第三十七話 普通するだろ、嫉妬くらい
そこでルピナスは、忙しいキースが何故、今日という日に稽古をつけると言い出したか理解ができた。
「私があまり考え過ぎないように、この時間を作ってくれたんですね、キース様」
「……さあ、どうだろうな」
曖昧に答えて、口角を僅かに上げるキース。
キースが優しいことは誰よりも知っていると自負しているルピナスは、間違いなく自分の考えは正しいのだろうと確信した。
「身体を動かしている間は、セリオン様のことを一切考えずに済みました。それに、これだけヘトヘトになったら考える暇もなく眠りこけてしまうかもしれませんね」
「……あんなことを知って理由を考えるのは当たり前だが、何もルピナスが頼んだわけじゃないんだ。考えることで苦しまなくても良い」
「……ありがとう……ございます……っ」
一日中無意識に気を張っていたのか、ルピナスはその張り詰めた糸が解けたように、へらっと笑って見せる。
無邪気で、あどけなくて、貴族令嬢らしからぬその笑顔に、キースは一瞬目を見開いてから、手をルピナスの額へと伸ばした。
細くて美しいのに、節っぽさのある指で、汗のせいで額に張り付いた前髪を優しく手直しする。
驚いているのか、目をきゅっと瞑ったルピナスの表情を目にしたキースの瞳には、野性的な色気が妊んでいた。
「それに、気に食わないしな」
「……? 何がですか……?」
「理由が理由とはいえ、ルピナスが他の男のことばかり考えているのは気に食わない」
「…………っ」
そこでルピナスは、改めて今の体勢を理解した。
少し近づけば唇が触れ合ってしまうほどの距離感、吐息の生温かさが皮膚に当たるのは当たり前で、長い睫毛が僅かに揺れている姿もくっきりと見える。
「キース様……近い、です」
「はは、今更だな。……なあルピナス。言いたいことがあるんだが」
「この状況でですか!? な、何でしょう……?」
(改まって言うなんて、何か大事なことでもあるのかな……?)
男性だと意識をしたキースとの今の状況は、心臓に悪い。
とにかくなんでも良いから早く言ってほしいと、懇願するような瞳を向けたルピナスに、キースの理性がほんの少しだけ剥がれた。
「好きだ、ルピナス」
「……ひゃいっ!?」
「愛している。俺以外の男のことばかり考えていると思うと、胸が痛いくらいに」
「〜〜っ」
「ふ、照れてる。可愛いな。あー……本当に可愛い。俺を男だと意識してくれてるだけで嬉しかったのに、今はもうそれだけじゃ足りない。……どうやったら俺のことを好きになってくれる?」
人生で一番難しい問いかけかもしれないと、ルピナスはそう思う。
ルピナスは前世を含め、所謂恋愛感情を持って人を好きになったことはなかった。
セリオンしかり、元婚約者しかり、もちろんキースのことだって。そもそも、キースに関しては、告白されるまで弟のような感覚が抜けていなかったくらいだ。
(けれど、今は……男の人にしか見えない。……それに、どうしょうもなく胸がドキドキする。好きだって言われるのも、可愛いって言われるのも、嫌じゃない。どころか……)
毎日好きだと迫られると、慣れるどころか日に日にドキドキが増えていくのだ。
初めは困惑の方が多かったというのに、今は困惑と嬉しさが半分半分と言ったところだろうか。
(好きって気持ちは、まだ分からないけれど。……私が確実に、キース様に惹かれていってる……)
その自覚はある。けれど、好きになれるかどうかの確信なんてない。
それ以前に、家族のように大切に思うことと、異性として大切に思うことの明確な違いが、ルピナスには分からなかったから。
だから今は、これしか伝えられなかった。
「そういう好きという感覚は、私にはまだ難しくて……けれど、私は今キース様のことで頭がいっぱいです。好きだと言っていただけるのも、嬉しいです」
「……っ、それを天然で言ってるんだから、ルピナスには一生勝てる気がしないな」
「え? 剣技では惨敗でしたよ?」
「そういうことじゃない」
「ぷっ」と吹き出すように笑ったのはどちらが先だっただろう。
どちらからともなく見つめ合って笑うと、二人はドタドタと近づいて来る足音に、同時に顔ごと視線を向けた。
内股で走りながら、鬼の形相をしているマーチスに、キースは木刀を持って立ち上がる。
「ちょっとキースさっき何してたのぉ!? やっぱり、ルピちゃん言わんこっちゃないじゃなぁいっ! あたしがこの狼を成敗してあげるからさっさと逃げてぇ! ──ブホォッ!!」
「黙れマーチス煩いマーチス口を閉じろマーチス」
「キース様……それ殆ど同じこと……」
木刀で脛を打たれたマーチスがしゃがみ込んで悶絶しているところに、ルピナスも疲労困憊の体にムチを打って起き上がると駆け寄った。
「大丈夫ですか?」と声をかければ、マーチスは「ルピちゃん優しい……!」と、普段どれだけ不憫な思いをしているのだろうかと思わせるような涙を見せる。
「あ、あたしルピちゃんを助けようとしたのよぉ!? 酷いと思わない!?」
「助ける?」
「だって押し倒されてたんでしょぉ!? 大丈夫!? キスされてない!? 舌入れられてない!? 何なら身体を弄られて……ぎょえっ!!!!」
そのとき、キースの木刀がマーチスの頭を掠めた。
「木刀なのが惜しいな。真剣だったら頭頂部の髪を一掃できたというのに」
「ヒィィィ!!!!」
(本当に仲が良い……良い、のよね?)
