第十六話 氷が少し溶けるようで
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──彼を『氷の騎士様』だなんて呼び始めたのは一体誰だろう。
ルピナスがそう思ってしまうくらいには、キースの瞳には慈しむような温かみが、表情や指先からは心配が伝わってくる。
「そんなに、心配してくださったなんて嬉しいです」
ルピナスは、まるで花が咲くようにふわりと頬を綻ばせる。
するとキースの指先が、ほんの少しだけぴくりと反応を示した。ルピナスに対して思うところがあるのか、口が薄く開くが、何かを発することはない。
(キース様、やっぱりお優しいところは変わってない。騎士見習いとして入ったばかりの私に対して、怒るのではなく心配をしてくれるなんて。これぞ上司の鑑ね……)
そこでルピナスは、キースが人に──特に女性に対して冷たいと言われていることについて考えてみる。
マーチスを含め、部下たちには愛想が良いとは言えないが、それほど冷たいという感じはないので、もしかしたら自身が仲間だと認識した人間には優しくなるのではないかと。
(だからきっと、団員を助けた私には、割りと初めから良くしてくれたのね。女という括りではなく、きっと部下とか、仲間って括りで見てくれているから)
前世とは立場が違うが、少しでもキースの懐に入れたのならば、それはとても嬉しいとルピナスは思う。
「上司の鑑であるキース様にご心配をお掛けしないよう、これからはもっと精進しますね!」
だから、ルピナスは満面の笑みでこう言って見せたのだ。
まるで後光に眩い光が差しているのでは、と思わせるくらいにキラキラとした笑顔で。
するとキースは薄っすらと目を細める。既に身を乗り出した身体をもう少し前傾して、ルピナスの顔があと二十センチというところまで詰め寄った。
「──そういう鈍感なところも彼女と一緒だな」
「え?」
(彼女って、キース様が一途に愛してるっていう、あの?)
自身のことを恋愛には無頓着だが、決して鈍いとは思っていないルピナスは、まさかキースが言う女性が前世の自分──フィオリナだなんて夢にも思わず、適当に「ははは」と笑う。
つられるようにして、キースも少しだけ頬を緩めた。
「……悪い、忘れてくれ。……それにしても、良くやった。弱きものを守るのが騎士の務めだ。俺は君のことを誇りに思う」
こんなに嬉しい言葉はない。そう、ルピナスが喜びを言葉にしようとしたときだった。
──バタン、と音を立てて団長室の扉が開く。
「ちょっとキース〜! 話があるんだけどって、あら? あらあら?」
マーチスは、目の前の光景に大方のことを察したらしい。
ニヤニヤと口を緩めると、小さく「きゃ〜」と言って、それはもう厭らしい目つきでキースを見つめる。
けろりとしたルピナスとは正反対に、キースは急いでルピナスから距離を取って立ち上がった。
上官二人だけを立たせるわけにはいかないからと、ルピナスも慌てて起立する。
「お疲れ様です、マーちゃん」
「……マーチス、お前次からノックせずに入ってきたら減給にするぞ」
「やっだぁ〜! あたしったら、お邪魔だったかしらぁ? あらあらまあまあ!!」
身体をくねくねとさせて、頬を染めるマーチス。
キースはムカつくと思いながらも、ルピナスがいる手前口には出さず、ここに来た用件を問うた。
「むしろあたしの話よりさっきの状況に至るまでの話が聞きたいわねぇ」
「マーチス」
「やぁ! 怒らないでよぉ! 三週間後にある御前試合の参加者について変更が認められたから、わざわざ伝えに来たのに!」
前世でも聞き覚えのある単語に、ルピナスは「えっ」と大きく目を瞠った。
「御前試合って、年に一度行われ、陛下を始めとした王家の方々や上級貴族の前で武力を競う、あの御前試合ですか? 優勝者はアスティライト王国の名誉騎士の称号を授かることができるっていう、あの? 確か毎回副賞もありましたよね」
「…………えらく詳しいな」
「……ハッ! 御前試合に出ることは騎士の憧れですので!」
嘘は言っていない。前世で何度か出場したことがあるから詳しいというだけで。
(毎回、御前試合参加者にまでは選ばれるけど、当時の団長と副団長に優勝は阻まれたんだよね)
騎士の仕事は怪我がつきもので、割りと人の入れ代わりが激しい職場だ。
第一騎士団に、キース以外に前世の知り合いが一人もいないルピナスは、気楽さもあったが、過去の戦友を思い出して少しだけ寂しさが募る。
「ルピちゃん! 因みにねぇ? ここ五年の優勝者はキースなのよぉ! 準優勝はあ、た、し!」
「え!? お二人が……!?」
寂しさなんて吹っ飛ぶ衝撃である。どうやらルピナスの直属の上司たちは、化け物並みに強いらしい。
(二人の次に強いって皆に言われたけど、多分そこには大きな壁があるんだろうなぁ。まだ前世の自分の実力も出し切れていないし。それにしても、お二人はそんなに強いんだ……)
一度だけならいざ知らず、五年連続ともなればその実力は折り紙付きだ。
ルピナスは我がことのように誇らしいのと同時に、もっと鍛錬に励んで、まずは来年の騎士昇格試験に受からなければと強く思う。
騎士見習いに御前試合の出場権はないはずなので、ルピナスは今年は応援に回るのかぁと思っていると、「ルピちゃんも聞いててね?」とマーチスが話を始めた。
「今年の御前試合は、キースは五年連続優勝だから殿堂入りってことで、出場権はないし、あたしは腕を少し怪我しちゃったから出ないじゃない?」
「えっ、そうなんですか!?」
毎年副賞としてキースは、第一騎士団の皆のために山のような大量の酒を欲する。派手なことが大好きな国王は、毎回それではつまらないとして、キースを殿堂入りにして不参加と決めたらしい。
「マーちゃん、腕は平気ですか? 一昨日から少し様子が変だとは思っていましたが、御前試合に出られないくらい酷いんですか?」
「いやーん、バレてたのぉ? 軽い怪我なんだけどぉ、一応全力を出すのはしばらく控えておこうかなぁと思ってね! 体の管理も騎士の務めでしょう?」
「それなら良かったです……! 何かお手伝いできることがあったら、いつでも仰ってくださいね」
ほっと胸を撫で下ろし、マーチスに向かって笑いかけるルピナス。
「良い子〜可愛い〜!!」と言いながらマーチスがルピナスに抱き着こうとすると、そんなルピナスの手首をグイッと後ろに引っ張ったのは、不機嫌そうな顔をしたキースだった。
「マーチス。安易に触れるな」
「やだぁ〜キースにだけは言われたくないわぁ?」
「…………。で、変更って、あのことか」
(えっ、このまま話し続けるの?)
手首を掴まれたまま二人は話を始めるので、ルピナスは離していただいて大丈夫ですよ、と言うタイミングを完全に失ってしまう。
しかし直後、マーチスの弾けるような元気な声に、手首への意識は完全に消え失せるのだった。
「団長と副団長の両者の推薦があったら、騎士見習いでも御前試合に参加できるでしょう? だからね、あたしの枠が空いたから、ルピちゃんが参加できるよう推薦したら、無事申請が通ったのよねぇ! ってことで、ルピちゃん頑張ってね!」
「……はい?」
読了ありがとうございました。
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