第五十三話 約束をしよう
「それはもちろん、ルピナスに会いに来たんだ」
「っ、そ、それはそれは……」
毎度のことながら、キースに羞恥心は無いのだろうか。
内心ではドギマギしながらも、顔色には出さず、ルピナスは一度閉じた自身の部屋の扉を再び開けようとすると。
「いや、話があって会いには来たが、部屋に上がるつもりはないから大丈夫だ」
「そうなのですか? 私は大した用事で外出しようとしたわけではなかったので、気になさらないでくださいね。キース様は多忙で休む暇がないのですから、お部屋でゆっくり座って話す方がよろしいのでは?」
悪気なくそういうルピナスに、キースに一瞬面食らうと、額辺りに手をやって「ハァ」とため息を漏らした。
(えっ、私なにか失言を……?)
思い当たることがないルピナスだったが、窺うような瞳で見つめると、キースがおもむろに口を開いた。
「俺は好きな女性の部屋で二人きりになっても、平然としていられるほどできた男じゃない。ルピナスが手を出されても良いなら別だが」
「……!」
好きだと告げられてから、ルピナスはキースと二人きりになったことがある。たしかにその度、キースは普段より甘い言葉を囁くし、幾分か触れることも多かったように思う。
舞踏会のときの帰りの馬車が最たる例であり、ルピナスはそれを思い出すと、扉をがちゃんと閉めた。
「場所を! 移動しましょう!」
「ああ。俺に手を出されても良いと思ったら部屋に入れてくれ」
「〜〜っ」
(そう明け透けに言われると、どう反応したら良いのか)
ルピナスは胸の高鳴りに意識を奪われながら、「行こうか」と言って歩き始めるキースの斜め後ろを付いて行く。
もう彼のことを見ても護衛対象だったときの少年の姿をダブらせることは殆どなかった。
着いた先は騎士団塔の敷地内にあるガゼボだった。
アイリーンと友達になろうと話した場所とは少し離れたところにある。
そこの手すりに、キースはもたれ掛かるようにしてルピナスの方を振り向いた。
夜の静けさと不気味さを肌で感じながら、ひゅるりと吹く風の音が耳に響く。
「話というは、伯父上からの手紙のことだ。ルピナスにも連絡があっただろう?」
「はい」
「ルピナスの疑問を解消をするためにも、十日後は休暇にするつもりだ」
「お手間をかけさせてしまって申し訳ありません」
淡々と話すキースだったが、その表情が少し険しいことにルピナスはすぐに気が付いた。
じぃっと見られていることを察したキースは、ふっと小さく笑う。
「悪い、まだ嫉妬してる。……子供っぽくてごめんな」
嫉妬の感情を知ったルピナスには、キースの気持ちが理解できる。
だから咄嗟に「いえ……」と言葉を漏らすと、キースが口を開いた。
「俺がルピナスでも同じ選択をしていたと思う。……誰だって、何故転生魔法を使われたのかってことは知りたいだろう」
「………………キース様は、本当にお優しいです」
「そんなことないさ。それと、話っていうのは手紙のことだけじゃなくて、もう一つあるんだが」
「もう一つですか? 何でしょう?」
すると、キースはするりと手を差し出した。
小指以外の指を丸める、独特な形の手に、ルピナスはどう対応して良いものか分からなかった。
「知らないか? 小指と小指を互いに引っ掛けあう──まあ、儀式みたいなものだな」
「儀式、ですか……」
キース曰く、これは指切りと言って、市囲で人気の演劇に出てくる一つの演出らしい。
何か約束を守ると決めたときに、それを誓うための儀式なんだとか。
「キース様、演劇に詳しいんですね」
「いや、マーチスが言っていた。話半分で聞いていたが、今ふと思い出してな」
「なるほど。ということは、キース様には何か約束事があるのですよね?」
(話って、多分そのことよね)
一体何を約束したいのだろう。皆目見当もつかなかったルピナスだったが、キースが暗い表情をしていないので悲しいことではなさそうなので、ホッと胸を撫で下ろした。
「俺とも今度デートをしてくれないか?」
「えっ」
「以前街へ出かけたとき、ルピナスはデートだという認識はなかっただろう? ……だから、正式にルピナスとデートがしたい。……だめか?」
「……っ」
キースの自信と不安が入り混じった瞳。やや縋るような声色に、ルピナスは胸がギュッと締め付けられるのと同時に、迷わずコクリと頷く。
セリオンにデートに誘われたときとは明らかに違う、嬉しさが込み上げてきたものだから、ルピナス自身も少し驚いたほどだ。
「良かった。なら約束だ」
「は、はい! 約束、です」
キースを真似るようにして小指同士を絡める。
そのまま、ルピナスの好きな食べ物や、よく読む本など、何でも良いから知りたいんだと言って微笑むキースに、ルピナスは次々に質問に答えていく。
フィオリナのときと同じもの、変わったもの、それらの変化を、キースが楽しそうに聞いてくれるのが、なんだか嬉しかった。
そのおかげか、アイリーンのことやセリオンのことでぐちゃくちゃになっていたルピナスの頭の中は、幸福に満たされたような気がした。
◇◇◇
ついに迎えたセリオンとのデート当日。
セリオンから、手紙で演劇を見に行くつもりだという旨を聞いていたルピナスは、世話好きのラーニャが髪を結ってくれたこともあって、普段よりも上品な仕上がりで騎士団の入り口を後にした。
(それにしても、なんだかずっと胸がドキドキしてるわね)
化粧をしたから、髪や服が普段と違うから、今からセリオンとのデートだから、という理由もないわけではなかったが。
(今日のキース様は……朝だというのにいつにもまして凄かった)
キースはルピナスに好きだと告げた日から、一日も絶やすことなく、毎日好きだと愛の言葉を囁いている。
それは今日も今日とて変わらず、ルピナスの出発直前に部屋をノックしたキースは、「こんなに可愛いルピナスを他の男に見せたくない」「可愛過ぎて心配になる」などと言って、ルピナスの顔を破顔させた。
(極めつけに、耳元で「好きだ」は狡い……! もう全身溶けるかと思った……)
と、煩悩に塗れていたルピナスだったが、結局今日までアイリーンと話す機会が作れなかったことを思い出すと、一気に気持ちが現実へと戻って来た。
(しっかりしなさい、私。アイリーン様のことはデートが終わってから、また考えよう。とにかく今日はセリオン様に失礼がないように気を引き締めないと)
転生魔法について出会い頭に聞いてしまいたいものの、あのセリオンがわざわざデートを提案するのだから、それはそれで理由があるはずだ。
まずはデートをして、それから本題に入ろうと思っていると、王宮の正門を出たところで、馬車の近くで立っている男性の姿が視界に入る。
地味めの服を着ていても高貴な身分であることを隠しきれずに佇んでいるセリオンの元へ、ルピナスは駆け寄った。