第五十二話 不穏な気持ちと決まった日程
ルピナスの呼びかけが聞こえたのか、アイリーンはくるりと振り返った。
しかしその表情は、驚きよりも気まずさや悲しみを含んでおり、予想外のアイリーンの面持ちに、ルピナスは喉が何かで詰まったように一瞬言葉が出なかった。
「…………っ」
視線は交わっているのに、どちらも声を出すことはない。
それが続いたのは約二秒程度の、ごく僅かな時間だったというのに、ルピナスにはどうしてか、酷く長い時間に感じたのだった。
「あ……アイリーン様……っ?」
そんな中、ルピナスはやっとのことで声を漏らした。いつもより細々とした、まるで窺うような声に、アイリーンは一度会釈すると、スタスタと歩いていってしまう。
ルピナスは追いかけようと思ったが、その先にはアイリーンの同僚と思われる数名のメイドがおり、その集団の中にアイリーンが入っていったことで、声をかけるのは憚られた。
「……っ、アイリーン様……どうして……」
呼びかけたら振り向いてくれた。こちらを見て、確かに目が合った。
いつもならばにこやかに話しかけてくれるのに、気まずそうな、悲しそうな表情を向けられた。
会釈だけをして、逃げるように同僚たちの元へ溶けていった。
──これって、つまり。
「私……嫌われた……?」
一体何をしてしまったのだろう。動揺の中、ルピナスは思案する。
今避けられただけでなく、連絡通路でなかなか会えなかったこと、手紙の返信が来ないことも偶然ではなく意図的だとしたら、それはどうしてなのか。
考えられることといえば、一つしかなかった。
(もしかして、私がセリオン様にデートに誘われたことを知って……)
人気のないバルコニーだったとはいえ、誰かが聞いていても何もおかしな話ではなかった。
もちろんアイリーンがその話を聞いていた確証はないものの、ルピナスにはそれしか考えられなかったのだ。
(アイリーン様はセリオン様に恋をしている。それを知ってる私が、いくら理由があってもデートの誘いを受けたら、嫌いになるのも不思議じゃない)
転生魔法については伏せて話していたので、アイリーンが勘付くはずもなく、ルピナスはせっかくできた友人に嫌われてしまったのかもしれないと、全身からすっと熱が消えていくように感じた。
(待って……落ち着け私……。全部仮定の話だし、今はお互い仕事中……ここで突っ立っていても何も生まれない)
一旦深呼吸をして自身を落ち着かせると、資料を近衛騎士団員に手渡して、ルピナスは第一騎士団塔へと戻って行った。
◇◇◇
その日の夕食後、アイリーンについて頭がごちゃごちゃになるくらい考えていると、小さなノックの音に立ち上がった。
「はい。どうぞ」
「ルピナス様、今さきほど手紙が届いたので持ってまいりました」
「ごめんねラーニャ、わざわざ……。ありがとう」
「いえ、部屋も隣ですし、ついでですから!」
まだ再会してからそれほど日にちが経っていないため積もる話はあるものの、手紙を読みたいだろうとラーニャは直ぐに下がった。
それからルピナスは手紙の差出人を確認すると、封を切って読み始めた。
「…………なんというタイミング……」
ぽつり。最後まで目を通すと、ルピナスは頭を抱える。
「デートの日にちが決まってしまった……」
──実のところ、ルピナスは考えた結果、セリオンとのデートを断ろうと思っていたのだ。
もちろん自身が生まれ変わった理由は知りたかったので、セリオンにどうにかデート以外の方法で転生魔法を使った理由を教えてもらえないかと頼み込むつもりだった。
しかし、手紙には十日後に休暇を作ったため、その日にデートをしようと書かれている。同日、ルピナスも休暇にするよう、セリオンは既にキースに手紙を送ったとも。
「一足遅かった……」
セリオンは多忙だ。アスティライト王国で五本の指に入るぐらいに多忙で、休暇を作るのもそう容易くはない。
そんなセリオンが既に休暇を作ったと言って、キースに根回しまでしているのだ。
「ここまでされて、もう断れないよね……。私が一度デートの話を飲んだから……。あのときの私によく考えろって言ってやりたい」
しかし、後悔時すでに遅し。
十日後までにアイリーンには再び手紙を送り、時間ができたら会いに行って話をするしかない。
(……いや、けど知らなかったとしたら、わざわざアイリーン様が傷つくことになるのでは?)
アイリーンに避けられている理由が確実ではない以上、わざわざ「貴方の好きな人とデートするのよ」なんて伝えるのは、どうだろう。
(私は伝えたことで義理が果たせてスッキリするけれど、それってただの自己満足よね。……うーん、けど、私とセリオン様に他意は無いわけだし、黙っている方がやっぱり変……うーん……)
何が正解なのか分からず、本来頭を使うより体を使うほうが得意なルピナスは、手紙をテーブルに置くと勢いよく立ち上がった。
「よし、走りに行こう!」
うだうだ考えても、今はどうすることも出来ないのだ。
けれどゆっくりしていると考えてしまいそうなルピナスは、走ることで少しばかり悩みから解放されようと思ったのだった。
「鍛錬場じゃ小さいし……騎士団塔の周りでも走ろうかな」
まだ見習い用の騎士服を着ていたので、ルピナスは着の身着のまま部屋を飛び出した。
しかしそこで、ちょうど部屋を訪ねてきた人間とぶつかったルピナスは、その人物の胸辺りに顔を埋める形になり「ぶほっ」と声を上げてから、そろりと見上げたのだった。
「ルピナス、そんなに勢いよくどこに行くつもりだ?」
「キース様……何故こちらに……」