第三十四話 運命の歯車
今思えば、何らおかしな話ではなかった。
アイリーンは魔術師団塔に好きな人がいると言っていたし、今なんて「無謀だと笑わないでください」と言ったのだ。
つまり相手は魔術師で、高貴なお方か、もしくは人気が高いお方、もしくはその両方を兼ね備えているお方。こう考えると、セリオンじゃない方がおかしいくらいだ。
(セリオン様が三十八歳だから、お二人は二十歳差! けれどきっと恋に年齢は関係ない、はず! 何かの拍子にマーちゃんがそんなふうに語っていたっけ……)
アイリーンがとんでもない競争率の高い男性に恋をしていると分かったところで、ルピナスは自身の足元に影が落ちたことに気が付く。
「ルピナス嬢、久しぶりだね。顔を上げてくれないかい?」
「は、はい」
顔を上げて目の前に居るセリオンと目を合わせれば、ニコリと柔らかく微笑まれた。
「……んんっ!」と興奮を抑えきれない声を漏らして、倒れそうになっているアイリーンを必死に支えながら、ルピナスはセリオンに向き直る。
「……そちらのレディは大丈夫? 医者を呼ぶかい?」
「あ……あははっ、一時的なものだと思いますので大丈夫かと! あははっ」
「そうなんだね。それなら良かった」
(お医者様にも恋の病は治せないものね……)
苦笑いを零すルピナスに、セリオンは「そういえば」と話しかける。
「今日、私が来ることは聞いていない?」
「えっ? は、はい。存じておりませんが……」
「そうなんだね。連絡ミスかな。御前試合のときのお礼をしたいから、ルピナス嬢の予定を空けておいてほしいって、キースに手紙を送っておいたんだが」
「えっ。そうなのですか?」
今さっきキースに会ったときは、セリオンのことは何も言っていなかった。
しかし、キースは基本的に真面目だし、仕事でもミスはない。報連相も怠らないため、伝え忘れている可能性は極めて低い。
(ということは、もしかしたら文書係がキース様に届け忘れたのかな。あ、そういえばマーちゃんが今朝忘れてた〜キースに怒られる〜とか言ってたな……もしかしてマーちゃんのところに手紙が紛れ込んでて、キース様に渡るのが遅くなったとか?)
何にせよ、騎士団側の不手際の可能性があるので、丁寧に対応しなければ。
ルピナスはセリオンに丁寧な謝罪をしつつ、「ご足労いただきありがとうございます」と再び頭を下げると、やや遠くから「おーい」と呼ぶ声が聞こえた。
声が聞こえた方に視線を寄せれば、コニーと新人騎士たちがいる。
途中で全員セリオンの存在に気付いたのか、ぴたりと足を止めてピシと姿勢を正したようだ。
「ルピナス嬢、君の仕事が終わるまで待ちたいのは山々なのだが、如何せん私も忙しくてね……君の仕事は彼らに代わってもらうことは可能だろうか?」
「あ、それは……」
手伝ってもらう予定だったし、相手がセリオンともなれば喜んで仕事は代わってもらえるだろうが、キースと共に休憩したばかりだったので少し言いづらい。
しかし、そんなルピナスの気持ちを読んだかのように、コニーたちはささっとルピナスの手から掃除道具を奪うと、親指をぐっと立てた。
「ここなら大丈夫だから!」
「あ、ありがとう……」
「それならルピナス嬢、行こうか。……ああ、君たち、そちらのレディが落ち着くまで気遣ってあげてくれ。頼んだよ」
「は、はい!」
アイリーンへの気遣いも忘れないところが、セリオンがモテる理由の一つである。
コニーたちから漏れる「紳士だ……本物の紳士だ……」という呟き声に、ルピナスは内心何度も頷きながら、アイリーンに「また今度詳しくお話しますね!」とだけ告げて、セリオンの斜め後ろを歩いていく。
ぷぅんと、自身の両手から雑巾の何とも言えない独特な臭いがするので、セリオンに断りを入れてから途中の水道で手を洗うと、ルピナスは再びセリオンの後に続いた。
「あの、王弟殿下」
