第四十六話 怒りの騎士様
「俺が愛してやまないですって! きゃー!」と令嬢たちの黄色い声がその場に響いた。
元からキースを好いていた令嬢たちの中には「あんなことを言うお方だなんて……!」とショックを受ける者もいたが、それらの声全て、ルピナスの耳にはあまり届かなかった。
キースの存在に、そしてキースの言葉に意識を奪われたからである。
「ちょ、キース様! 皆様の前で一体何を……!」
「言っただろ。毎日伝えるって」
「だとしても場所を選んでください……!」
「それは悪かった。……で、何があった? そこに居るのは君の妹だろう?」
顔は全く似ていないので、レーナがルピナスのことを「お姉様」と呼んでいたのが聞こえたのだろう。
ルピナスに向ける温かな眼差しとは正反対の冷ややかな瞳をレーナに向けるキースの声は、普段に比べて幾分か低く、この場にいるルピナスだけがそれを感じ取ることが出来た。
(結局キース様にご迷惑をかける形になってしまった……)
ルピナスは質問に対してドルトのことを含めて端的に話すと、怒りを隠すことなくみるみるうちに眉を顰めるキースに、言葉尻が小さくなっていった。
最後に堪らず、「騒ぎを起こして申し訳ありません」とぽつりと呟くと、肩を抱いていたキースの手が頭に伸びてくる。
整えた髪の毛を崩さないように優しい手付きでよしよしと撫でられたルピナスは、人前だということもあってポッと頬を赤らめた。
「ルピナスが謝ることじゃない。どう考えても君に非はないし、むしろ、妹の婚約者に無理矢理手を握られたり、妹に罵詈雑言を浴びせられたり、謝罪するのは、あちらだろう」
「それは……そうかもしれませんが……」
キースはちらりと、膝をついたレーナに視線を寄せた。
驚きと屈辱、そして妬みがひしひしと感じられるレーナの表情に、反省の色を一切感じることが出来ない。
ルピナスから家族の話は聞いていたのでそのことには驚かなかったが、こんな家族のもとで今まで暮らしてきたルピナスのことを思うと、胸がギュッと締め付けられた。
「何よ……っ、何で『氷の騎士様』が、お姉様なんかをパートナーに選ぶのよ!! 何でそんなに仲良さげなのよ!! どう考えても不釣り合いじゃない!! 何様よ!!」
そしてキースが現れてもなお、未だにルピナスを侮辱するのを止めないレーナに、キースの額に青筋が浮かんだのだった。
「君こそ何様のつもりだ。ルピナスのように優しく、美しく、教養もあり、騎士見習いの立場で名誉騎士の称号を手にした彼女のどこが、俺に不釣り合いだと? むしろ俺には勿体ないくらいの素晴らしい女性だ」
「え……名誉騎士って、ほんとにお姉様が……」
「俺はこの世で彼女より素晴らしい女性はいないと思っているし、未来永劫それは変わらないだろう。……そんな彼女をよくも今まで傷つけてきたものだな。よほど死にたいのか」
「ヒィッ!!」
ようやく、キースの怒りが伝わったのだろう。
恐怖に満ちて蒼くこわばった顔をしたレーナは、全身がぷるぷると震えている。
周りの貴族たちの中にもキースの発言に怯えているものがいたので、ルピナスが控えめに「あの」と声をかけると、キースは優しい瞳でルピナスを見つめ返した。
「安心しろ。騎士団長として、貴族としても超えてはいけないラインは分かっている」
「は、はい。……安心しました」
「が、こんな妹のことなんて心配しなくて良いものを、ルピナスは本当に優し過ぎるな」
キースがそう言うと、周りの貴族たちが再び騒ぎ始めた。
「今までってことは、今日だけじゃなくて前からあんなふうに心無い言葉を言われていたのか!?」「お二人は本当にお似合いですわ! レーナ様は何を戯言を言っていらっしゃるのかしら」「というかさっきの愛のお言葉聞きまして!?」などなど、様々に口にする貴族たちに、ルピナスはキースからの褒め殺しを思い出してそっと口元を片手で隠してから数秒後、改めて口を開いた。
「キース様、私のために怒ってくださってありがとうございます。けれどもう良いのです。今日のところは妹にはもう帰ってもらいましょう。これ以上騒ぎを大きくしたくはありませんし」
「……まだ謝罪の言葉を聞いていないが」
「はい。構いません」
ルピナスとしての人生は、決して楽しいことばかりではなかった。家族に愛されず、使用人にも冷たくされて、ラーニャが居なければ心が壊れてしまっていたかもしれない。憎い気持ちもあるし、別に許すつもりはなかった。
けれど、ルピナスはフィオリナとしての記憶を思い出し、キースと再会出来た。女友だちもできた。騎士見習いとして過ごす日々はとても有意義で楽しくて、今なんてこれ以上ないくらいキースに愛されている。
「私は今幸せなので、正直、妹も元婚約者も両親も、心底どうでも良いのです」
「………………そうか」
「それに、舞踏会でこれほど騒ぎを起こして評価を下げたら、ダイラー次期侯爵様もレーナも、今まで通りとはいかないでしょう」
