第三十話 優しい二人の物語
それから暫くして、「そういえば時間!」と、ハッとしたルピナスだったが、キースから今日は休みにしてあると告げられ、ホッと一息をつく。
どうやらキースも午前中は休みにしてあるらしく、もう少し部屋でゆっくりしていても良いとのことだった。
「腹の調子はどうだ? 気持ち悪かったりはしないか?」
「はい。もう万全です!」
「なら良かった。そろそろ朝食の時間だから部屋に運んで来る。一緒に食べよう」
「そんな……! キース様を使うような真似できません……!」
ゆっくり立ち上がったキースを制止するため、ルピナスは勢い良く立ち上がるが、ズキリと痛む足首に顔を歪めた。
「無理をするな」と優しく声をかけられ、頭を一度ぽんと撫でられたルピナスは、申し訳無さそうにキースと目を合わせる。
「まだ足が痛むんだろ。休んでいろ。それでも動きたいというなら、俺が抱いて食堂まで連れて行っても良いが」
「……うっ……部屋に、います」
「ああ、良い子だ。すぐに持ってくるから待っていてくれ」
(まるで子供に言うみたいに……って、そうか。私八歳も歳下だものね)
些細なことでも、キースが本当に大人になったのだと、ルピナスは何度も認識するのだった。
それから、ルピナスはキースが運んでくれた朝食を自室で摂った。
二人分の食事を、それも騎士団長自らが取りに行くなんて、何かしら勘ぐられてはいないだろうかと思ったルピナスが問いかけるが、誰一人何も突っ込まなかったらしい。
というのも、ほとんどの団員が二日酔いか寝不足で、機能していなかったせいなのだが。
「去年も一昨年も、御前試合の次の日はいつもこうだ」
「なるほど。それにしても、改めて思いますが、五年連続で優勝しているなんて凄いですね……」
「まあ、誰かさんが自分より強い男じゃないと結婚しないって言っていたからな」
「ですから! あれは冗談なのです!!」
ちょっと油断すれば、キースは直ぐにドキドキするような言葉を吐いてくる。
ルピナスは最後のひとくちを食べ終わったと同時に頬をバァン! と叩いて、何度目かの喝を入れた。
「あ、あの、良ければ今度私に稽古をつけてくださいませんか?」
「ああ、ルピナスのお願いなら喜んで」
「……っ」
「けどそれは怪我が完全に戻ってからな。……今日はまだ時間があるから、今までのルピナスの話を聞きたい」
そう言ったキースの声色は、先程までの甘いものではなく、どこか暗さを孕んだ真剣なものだ。
『傷物令嬢』だと揶揄されているルピナスが、順風満帆な人生を歩んできているとは到底思えなかったからだろう。
(あんまり、気分の良い話じゃないけど……)
けれどルピナスは「気分を悪くさせたら申し訳ありません」と前置きをして、ルピナスとしての人生を話し出した。
もうフィオリナの生まれ変わりであり、前世の記憶があると打ち明けた以上、もうこれ以上キースに隠し事はしたくなかったから。
「──というわけで、私は王都にやって来たのです」
「…………っ」
全てを話し終えると、キースは泣きそうな顔でルピナスを見て、腕を伸ばす。
その顔は前世で最期に見たキースの表情によく似ていたので、ルピナスは彼の背中に手を回すようにして迷うことなく受け入れた。
「……君の両親も、妹も、元婚約者も、許せない……っ」
「……はい、私もです。けれど騎士の端くれとして、私怨で剣は抜けません。それに今は幸せなので、あんな人たちは正直どうでも良いのです。会ったらただじゃおきませんが」
強がるわけではなく、淡々と事実を述べるルピナスを抱きしめる手が強められる。
そしてぽつりと呟かれたキースの「ごめんな」の言葉に、ルピナスは小首を傾げた。
「その傷のせいで、俺を庇った傷のせいで、ルピナスはつらい人生を送ることになったんだろ……っ」
「それは違います! この傷は私にとって誇りです! 恥ずべきものではありません! それに愛のある家族だったら、この傷も受け入れてくれたでしょう。……きっと傷跡が無くたって、何かしら難癖をつけて疎まれていたに違いありません」
ルピナスの身体にフィオリナの傷があったことは、偶然という一言で片付けてしまえばそれまでだろう。
けれど、ルピナスはこう思うのだ。
「きっと、私がこの傷ごと生まれ変わったのは、キース様を安心させるためなんだと思うんです。この傷は誇りだから気にしないでって、この傷があったって、幸せになるからねって」
「……っ」
「だから、泣かなくても大丈夫です。悪いのは私の家族で、キース様ではありません」
それにルピナスにはラーニャという味方がいた。
騎士見習いになってからは、傷物令嬢だと知られても当たり前のように受け入れてもらえた。
御前試合では、傷物令嬢であることを知っている貴族たちがルピナスに対して色眼鏡で見ていたことは、気づいていた。
けれど優勝し、栄誉騎士の称号が与えられたときにはその偏見の目は少し減っていたように思えるのだ。
「キース様、大丈夫です。私のことを思って悲しんでくださって、ありがとうございます。本当に昔から、お優しいですね」
「優しいのは……君だ。ルピナスは優し過ぎる」
──けれど、そんなところが愛おしい。
キースはそう言って、しばらくの間ルピナスを抱き締めていた。
ルピナスは気恥ずかしかったけれど、少しだけ幼かった頃のキースのように感じて、無言でそれを受け入れた。
しばらくして。キースはおもむろにルピナスを解放し、「もう大丈夫」だと少し恥ずかしそうに呟く。
その表情は無理をしている様子はなく、ルピナスは良かった……とホッと胸を撫で下ろすと、キースも落ち着きを取り戻したのか、はたと疑問が浮かんだ。
「そういえば、いつ記憶を取り戻したんだ?」
「王都に来て、キース様を見たときくらいです」
「あのとき……」
「記憶を思い出さなければ逃げようとしていたので、今みたいに再会できなかったかもしれませんから、タイミングが良かったです」
まるで運命が照らし合わせたように思い出したことを、奇跡と呼んで良いのならば、ルピナスは声を大にして叫ぶだろう。
(ま、流石に偶然だろうけど)
「そうだな」と小さく頷いたキースは、もう一つ聞きたいことがあるらしく、「なあ」と低い声で口火を切った。
「伯父上のことだが」
「セリオン様ですか? どうかされました?」
以前二人きりにはなるなと念押しされたので、またその話をされるのだろうか。
そんなことを考えていたのですっかり気を抜いていたのだが、キースの言葉にルピナスは大きく目を見開くことになる。
「──確証はないが、もしかしたら伯父上はルピナスがフィオリナの生まれ変わりだということに気付いているんじゃないか?」
「は、はい!?」
読了ありがとうございました。
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