第四十九話 団長様は自惚れる
団長室へ帰宅後のこと。もう深夜だというのに、キースは形振り構わず酒を煽った。
「あーー……くそ……」
ゴトン、手荒にグラスを置くと、ほんの少しだけテーブルに酒が溢れる。割と几帳面なキースは普段ならばすぐに拭くのだが、今はそれどころではなかった。
「ルピナスが可愛すぎて辛い……」
馬車でルピナスの口から予想外の発言が飛び出した後、その話題は直ぐさま別のものへとなった。
というのも、発言の重大さを理解したルピナスが、その瞬間からキースが割って入れないくらいに口早に雑談を始めたからである。
ルピナスの照れ隠しなのだろうと理解したキースは、敢えて相槌を打つだけにしたものの、内心はそれどころじゃなかった。
(もしかしてルピナスは、俺のことを好いてくれているのか)
そう、何度も何度も自惚れてしまいそうになるのだ。
幼かった頃は何をやったってそういう目でさえ見てもらえなかったというのに、もしかしたら両思いかもしれないと思わせる発言をされたら、そりゃあ期待して、自惚れて、酒の一杯や二杯煽りたくなるのも仕方がないだろう。
(……いや、期待しすぎるのは良くない。だが、キスをされるのが嫌じゃないっていうのは、どう考えても……)
結局その発言の真意には触れることがないまま、悶々とした状態で騎士団塔に到着し、ルピナスを部屋の前まで送っていって別れたのが大凡、半刻前のことだ。
空になったグラスに再び酒を注いだキースは、酔わないのを良いことに、まるで水を飲むかのようにゴクゴクと喉に流し込んでいく。
「少しだけ待ってほしい、か……」
ルピナスのその発言の意味を、一人きりの部屋で、キースは考える。
焦らしてみようだなんて小悪魔的な考えが出来ないことは大前提として、何か先に解決しなければいけないことがあるとすると、一つしか思いつかなかった。
(おそらく、伯父上のことだろうな)
セリオンの顔を思い浮かべてキースは、彼との出会いを思い出した。
あれは、キースが六歳になる手前だっただろうか。
キースは当時、母親から勉強を強いられていたので、父の仕事について王宮に出向くことは殆どなかったが、一度だけ王宮に付いていったことがあった。
公爵家の屋敷よりも何倍を広い廊下を歩く最中、ふと騎士団塔の庭にある大きな大木が目に入った。
──大きな木だ。僕の何倍あるんだろう……。
キースがそんなことを思っていると、ふと大木の下に見える二人の男女の姿を視界に捉えた。
隣を歩く父の目にも偶然止まったようで、そのとき初めて、キースはセリオンの存在を知ることになる。
「まさか、あのとき伯父上と話していたフィオリナが、俺の専属護衛騎士になるだなんてな」
あのときのセリオンがフィオリナに向ける眼差しは、何故か幼かったキースの記憶に深く残っている。
初見でも、隣の女性のことが好きなのだろうと分かるほどに、熱っぽい視線を向けていたセリオン。
後にフィオリナが専属護衛騎士になり、セリオンから求婚されたという話を聞いたときは、驚きよりも納得のほうが大きかったのも、それを見たせいだろう。
(伯父上は、あのときからフィオリナのことが好きだったんだろうな。間違いなく、求婚も冗談ではなく本気だったんだろうが)
ルピナスはずっと、あのときの求婚を冗談だと信じて疑っていない。
だから、セリオンが転生魔法を使った意味も分からないのだろう。
「デートか。そのときに転生魔法を使った理由を話すと言われたんだよな。……ということは、つまり」
ルピナスは、セリオンの本心を知らない。本気で愛をぶつけられたときに、ルピナスはどんな反応をするのか、自身の中で最悪の想定をしたキースは、グラスを口につけたままぼんやりと窓の外を眺める。