「あたし髪の毛あるわよね!?」と確認してくるマーチスに、ルピナスは大丈夫だと言いながらも笑ってしまう。
セリオンが何故転生魔法を使ったのかも、キースへの恋愛感情のことも、楽しい雰囲気によってどこかへ行ってしまったみたいだ。
「……で、お前は何をしに来た。俺に斬られに来たわけじゃないだろう」
のほほんと一人笑うルピナスとは裏腹に、眉間に皺を寄せたキースが、そうマーチスに問いかける。
「そうそう! それよ!」と言いながら、マーチスは立ち上がると騎士服の内ポケットから、白い封筒を二つ差し出してキースに手渡した。
一つはなんの変哲もない普通の封筒。もう一つは、封筒の真ん中に赤い国花の封蝋が捺されており、王家からのものであることを示してる。
子爵家の娘のルピナスは直接目にしたことはなかったが、知識にはあったので、内心は流石公爵家だなぁ、だなんて思っていた。
「どうしてこれをお前が?」
「一つは普通に今届いただけで、王家からの方は王家の使者が今さっきあたしに渡してきたのよぉ! 適当よねえ! まあ、人伝で構わないくらいだから大した内容じゃないんでしょうけど、何かあったら困るからわざわざここまで届けに来てあげたのにぃ!」
「……そうか。助かった、ありがとう」
「ふふんっ! 別に構わないわぁ」
そうしてキースは、まずは王家からのものを読み始める。
王家からということに一切臆することなく手紙を開けると、最後まで読み終わった直後にため息を漏らした。
「キース様、どうかされました?」
少し考える素振りを見せるキースにそう問いかけると、ルピナスはキースの言葉を待った。
「いや、いつもの舞踏会の誘いだ。別にこれは断れば──」
そう、言いかけてキースは口を噤む。それは、もう一つの何の変哲もない手紙を読み始めて直ぐのことだった。
キースはそのまま最後まで読み終わると、視線を手元からルピナスへと移す。
その真剣な瞳に、ルピナスは堪らずドキリと胸が高鳴った。
「……ルピナス、君に一つ頼み事があるんだが良いか?」
「は、はい。なんなりと」
前世のくせか、それとも騎士見習いだからか。内容を一切聞かずにそう答えたルピナスは、直ぐ様後悔した。
(気遣ってくださるキース様に恩返しがしたいけれど……本当に出来ないことだったらどうしよう)
安請け合いは優しさではない。ルピナスは訂正するように「出来ることなら何でも致します!」と食い気味に伝えると、キースは「ルピナスにしか頼めない」と即座に言い放った。
「……と、言いますと?」
「今度、王家主催の舞踏会があるんだが、父は最近身体を悪くしていて、兄は義姉上がそろそろ出産だから出席を控えたいらしい。だから、代わりに参加してほしいとのことだったんだが」
「なるほど」
公爵家ともなれば、誰一人参加しないというのは、体裁に関わるのだろう。
キースは現在、父や兄との関係は比較的良好らしく、貴族の義務に関しても理解しているので、舞踏会自体は乗り気でなくとも参加はするつもりだったのだが。
「今回の舞踏会は同伴者必須のものなんだ。……だからルピナス、俺のパートナーとして舞踏会に参加してくれないか?」
読了ありがとうございました。
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