第四十一話 舞踏会で飛び交う噂
ついに迎えた舞踏会当日。
キースが事前に公爵家の使用人を手配してくれていたおかげで、ルピナスはドレスや化粧で完全武装をし、舞踏会に参加していた。
前世でも舞踏会の警備には当たったことがなかったルピナスは、初めて足を踏み入れた綺羅びやかな会場に口をあんぐりと開けてしまいそうになる。
「ルピナス、緊張しているか?」
「いえ。凄いなぁとは思っていますが、緊張はそれほど」
「なら良かった。陛下たちに挨拶をしたらゆっくりできるはずだから、それまで頑張ってくれ」
「はい。かしこまりました」
ルピナスは社交界に出たことがないことをキースは知っているので、事前に大まかな流れの説明を受けている。
マナーにも問題がなく、人前でもそれほど緊張することがないルピナスは、堂々とした姿で御前試合でも対面した国王と妃に挨拶を済ませると、その歓迎ぶりにホッと胸を撫で下ろした。
「ふぅ、とりあえず問題なく挨拶が済んで良かったです」
「ああ。陛下、俺たちを見て相当驚いていたな。御前試合の優勝者同士がそういう間柄だったとは、って偉く楽しそうだった」
喉をくつくつと鳴らして笑うキースに、ルピナスは怪訝そうな瞳を向けた。
「キース様……否定しませんでしたね。あれでは誤解されてしまいます」
「否定したらしたで、それなら本当に婚約者になれば良いとかなんだとか、長話に付き合うことになると思ってな」
──確かに、それはあるかもしれない。
初めての舞踏会で国王と長話をするなんて目立ってしまうので、キースはそれを懸念して話を流したのだろうとルピナスは納得すると、ふと周りの視線に気がつく。
綺羅びやかな王宮の大広場、その中心辺り。舞踏会参列者の殆どが揃い、各々軽食を摂ったり、会話に夢中になったりしている中で、数多くの視線がルピナスとキースに注がれているのだ。
「キース様、社交場に出るといつもこんなに注目されるのですか?」
「……ルピナス、この視線が俺だけに向けられているものじゃないことくらい、君には分かるだろ?」
「…………」
(分かるけど……だって、おかしいじゃない)
ルピナスが今まで、いつも向けられていた視線は、家族からの嘲笑うものや、元婚約者からの憎悪を含むものばかりだった。
騎士見習いになってからは優しい第一騎士団の騎士たちのおかげでそんな不快な思いをすることはなかったが、ルピナスはそれが当たり前ではないことを知っている。
前世の記憶も含めればそれなりに生きているので、自分とはなんの関係がなくても好奇の目を向けてくるものは多いのだ。
(それなのに、これは……)
ルピナスはそういう意味では人に向けられる感情に機敏だ。
だから、今貴族たちから向けられているものが、今までとは大きく異なったものだということが分かる。──信じられないだけで。
しかし微かに聞こえてくる貴族たちの声に、それは疑う余地がなくなるのだった。
『あれがレギンレイヴ家の長女の……なんとも美しい』
『確か騎士見習いで名誉騎士の称号を受け取ったんでしょう? 素敵だわ……是非お友達になりたい!』
『傷物令嬢だという噂があったが、あれだけ美しく栄誉ある称号まで持っているとなると……そんなことは些細なことだな』
『両陛下へ挨拶するときの堂々とした美しい所作とお言葉……どちらの先生をつけていらっしゃるのかしら』
『……聞くところによると、ハーベスティア公爵令息の同伴者なだけで婚約者ではないんだとか。後で声をかけてみようか』
御前試合で優勝したあとに仲間内で褒められたのと違う感覚に、やりづらそうに目線を下げるルピナス。
そんな彼女に、キースはサッと手を出した。
その優しい表情に、『氷の騎士様』の異名は今日無くなるのでは、なんてルピナスは思いながら、おずおずと手を重ねる。
「ルピナス、君が今まで頑張ってきたことは、きちんと報われている。当然のことで、何も不思議なことじゃない」
「…………キース様……」
キースの言う今までという言葉には、フィオリナも含まれているのだろう。
フィオリナとして、ルピナスとして努力をしたことが報われるのは当然だと、さも当たり前のように言ってのけるキースに、ルピナスの胸のあたりがじんわりと温かくなる。
「折角だから楽しんでほしい。料理を食べたり、ダンスも踊りたければ踊ろう。……酒だけは全力で止めるが」
「……もうお酒は飲みません!」