(行かせたくない。……伯父上の本当の気持ちを知ったら、もしかしたら……)
けれど、自分が生まれ変わった意味を知る権利が、ルピナスにはある。
そうしないと、ルピナスも前には進めないのだろう。
「……ハァ、何であの人なんだ」
地位も名誉もあって、キースよりも経験豊かで聡明で、どこをとっても非の打ち所がないような、そんなセリオン。
そんなセリオンが今度こそ本音を打ち明けるのだろうと思うと、キースは重たいため息が漏れた。
◇◇◇
舞踏会から一週間が経った、昼下りのことだった。
「アイリーン様に……会えない……」
「ルピナス、ぼーっとしてるけど、大丈夫?」
「ああ、ごめんねコニー。さっさと洗い物しなくちゃね」
昼食後、一部の団員が王都の巡回に向かった中、ルピナスはコニーと共に洗い物をしていたのだが、まだまだ残っている皿たちを見て、苦笑いを漏らした。
「アイリーン様って……前にルピナスが助けたあのメイドの?」
「ええ。話したいことがあったんだけど、中々会えなくて。まあ、職場が違うんだから、仕方がないんだけど」
何も約束をした訳ではないのだから、会えないのはおかしな話ではないのだが。
しかし偶然にも、今までは一週間に一度くらいは会えていたので、ルピナスはタイミングの悪さに頭を悩ませていた。
(これは手紙を出して時間を作ってもらうしかないかな)
互いに仕事終わりなら少しは時間が取れるだろうし、その方が良いかもしれない。
そうと決まれば、今日にでも手紙をしたためようと思っていると、「ルーピちゃんっ」と背後から呼ばれたルピナスは、手に泡がついたままということもあって、顔だけを振り向かせた。
「マーちゃん、お疲れ様です」
「お疲れ様ぁ〜! ルピちゃんもコニーも、いつも真面目で偉いわねぇ〜! んもぉっ! ちゅーしたくなっちゃう!」
ルピナスの体に背後から腕を回し、口を窄ませる素振りをするマーチスだったが、その直後「ぶへぇあっ」とあまりにも不細工な声を上げることとなった。
「本当にしたらその口斬り落としてやる」
「! キース様も! お疲れ様です……! って、マーちゃん大丈夫ですか!?」
どうやらルピナスを抱き締めていたマーチスは、背後からキースに横腹を殴られたらしい。
床に寝転がって寝返りをゴロゴロと打ちながら、「いだいわよぉ〜うぐぐぐぅ〜」と悶絶しているところを見ると、相当な威力だったようだ。
「ルピナス、流石にマーちゃんが可哀想だから、他の部屋に連れて行くよ。少しの間洗い物任せても良いかな?」
「ええ。もちろん」
(コニーくらいね……第一騎士団でマーちゃんをまともに扱うのは)
コニーにだけはずっと人畜無害の爽やかで優しい青年でいてほしいと、ルピナスは心の底から思った。
そして二人きりになった直後、キースの雰囲気が少し変わったことを、ルピナスは敏感に悟ったのか、脳内をサッとマーチスたちからキースへと切り換える。
「洗い物が終わったら、少し話があるんだが良いか?」
「はい。大丈夫です」
(キース様、何かあったのかな)
舞踏会での日以来、嫉妬のことや、自身の重大発言、彼への想いに気付きかけていることもあって、キースの顔を見ると全身が熱くなるような感覚に陥っていたルピナスは、実はあまり二人きりにならないよう避けていた。
だが、今日のキースはそんなことを言っている場合ではないと感じたのだ。
いつもの甘ったるい雰囲気ではなく、ほんの少しだけピリ付いている姿は、中々見ることはなかった。
「それでキース様、お話って……」
そして、洗い物が終わってから団長室に向かい、ソファに腰掛けた直後、問いかけたルピナスの耳には、いつもより低いキースの声が響いた。
「レギンレイヴ家について話がある。舞踏会後の変化について、話しておきたい」