第四十三話 あっちでもこっちでも
セリオンにエスコートされたまま歩き、数分前までキースと共にいたバルコニーに右足を踏み込んだときだった。
(待たせてしまったから、謝らないと)
そんなふうに考えていたルピナスだったが、目の前の光景に、ぴたりと足を止めた。
『氷の騎士様』と称されていたキースが隣にいる令嬢と、楽しそうに話しているからである。
「キース様……?」
「おや……もしかしてお邪魔だったかな」
そんなルピナスとセリオンの声に気が付いたキースは勢いよく振り返ると、ルピナスの隣にセリオンが居ることに眉を顰めた。
令嬢は二人の登場に、否、ルピナスの登場にポッと頬を赤らめると「失礼いたします……っ!」と頭を下げてから、焦ったようにその場を立ち去っていく。
(その反応……どういう……)
まるで、何か気まずいことを隠すように。そんなふうに感じたルピナスは一瞬言いようのないもやりとした感情に支配されたが「大丈夫かい?」とセリオンに声を掛けられたことで、はっとして意識をキースたちへと戻した。
「ルピナス、王弟殿下と共にいたのか」
「は、はい。人に囲まれたところを助けていただきました。……お待たせしてしまって申し訳ありません、キース様……」
動揺を胸に抱えたまま、まずは謝罪をしたルピナスだったが、キースは先程令嬢に向けていた笑みとは違う不機嫌な表情でルピナスたちを見つめると、そっと手を伸ばす。
その手はルピナスの手首を掴むと、ぐいっと自身の腕の中に引き入れたキースに、ルピナスは「うえっ!?」と淑女らしからぬ声を漏らした。
そんな中、キースは剥き出しになりそうな感情を必死に抑え込んで、静かにセリオンへと視線を寄越した。
「王弟殿下、俺のパートナーを助けていただいてありがとうございます。……しかし、もう俺が付いていますのでご安心ください」
「……礼を言われるほどのことではないよ。それに、私としては彼女とデートの約束を取り付けられたから、むしろ幸運だったな」
「──は? デート?」
ふ、と小さくセリオンは笑う。
キースは奥歯をギリ……と噛み締めると、口を開こうとした。
しかしそれは、セリオンに声を掛けてきた彼の近衛騎士によって遮られたのだった。
「済まないが、もう私は行かなければならない。ではな、キース。それと」
セリオンはキースに抱き締められているルピナスの耳元に顔を近付けると、小さな声で囁いた。
「──デート、楽しみにしているよ。フィオリナ」
そんな言葉を残して、セリオンは近衛騎士と共にバルコニーを去っていく。
瞬間、僅かに自身を抱き締めている腕の力が緩んだことに気がついたルピナスはそこから抜け出すと、二歩ほど後退してキースと距離を取った。
普段の恥ずかしいから、なんて理由ではなく、何故か先程の令嬢に向けるキースの笑顔が頭にチラついたからだった。
「どうして離れるんだ。……それと、何だ、デートって」
キースの不機嫌な声色の一方で、会場から聞こえる音楽に、一曲目のダンスが始まろうとしていることが分かる。
皆、会場の中心に目を奪われる中で、二人きりのバルコニーに響いたのは、ルピナスの普段よりも幾分か低い声だった。
「キース様には、別に関係ありません」
「…………!」
「あっ……」
(私ったら、なんて言い方を……)
そんな言い方をするつもりなんてなかった。けれど、何故か胸がもやもやとして、意図とせずきつい言い方をしてしまったルピナスは、謝罪もできずに俯いてしまう。
「関係がない、か。……そうだな。確かに、ルピナスが誰とどこに出かけようが、何をしようが、俺がそれを止める権利なんてない。だが」
キースが歩みを進めるのと比例して、ルピナスはじりじりと後退った。
(キース様、何だか怖い……)
ただ近づいて来るだけなのに、今まで向けられたことがない、どす黒いオーラを感じ取ったルピナスは背筋が粟立つ。
肩甲骨あたりに手すりがコツン、と当たると同時に、逃げ場を無くしたルピナスは、反射的に顔を上げると、すぐそこにあるキースの表情に息の仕方を忘れそうになった。
(まるで、泣くのを我慢しているような……)
胸がギュッと掴まれたような感覚が、ルピナスを支配した。
「好きなんだ。……ルピナスが好きだから、自分以外の男とデートをするなんて言われたら、どうしようもなく気になる」
「……っ」
「…………ただの嫉妬だ。格好悪くて済まない。だが俺は、みすみすルピナスをあの人とデートに行かせるほどの余裕はないよ」
それは縋るような声だった。ルピナスは視線をキースと絡め合ったまま、未だに制御できない感情のままに口を開く。
「そんなの、勝手、です」
「ああ。分かっている。俺はルピナスの婚約者でも何でもな──」
「そうじゃなくて……! キース様、さっきご令嬢と楽しそうに話してたじゃないですか……! それなのに嫉妬だなんて……そんなの……っ、……って、あれ?」
キースの瞠目した顔が瞳に映されたと同時に、そこでようやく、ルピナスは自身のもやもやの正体を理解した。
(私……嫉妬してたんだ。キース様が、私以外の女性に微笑みかけているだけで)
一途に愛する女性以外には一切興味を示さず、冷たいというのが、キースが『氷の騎士様』と言われる所以である。
それは周知の事実であり、現に街へ出かけたときも、今日も、キースは女性に対して必要最低限のことしか話さず、笑いかけることなんて以ての外だった。
