第二十八話 愚かなほど優しい君が愛おしい
──どうしてバレてしまったのか。
ルピナスはキースに手首を掴まれたまま、一瞬言葉を失くした。
(どうしよう……どうしたら誤魔化せる)
昨夜、途中から記憶がないので、フィオリナだということを口走ってしまった可能性はなくもない。
けれど、まずは知らないふりをするのが一番だろうと、ルピナスは焦りを隠して、へらっと笑ってみせた。
「フィオリナとはどなたのことでしょう? 私は──」
「昨夜肩の傷を見た。君自身が俺を守ってできたときのものだと言ったんだ」
「…………!」
泣きそうな顔をするキースは、到底嘘をついているようには思えない。
キースの辛い記憶を思い出させたくないために隠すつもりだったが、ルピナス自身、フィオリナだったときのことを連想させるような言動をした覚えがあるので、もう潮時なのだろうと悟った。
ルピナスは片膝を突いてベッドサイドに座るキースを見上げると、眉尻と目尻を下げる。
「キース様……お久しぶりです。フィオリナです。……ご立派に、なられましたね」
「……っ、」
「……わっ、キース、様、ちょっ──」
勢いよくキースも床に降りてきたと思ったら、ルピナスは力強く抱き締められていた。
フィオリナのことを『大切な人』と言ってくれていたことを覚えていたので、キースは許してくれるだろうと、ルピナスは「失礼いたします」と言ってから、背中に腕を回す。
十八年前とは違う大きな背中に、ルピナスはキースの成長を、改めて心の奥底から喜んだ。
「どうして、言わなかったんだ」
「……私のことを伝えたら、喜んでくださるとは思いました。けれど同時に、当時の記憶も思い出してしまうやもと、……キース様を苦しめたく、ありませんでした。申し訳ありません……」
「……っ、本当にルピナスは愚かなほどに優しいな」
そう言ったキースの腕の力が強まる。痛くはないけれど、絶対に離さないというのが伝わってくるその圧迫感に、ルピナスは目を閉じた。
すると、キースの身体が僅かに震えているのが伝わってきた。その意味を理解すると、ルピナスは胸が鷲掴みにされたように苦しくなる。
「悪い、俺、泣き虫は卒業したんだ。本当に」
「……っ、はい」
「もう君を心配させたくなくて、強くなった、つもりだったのに……俺のせいで、死んだ君が、今、ルピナスとして生きていると思うと……っ」
涙するキースはまるで、八歳の頃に戻ったようだ。
──当時、八歳のキースはフィオリナを失って、しかも自分を庇って死んでいったなんて、どう思っただろう。
自分を責めたかもしれない。いや、キースなら間違いなく責めたに決まっている。
(私は馬鹿だ。そんな簡単なことが分からなかったなんて。早く打ち明けて、大丈夫だからって伝えるべきだった)
ルピナスはキースの背中に回した手を、大丈夫だよ、というようにポンポンと叩いた。
それに伴い、キースは少し落ち着きを取り戻す。
「……なあ、ルピナス。君はもうルピナスとして生きていることは分かっているが、少しだけ、フィオリナと呼んでも良いか……? ずっと、伝えたかったことがあるんだ」
「はい、もちろんです」
目覚めてから一度しかフィオリナと呼ばなかったことから、キースがルピナスとしての人生を尊重しようとしてくれていることは、ルピナスにも分かっていた。
それにフィオリナはキースのその後を見届けることなく死んでしまったので、ずっと気になっていたのだ。
「フィオリナが命をかけて庇ってくれたから、俺はあれから母と会うこともなくなって、自由を手に入れた」
「……っ、はい」
「それからはフィオリナに少しでも近づきたくて、君と同じ景色が見たくて、強くなりたくて、騎士を目指したんだ。もう、大切な人を絶対に死なせたくなかった」
「そう……だったんですね……」
(キース様が騎士を志したのは、私の影響だったなんて……不謹慎だけれど、嬉しい)
それに、キースの表情から母親との決別には悔いが無いように見える。
ルピナスは死んでからどうなったか不安だったのでホッと胸を撫で下ろすと、キースが辛そうに表情を歪めた。
「──俺が、もっと早く父に母のことを打ち明けていたら、フィオリナは死ななかったかもしれない。俺の勇気がなかったせいで……ごめん」
「それは違います……! 私はやっとあのとき、キース様をお守りできたのです! ですから──」
「それは違うよ、フィオリナ」
キースが抱き締めていた腕をやんわりと解いて、至近距離で見つめ合う。
縋るような瞳に、ルピナスは一瞬息をするのを忘れてしまった。
「フィオリナはずっと、出会ってからずっと、俺の心を守ってくれていた。君が死ぬ間際、言えなかったこと、今言わせて。……フィオリナ、ずっと俺を守ってくれてありがとう。──フィオリナ、君のことがずっと、好きだ」
「……っ、もしかして、キース様がずっと好きだった方って……」
ルピナスの反応に、キースは一瞬面食らう。けれどフィオリナが恋愛ごとに鈍感だったことは分かっているキースは、「やっぱり鈍感」と、ほんのりと笑った。
「俺がずっと好きなのは、愛しているのは、君だ──フィオリナ」
「……えっ、あ、えっ!?」
一度は考えもしたが、あり得ないだろうと否定したその答えに、ルピナスの顔は羞恥に染まる。
こうもはっきりと口にされては、冗談だろう、なんて思えなかった。
『フィオくんと言うのですね! 素敵なお名前です……!』
『愛する人から取った名だ』
『俺の好きな人は、もう死んでいるんだ』
(あれが全部、私のことだったなんて……)
いくら恋愛ごとが疎かろうと、少なくとも十八年間思い続けてくれたキースの感情を勘違いだなんて思えない。
ルピナスは恥ずかしさで俯いてしまいそうなのを、自身の両頬を叩くことで喝を入れた。
そんなルピナスの姿に、キース様は堪らず愛おしそうに笑みを零す。
「ありがとうございます、キース様。そんなふうに思っていただいているなんて知らなくて、正直、驚いています」
「ああ。そうだろうな」
「けれど、その……嬉しいです。私を愛してくださって、ありがとうございます」
「……うん。やっと、伝えられた。聞いてくれてありがとう、フィオリナ。──これでやっと、ルピナスと向き合える」
「……? と、言いますと?」
フィオリナならば分かるが、何故そこでルピナスと向き合う必要があるのだろう。
いまいちピンと来なかったルピナスだったが、とりあえず座り直しませんか、と言って、二人でベッドに腰を下ろす。
離れていったのが不安だったのか、隣に座っても、骨ばった手を重ね合わせるように伸ばすキースに、すっかり平常心を受け入れたルピナスは、その手を迎え入れた。
(いくらフィオリナが死んだと言っても、記憶があるルピナスには、昔みたいに甘えたくなるよね)
そう思っていたからこそ、ルピナスは平然としていたというのに。
キースから発せられる言葉に、ルピナスは再び息をすることを一瞬忘れてしまったのだった。
「──ルピナス、好きだ」
読了ありがとうございました。
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コロナなうでメリークリスマスイヴ!