋に戻るね」


 本当は肉体的には何も問題はなかったが、アイリーンは咄嗟にそんな嘘をついて、近衛騎士団塔の外へと出た。


 薄い夜空の下、乾いた空気が肌に触れ、アイリーンは重たい息を吐く。


「そろそろお二人は帰ってきたかしら……」


 今朝、アイリーンは騎士団塔の窓から、馬車へ乗り込むセリオンとルピナスの姿を目にしていた。

 今日がデートの日だったのかと、落胆したのは記憶に新しい。


「ハァ……私……最低ですわ……」


 王家主催の舞踏会で、セリオンがルピナスをデートに誘ったことを知ったアイリーンは、直後からルピナスを避けた。


 連絡通路にルピナスの姿があれば、わざと別の所の掃除に移ったり、彼女からの手紙も読むだけで返信しなかったり、直面したときはわざとらしく同僚たちの元へ逃げたのは、自身の気持ちに整理がついていなかったからだった。


「あのお方はきっと、ルピナス様のことがお好きなのね……」  


 セリオンが三十八歳まで独身を貫いてきたことから、彼は今後特別な人を作らないのかもしれないとアイリーンは勝手に想像していたが、どうやらそれは違うらしい。


 ルピナスに向ける声が、表情が、何より今までどんな令嬢とも噂にならなかったセリオンがデートに誘う事実が、それを嫌というほど自覚させたのだ。


(よりにもよってルピナス様なんて……)


 自身の恋が叶うなんて、大層な夢をアイリーンは持っていない。


 それでも淡い恋が打ち砕かれたその相手が、自身にとって尊敬する友だなんて、複雑な気持ちになるのは仕方がなかった。


 これが、一切知らない相手ならば悲しみに暮れたり、勝手に嫉妬すれば良かったのだが、相手が大好きなルピナスとなると、話は違った。

 中途半端な態度で会うことには気が引け、醜い嫉妬を見せて嫌われることを恐れ、アイリーンは一時的に避けることを選んだ。


「…………ハァ。私って、本当に」


 理由も分からず避けられたルピナスは、もう自身のことを嫌いになってしまっただろうか。


 そう思うと、胸が痛い。けれど嫌われたくないと強く願ってしまう自身の感情が、アイリーンは憎たらしかった。


「最低ね。なんて都合の良い──」

「アイリーン様?」

「…………!」


 しかしそのとき、落ち着いた声色で名前を呼ばれたアイリーンは、咄嗟に声の方を見た。


「ルピナス様……」 

「何だか少し顔色が……大丈夫ですか!? 今すぐに救護室にお連れしましょうか……!? 構わないならば私が背負ってお連れいたします……!」


 開口一番に浴びせられたのが罵倒ではなく、心配の言葉だということに、アイリーンは胸が抉られる思いだった。


(私、酷いことをしたのに……っ)


 ──いっそのこと責めてくれたら、怒ってくれたら。

 そう思うけれど、アイリーンは知っているのだ。


 ルピナスは、自身の立場が危うくなるかもしれない状況でも、迷わずに人を助けるような人間だということを。

 誰よりも心優しくて、強いということを。


 ──アイリーンは、そんなルピナスのことが大好きで仕方がなかった。


 だからそれは、自然とぶわりと溢れたのだった。


「ルピナス様ぁ……避けてごめんなさいぃ……!」

「!? あ、アイリーン様……!?」


 勢い良くカクンと膝を突いたアイリーンに、ルピナスは駆け寄ってその肩を優しく掴んだ。


 アイリーンの泣き方は尋常ではなく、ルピナスはおろおろと戸惑ってしまう。


「私……っ、お二人がデートするって、聞いてしまって……それで、醜くも嫉妬して……ルピナス様のお顔、見れなく、て……っ、なんて、酷いことをぉ……ふぇぇぇん……!!」