「……ルピナス。それって」
ああ、なんて自分は浅ましい人間なのか。キースの告白を保留にして、嫉妬はするなんて。
冷静になれずにきつい言葉を吐いて、自身の感情も制御出来ないなんて。
(私……最低だ……。こんな私を、キース様は呆れていらっしゃるんだろうか)
そう思って、不安と自己嫌悪に駆られていたというのに。
「まるで俺がさっきの令嬢と楽しそうにしていたことにやきもちを妬いたというふうに聞こえるんだが……俺の自惚れじゃないよな」
そう言って、キースが口元を片手で覆い隠して、気恥ずかしそうに目を細めるものだから、ルピナスの胸の中心あたりがきゅうっと音を立てた。
そしてそのとき、ふとカフェテリアで話したアイリーンの言葉が、頭に浮かんだ。
『そもそも恋とはなんなのでしょうね』
『それは──醜い感情も持ってしまうことでは無いでしょうか。例えば、ちょっとしたことでも嫉妬してしまったり』
ルピナスは、アイリーンの言葉に、ぶわりと顔が熱くなった。痛いくらいの胸の高鳴りのせいでか、コクリと頷くことで精一杯だ。
けれど、どうやらキースにはそれでも十分だったようで、ルピナスの頬にそっと骨ばった指が伸ばされる。
「今、正直、夢かと思うくらいに嬉しい」
「……っ、呆れてはいないのですか……?」
「何故? 俺と同じようにルピナスも嫉妬したことに、どうして呆れなきゃいけないんだ。今すぐこの喜びを叫びたいくらいには、嬉しくて堪らない。……今も必死に冷静を装っているだけだ」
「…………っ」
頬を染めて瞳を潤ませるルピナスに、キースは「あまりその顔をするな」と言ってから、頬に伸ばしていた指で彼女の唇を優しくなぞった。
「そんな可愛い顔、もしも他の男に見られたらと思うと嫉妬で狂いそうだ」
「……っ、そんなもの好き、キース様くらいです」
「……鈍感。ルピナスは自分の魅力に本当に気づいていないんだな。さっき人に囲まれていたと言っていたが、殆ど男じゃなかったか? それに、あの人も──」
キースが言うあの人がセリオンだということは分かる。
けれど続く言葉が分からなかったルピナスが何度か瞬きをすると、キース様は、ふぅ、と小さく息を吐いてから話を少し逸した。
「さっきの令嬢のことだが、あれは彼女が御前試合でのルピナスを見て、その強さに惚れたらしい。憧れ過ぎて君に直接話しかけられないから、格好良かったですと伝えてくれないかと頼まれたんだ」
「えっ!?」
「だから、俺が楽しそうにしていたんだとしたら、それは話題がルピナスのことで、このことを伝えたら君が喜ぶだろうと思ったからだ」
予想外の内容に、ルピナスは口をあんぐりと開けてしまう。
(確かにさっきのご令嬢、私を見て頬を赤らめていた……まさかキース様と話していたからじゃなくて、私と会えたことで赤面していたなんて……)
理解すると、ルピナスの脳内には自己嫌悪の文字が色濃く浮かぶ。
「申し訳ありませんキース様……! 先程の非礼、お詫びさせてください……!」
「その必要はない。ルピナスの嫉妬が知れて、むしろ得した気分だ。だが、良ければ王弟殿下とデートすることになった経緯を教えてくれないか? 無理なら……構わないが」
やや揺らぎのある瞳でそう問われれば、そういえば説明していなかったとルピナスは頭を抱えてから、デートすることになった経緯を説明することにした。
どうしても、転生魔法を何故使ったのかを知りたいという気持ちにキースは納得したのか「なるほど」と呟いてからほっと胸をなでおろしたようだった。
「まあ、事情が事情だから仕方がないし、俺が止める権利もないが……気をつけろ」
「はい。セリオン様に変な噂が流れないように気を──」
「そっちじゃない。君はえらくあの人に気を許しているようだが、あの人も男だ。……何かあったらどうする」
「あははっ。その心配はないかと。大きな声では言えませんが、これでも昔は仲の良い友人だったわけですし」
「それなら普通、デートに誘わないだろう」と、キースは嘆くように呟いたものの、それはキースに挨拶に来た男性の声によって被せられたため、ルピナスの耳には届かなかった。
その男性と何やら仕事の話を少し交わしてから、キースはバツ悪そうにルピナスへと向き直る。
「ルピナス、悪いが少し席を外しても大丈夫か? どうにも長くなりそうでな」
「はい。もちろんです」
「……俺から離れないでくれと言っておきながら、本当に悪い。すぐに戻ってくるから、良い子で待っていてくれ。あ、そうだ」
キースは男性に先に会場内に戻ってもらうと、ルピナスの耳元でそっと囁いた。
「もし君にちょっかいを出す男がいたら、名前だけ聞いておいてくれ」
「えっ。名前を聞いて、どうするおつもりで……?」
「……ふ、さあな。ルピナスは知らなくて良い」
耳に残る心地よい低い声でそう囁いたキースは、「後で」と言って会場内へと歩いて行った。
「……いや、もう声を掛けて来る人なんて……」
居るわけが……と、続けるはずだったルピナスの声は、直後喉で詰まることになった。
「初めまして。麗しいご令嬢」
まさか、彼が声を掛けてくるなんて、ルピナスは想像もしていなかったから。
読了ありがとうございました。
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