「あとそれと」とルピナスは言葉を続ける合間に、パッと自身の顔を両手で隠した。
隠しきれていない耳が、熟した苺のように真っ赤に染まっている。
「キース様がいつもの調子で甘い言葉を言うから……もうこの場を去りたいです……」
「……可愛い。それなら二人きりになれるところに行くか?」
「それは誤解を生むからやめてくださいませ……」
キースとしては周りへの牽制のために言ったのだが、ルピナスがあまりにも恥ずかしそうにするものだから、これはこれで良いとして。
「それなら、俺たちは一旦下がろうか」
そうルピナスに声をかけて、キースはより一層力強くルピナスの肩を抱く。
もう流石にこれ以上、ルピナスの妹が戯言を吐くことはないだろうと、そう思っていたというのに。
レーナは、ルピナスとキースの想像を遥かに超えて愚かだった。
「け、けど、お姉様には醜い傷跡があるわ! きっと見たら悍ましくて嫌いになるわよ! ……それに私のほうが可愛いし……! あっ、良いことを思いついた! お姉様ではなく、私がパートナーに、いえ、婚約者になってあげても宜しいわよ!!」
「「は?」」
想像の斜め上。もう遥か遥か斜め上の発言に、二人は口をあんぐりと開けた。
ルピナスが折角この場を収めようとしているというのに、何をどう考えればその発言が出てくるのだろう。
(今屋敷に戻れば、最小限の被害で済んだはずなのに)
心底呆れたと、ルピナスは小さくため息を吐いた。
もはやレーナは自暴自棄になっているのかもとも思ったが、彼女の自信満々の瞳からは本心だと言うことが分かる。
そんなルピナスの隣りにいるキースの地面に響くような低い声が、その場にずんと響き渡った。
「ルピナスの傷跡は、彼女にとっても、俺にとっても掛け替えのないものだ。嫌いになるなんてあり得ない。……ましてや、ルピナスを傷付ける君を婚約者だって? 寝言は寝て言え。いや、寝言でも言うな不快だ」
「……っ、そ、そんなぁ……」
ここまでバッサリと斬られてしまえば、流石のレーナもゆっくりと口を閉じた。
哀れみや嫌悪、好奇の視線が溢れんばかりにレーナに向けられる中で、ルピナスは貴族たちが何かざわつき出したことに気が付いた。
「キース様、何だか皆様が避けていって……」
「……ああ、本当だな」
まるで道を開けるように動く貴族たち。すると、その作り上げられた道から現れたのは、綺羅びやかな仮面をつけた少女だった。
「あ、貴方様は……」
少女に道を作った貴族たちと同様、正体を知っているルピナスは、ぽつりとその名を呟きそうになったが、ハッとして口を閉ざす。
(仮面を付けていらっしゃるときは敬称でさえ呼んではいけない習わしだったっけ。危ない危ない……)
周りもそのことを知っているのか、頭を下げて少女を見守るだけだった。そもそも、こちらから声をかけることさえ不敬なのだが。
ルピナスはもちろん、キースも少女の正体に気が付いているようで、すっと頭を下げて一歩下がる。
ルピナスもキースに続くと、座り込んだまま得体のしれないものを見るような瞳を向けるレーナだけが、その場に取り残された。
少女は整った唇の端をキュッと上げると、レーナを見下ろしたのだった。
「貴方、お名前は?」
「……は? 誰よあんた。何よその変な仮面! ていうか、人の名前を聞くなら自分から名乗りなさいよ! 常識でしょ!?」
キースにバッサリ言われたことで、取り繕うのもさえもやめたらしいレーナの汚い言葉が少女に届く。
──いや、常識がないのは君だよ!
とその場にいる全員がそう思ったが、少女が片手を上げて制しているので、誰もそれを口にすることはなかった。
(レーナ、家庭教師の先生から逃げ回っていたのは知っていたけれど、まさかあのお方の正体にも気づかないなんて……)
大凡、少女は騒ぎになっているので見に来たのだろう。
もしかしたら、こういう荒れた場を上手く収めるのも経験だとか言って、来るよう指示されたのかもしれないが。
(あり得る。派手好きなあのお方がそう指示するのは大いに有り得る)
そんなことをルピナスが思っている中、少女は口元の笑みを崩さずにいる。
初めて出会ったときは心優しいが、まだ子供らしくて気の強い一面があると思っていたが、どうやら公の場ではそんな面は見せないらしい。
「そう、常識。常識よね。──どうやら、貴方と私ではその常識が違うみたいだから、名乗って差し上げるわね」
「な、何よさっきから偉そうに──って、あれ?」
そこで、レーナはようやく周りの様子に気が付いたらしい。
全ての貴族たちが少女に対して頭を下げていること、もちろん、公爵家の令息であるキースまでもがだ。
アスティライト王国では大公は居ないので、公爵家よりも格が上となると、それは──。
「初めまして。ルピナスの友人で、この国の第一王女であるリリーシュ・アスティライトよ。さあ、これで貴方も名乗ってくださる?」