「アイリーン様……! 落ち着いてください……! 分かりました、分かりましたから……!」


 ルピナスも予想はしていたので、内容に関しては大きな驚きはなかったが、あまりにアイリーンが泣くものだからたじたじだった。


 キースのことで嫉妬の感情を知ったルピナスは、アイリーンの気持ちが痛いほど理解できたので全く怒るつもりはなく、優しく彼女の背中を擦る。


 するとアイリーンは、「ごめんなざぃぃぃ……!!」と言いながら、ルピナスにしがみつくように抱き着いた。


「げどわだぐじ、ルピナスさまのごども大好きなのですぅぅ!! 本当なんでずぅぅ!! だからぁ、こんなに醜い自分をしられたくなぐでぇ……!! あのお方だってぇ! ルピナスざまみたいな、素敵なお方ならぁ、ずきになって当然だとわがっていますからぁ!! わだぐしお二人を応援じますからぁ! ですからルピナス様ぁ……! わだぐしのことを嫌いにならないでぐだざぃぃぃ! わだぐし、ルピナス様のこと大好きなのですぅぅ!! 本当に大好きなのですぅぅぅ……!!」


 アイリーンは、まるで淑女を体現したような、そんな美しい女性だった。

 見た目もさることながら、その所作は同じ令嬢のルピナスでさえ目を奪われるほど。


 そんなアイリーンが、子供のように、まるで悪さをして親に許しを請うように泣く姿は、ルピナスの目の奥をツンと刺激した。


 アイリーンを抱きしめ返しながら、ぽつり、とルピナスは口を開く。


「話してくださって、ありがとうございます。……ありがとうございます、アイリーン様。私はアイリーン様のことを嫌いになんてなりません。むしろ、こんなに盛大な愛の言葉をいただいて、嬉しいくらいです」

「ルピナス様ぁ……っ!」

「しかし、一つ訂正させてくださいね。詳しくは話せませんが、ルピナス()とセリオン様の間に恋愛感情はありませんよ」

「へっ」


 二人は恋人同士、もしくはセリオンがルピナスに恋愛感情を持っているとばかり思っていたアイリーンから、素っ頓狂な声をが漏れる。


「詳しくは話せませんが……アイリーン様が思っているような関係ではありません」


 セリオンがフィオリナを心から愛していたことも、未だにフィオリナという存在に縛られていたことも、転生魔法についても話せないことは心苦しいが、納得してもらうほかはない。


 ルピナスの言葉に、アイリーンはひゅんと涙が引っ込んで、ぽかんと半開きになった口を、思い切り開けた。


「でででは、私の早とちり!? なんて恥ずかしい……! 申し訳ありませんルピナス様……!」

「いえ! それに私、アイリーン様には感謝しているのです。アイリーン様のおかげで、自分の気持ちに気付けましたから」

「……と、言いますと?」

「……恥ずかしながら、キース様のことを好きだということに、気付いたのです」

「……ふぇ!? あ、あらぁ……!!」


 思わぬカミングアウトに、次はアイリーンがルピナスの肩を掴む番だった。


 アイリーンの手には興奮で力が入り、ルピナスの体がぐわんぐわんと前後に揺れる。


「『氷の騎士様』は大層お喜びになるのでは!? それもうルピナス様のことを大大大大好きでいらっしゃるでしょうし……!!」

「あ、アイ、リーン様……酔う……っ」

「そうと決まれば早くお気持ちを伝えてあげてください……! 好きな方を、早く安心させてあげてくださいませ!!」


 アイリーンはキースに対して思い入れなど殆どなかったが、誰かに片思いをする幸せも切なさも知っている。

 両思いならば早く気持ちを伝えてあげてほしいと願うのも、無理はなかった。


「そ、そうですね……とても長い時間、待たせてしまいましたから……」

「では、今です! 今から会いに行って伝えるのです!!」

「けれど、目を腫らしたアイリーン様をここで一人置いていくわけには……! 部屋まで送って行ってから──」

「もおおお! 優しい!! けれど私は大丈夫ですから、どうか行ってください……! 目の赤みが少し落ち着いてからちゃんと部屋に戻りますから、心配は不要ですわ!」


 立ち上がり、ルピナスの背中をとんとんと押すと、「分かりました」と行って、去っていく彼女の後ろ姿を見つめながら、アイリーンは小さく手を振った。


(ルピナス様……頑張ってくださいませ)