「セリオンで構わないよ。私もルピナスと呼んでも?」
「そ、それはもちろん構いませんが……」
(セリオン様は、昔から誰にでも親しみやすかった。今も変わらないなんて、素敵だわ)
もちろん公的な場では線引をするが、プライベートのときは分け隔てなく人と接するセリオンは、フィオリナにとって自慢の友だった。
突然の死によってセリオンに別れの言葉を告げることは出来なかったけれど、幸せに暮らしていてくれたらとルピナスは切に願う。
「あの、今どちらに向かっているのですか? 団長室なら反対方向ですが」
「ああ、この前のキースの様子から二人きりにはなれないと予想して来たんだけどね。……何かの悪戯か運命か、君と二人きりになれたから、少し外でも歩こうかと思って。構わないかい?」
「は、はい」
(キース様の様子? 何のことだろう……)
そんな疑問を持ちつつも、一旦ルピナスは頭の隅に追いやる。
御前試合の直前、リリーシュを助けたときにセリオンに再会した際、セリオンは既婚者だろうと思っていた。
けれど、アイリーンがセリオンのことを好きだと分かった今、彼は十中八九独身なのだろう。
アイリーンの反応から察するに、既婚者に恋をしているという感じではなかった。
それに、ここアスティライト王国では、既婚者は人差し指にリングを着ける習わしだが、セリオンの人差し指には指輪がないので、二人で歩いていて、不倫だ! と騒ぎになることはないだろう。
「それにしてもルピナス、改めて、リリーシュのことを助けてくれてありがとう」
外に出て、手入れされた敷地内を歩きながらお礼を言うセリオンに、ルピナスは「そんな……」と答える。
歩く速度がゆっくりなのも、昔のままだ。
「私は当然のことをしたまでですので」
「あの日から、リリーシュは良くルピナスの話をしているらしくてね。君が騎士見習いで多忙だから、あの子なりに気を遣っているみたいなんだが、本当はお茶会に誘いたいらしい。友人になりたいみたいだ」
「王女殿下と友人だなんて恐れ多いですが、お気持ちはとても嬉しいです。是非、機会がありましたらとお伝えくださいませんか?」
「それはもちろん。……ああ、着いたよ」
突然足を止めたセリオンに、ルピナスも続いて足を止めて辺りを見渡した。
「……えっ。ここ……」
そこは、ここ騎士団塔で一番立派な大木があった場所だった。
フィオリナだった頃は、騎士団の激務の後、部屋に行くのも面倒なとき、よくこの大木の下で一休みしたものだ。
しかし今、目の前にあるのは大きな切り株だけだった。
「数年前までは立派な大木があったんだが、腐ってしまって切らざるを得なかった。……ここに来ると、ある女性のことを良く思い出すな。互いに所属が違うから頻繁に会うことはなかったけれど、彼女がここで休んでいるのが魔術師団塔から見えてね。何かと理由をつけて会いに来ていた」
「…………!」
(その女性って……間違いなくフィオリナのこと、だよね)
確かにこの場所にいるとき、セリオンは決まって現れた。
「偶然だね」と、さも自然に。
(あれは会いに来てくれてたってこと……? というか、そもそも何でこの話を私に……?)
リリーシュのことを話すだけならば、別にここじゃなくても良かったはずだ。フィオリナとの過去を、ルピナスに話す必要もなかったはずだ。
(いや、待って……流石にそんなはず……)
くるり、と振り返ったセリオンは、切り株からルピナスへと視線を移す。
「さっきも言ったけれど、運命ってあると思うんだ。この大木だって、ほら。姿は変わっても、こうやって存在しているだろう?」
そしてセリオンは、まるで「偶然だね」と言うように、自然とその名前を口にした。
「フィオリナ──久しぶりだね。会いたかったよ」
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