中には『傷物令嬢のくせに』だとか『俺のほうが強いはずなのに』なんて敵対視する目線だってあるにはある。
けれどそんなごく一部の悪意に、尻込みするほどルピナスは弱くはない。
「……こんなに注目を浴びるのも始めだけでしょうし、折角ですので目一杯楽しみます!」
「ああ。何かあっても俺が守るから、大丈夫だ。……だから、今日はできるだけ俺から離れないでくれ」
「……っ」
手の甲に口づけを落とされ、色香の含んだ声色でそんなことを言われたら、ルピナスはせっかく綺麗に化性をしてもらったのに、全身から羞恥の汗が吹き出しそうだ。
周りから『氷の騎士様が笑ってらっしゃるわ!?』『雪解けは本当だったのね……』なんて話す令嬢の声が聞こえてくることも相まって、ルピナスは会場中の目線や声よりも、キースに意識を持っていかれる。
気を抜けば常に赤面してしまいそうだ。キースのせいで。
(こういうときは他のことに集中するに限る。食事よ……そうよ、食事をしましょう、うん)
そうしてルピナスは、ときおり自分たちに対して話しかけてくる貴族に挨拶を返ししつつ、普段は食べられないような贅を尽くした食事に集中しようと躍起になるのだった。
それから、ルピナスたちは会場の端にある薄暗いバルコニーへと移動することにした。
キースは以前から、舞踏会に参加する際は令嬢から逃げるようにここに避難しているのだとか。
「けれど今日は、キース様個人にというより、ハーベスティア家の代表として挨拶に来る方ばかりではないですか?」
そろそろ空になりそうなグラスを持ちながら、心地良い夜風にすっと目を細めたルピナスが、そう問いかけた。
「それはそうだろう。こんなに美しい女性と一緒にいて、平然と話しかけてくる方がどうかしている」
「……キース様、今日は特に褒め過ぎです」
「これでも我慢しているんだが」
「我慢」
(しれっと……しれっと言うんだから……っ)
今日のルピナスは、事前にキースから贈られた瑠璃色のドレスに、髪の毛はざっくりと編み込んでからサイドに流している。
儚げで清楚な佇まいに、堂々とした立ち姿と美しい所作は、見る者の目を奪った。
「そ、そういえばドリンク! ドリンクが無くなったので、私貰ってきますね!」
「ルピナス、おい──」
口を開けば「可愛い」「美しい」と褒め殺しをしてくるキースに耐えきれず、ルピナスは逃げ出すように小走りで会場内へと戻った。
(あ、そういえばアイリーン様も来ているのよね。桃色のドレスを着るって言っていたっけ)
カフェテリアに行った際、アイリーンも同じ舞踏会に参加すると話していたことを思い出したルピナスは、目的のドリンクを受け取ってからキョロキョロと辺りを見渡す。
折角だから挨拶をしたいと思ったのだが、パッとは見当たらなかったため、諦めてキースがいるバルコニーに戻ろうかと思っていると、「あの」と声を掛けられたので振り向いた。
「今はお一人ですか?」
「……はい、今は……そうですが」
「そ、そうですか! 私の名前は──」
口早に自己紹介をした男性に続くように、あっと言う間に男性に囲まれたルピナスは困惑した。
(こ、これは一体………)
自己紹介だけならば貴族同士の繋がりを持ちたいとか、キースへのパイプ役として利用としているのだろうという考え方が出来たのだが。
「今度お茶に行きませんか?」
「ハーベスティア公爵家のご子息とはまだ婚約者ではないとか! それでしたら是非私とファーストダンスを!」
「あの、いやー、その……」
これが敵に囲まれた状況ならば武力で対応するところだが、如何せん状況が違う。
ルピナスはことを荒立てないためにはどうしようかと模索するが、経験がないため直ぐには思いつかなかった。
(これは困った。……走って逃げ出す訳にもいかないしなぁ)
キースと離れた途端グイグイと迫ってくる男性たちにルピナスがどう対応しようかと思っていると、「ルピナス」と自身の名前を呼ぶ声に反射的に振り向く。
その時、声の主の邪魔にならないように、男性たちはぞろぞろと動いて道を作った。
「大丈夫かい? 探したよ」
「セリオン……様……」
惚れ惚れするほど柔和な笑顔を向けてくるセリオンに、ルピナスは忘れかけていた『転生魔法』についての疑念が、再びはっきりと脳内に浮かび上がったのだった。
読了ありがとうございました。
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