 両思いとはいえ、焚き付けたアイリーンは、そう願いながら空を見上げる。


 星が降ってくるような、圧巻の夜空をしばらく見つめながら、目の赤みが薄くなるのを待っていると、ザッと聞こえた物音に、視線を前を向けた。


「おや……君は……ルピナスと一緒にいた子だね」

「あああああ、アイリーン・ラステリオンと申します……! 王弟殿下におかれましたは──」

「公式の場ではないから、細かい挨拶は抜きにして構わないよ」


 前回は緊張で固まってしまい、名乗ることさえできなかったため、アイリーンはホッと胸を撫で下ろす。

 しかし、内心はそれどころではなかった。


(きゃぁぁぁ!! 目の前に王弟殿下がいらっしゃる……! 目が合ってる……! 会話してる……!)


 ルピナスが帰って来たのだから、セリオンも姿を現すのは当然といえば当然なのだが、今まで遠くで眺めているだけだったので、まるで奇跡だと思わずにはいられない。


 しかし、そんなアイリーンの浮かれた気持ちは、セリオンの顔を見ることで薄れていった。今日は、星がいつもよりよく見えるせいか、満月だからか、セリオンの瞳がやや赤いように見えたのだ。


(もしかして、さっきまで泣いて……?)


「あ、あの」

「なんだい?」


 セリオンの内情など、アイリーンには知る由もない。聞ける立場でも、間柄でもない。赤く見えるのも気のせいかもと思える範囲のことであり、確証もないのだけれど。


 けれど、もし泣いていたのだとしたら。そう考えたら、アイリーンは咄嗟にいつも持ち歩いてある、宝物──青いハンカチを取り出し、ずいとそれを差し出していた。


「殿下は記憶にないと存じますが……! 昔、魔物の襲撃から助けていただいたときにお借りしたものです……! その節は本当にありがとうございました! 返すのが遅くなってしまい、大変申し訳ありません……!」

「これは…………」


 不躾に物を返すなど不敬だろうか。そもそも、自身のものだと記憶にないだろうセリオンからしたら、良い迷惑だろうか。


 そう不安に思ったアイリーンだったが、セリオンがそのハンカチを手に取ってくれたことでゆっくりと顔を上げる。


 セリオンは懐かしむような、そんな顔をしていた。


「ああ、覚えているよ。あれからご両親も息災かい?」

「えっ。は、はい……!」

「そう。それは良かった。それにこちらこそありがとう。大切に持っていてくれたんだね。──だが」


 スッと、青いハンカチはアイリーンの手に戻されてしまう。

 どういうことだろうかとアイリーンが理解できないでいると、セリオンは穏やかに笑って、自身の目を指差した。


()()()()で、君にもハンカチが必要だろう? 持っておくと良い」

「け、けれど……」

「良ければ今度、返しておくれ。……そうだな、近々王家主催の舞踏会があるから、そこで構わないだろうか?」 

「えっ? えっ? ……ひゃ、ひゃい」


 アイリーンは理解が及ばず、分かりやすく噛んだ。

 そんなアイリーンにセリオンは微笑を浮かべると、おもむろに口を開く。


「ではまた、アイリーン嬢」


 そうして、魔術師団塔に向けて歩いて行くセリオン。 


 その背中を見つめ、アイリーンはポツリと呟いた。


「また、お話する機会をいただけるのですか……?」


 青いハンカチをそっと胸の近くに寄せ、アイリーンは嬉しくて再び涙が零れそうだった。

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