第十五話 真剣勝負に氷の騎士様の本音
まさか騎士を呼んでくるとしても、キースが来るとは夢にも思っていなかったルピナスは、驚きで口をあんぐりと開いた。
どうやら近衛騎士も、自分より立場も爵位もはるか上のキースが来るとは思っても見なかったようで、焦ったようにルピナスの胸ぐらから手を離すと、ピシッと姿勢を正す。
「大丈夫だった!? 無茶しないでって言ったのに!!」と心配そうに駆け寄ってくるコニーに、ルピナスは「ごめんね……」とポツリと呟く。
「ルピナス、コニーから緊急事態だと聞いた」
「ま、まあ、そうですね」
「君がこの男に胸ぐらを掴まれていたのはこの目で見たが──何があった」
コツコツと歩いて近づいてきたと思ったら、まるで氷漬けになってしまいそうなほど冷たい目線を近衛騎士に送るキースに、ルピナスは少したじろぐ。
普段のものとは比ではないくらいに、冷たい。
「実はこの人がメイドに──」
「何もしていない俺に急に殴りかかって来たので俺もついムキになってやり返そうと胸ぐらを掴みました!!」
一切呼吸を入れずに嘘を言い切る姿は、逆に凄い。
後のメイドの証言とコニーの証言も合わせれば『何もしていない』で通るはずはないのだが、どうやらこの場をやり過ごそうとしているらしい。
「……本当か、ルピナス」
「いえ、違います」
「何ぃ!? この女白々しいですよ騎士団長殿! さっさと辞めさせては!?」
この場で洗いざらい話しても近衛騎士が邪魔をしてきて話にならないだろうから否定をしておいたのだが、近衛騎士は今が勝どきだと思ったらしい。
次から次へとペラペラと根も葉もないルピナスの悪行を語る姿に、キースはため息をついて、そして。
「──黙れ。ここに来るまでの間お前がメイドに対してしつこく付き纏っていたことは既に聞いている。その時点でルピナスが止めに入ったことも容易に想像できる。短い付き合いだが、彼女は何もしていない相手に暴力を振るうような人ではない」
「なっ! しかし俺は雑巾を──」
「黙れと言ったのが、聞こえなかったか」
「ヒィッ……!」
(キース様、私を庇ってくださって……なんてお優しい……)
まさに蛇に睨まれた蛙だ。キースのどすの効いた低い声に、歯をガクガクと揺らす近衛騎士の姿を、ルピナスは視界の端に収めると、キースはそんなルピナスへ視線を移した。
(……ん? 何だろう)
パチパチ、とルピナスが瞬きをすると、キースが一瞬だけ、僅かに口角を上げたように見えた。
「そこまで言うなら騎士らしく一対一の勝負で決めよう。勝った方の言い分が全て正しかったとして、今回の騒動は処理する。木刀で勝負して膝を突かせた方の勝ちだ。近衛騎士と騎士見習いになったばかりの貴族令嬢では……勝負にならないかもしれないがな」
キースの言葉に、近衛騎士は「そ、それなら構いませんが……!」と言いつつ、先程までの表情とは一転して頬をひくひくと吊り上げている。負けるだなんて一ミリさえ考えていない様子だ。
「ルピナス、君も良いか? ──勝負にならないかもしれないが」
ふ、と小さくキースが笑う。その笑みの意味を、ルピナスは簡単に理解できた。
「……はい。分かりました。謹んでお受けいたします」
それからルピナスは、すぐに空いている訓練場で剣を交えることになった。贅沢なことに、判定人はキースが行ってくれるらしい。
「両者、準備は良いか」
何やら始まるという気配を察知したのか、いつの間にか訓練場を囲むように人が集まっている。
待機中の近衛騎士団の団員たちに、任務から帰ってきたばかりの第一騎士団の団員たち、そして少し遠方には休憩中のメイドの姿。
コニーが状況を説明すると、それが伝播したようで、殆どの者は見世物を見るような目で見ている。
しかしそんな中、遠方に被害者であるメイドの姿を見つけたルピナスは、不安そうにこちらを見つめるその瞳に、力強く木刀を握りしめた。
「では、始め!」というキースの開始の合図の直後、「うおおおお!」と声を上げながら大きく木刀を振り被って走ってくる男に、ルピナスは容赦なく木刀を振り下ろした。
「──勝者、ルピナス・レギンレイヴ」
「なっ、馬鹿な……っ、嘘だぁ……!」
思いの外──というよりは、予想通り、決着は早々についた。
膝を突いて項垂れる近衛騎士の無様な声と、戦いを見ていた人々の様々な声が飛び交う。
主に近衛騎士団の「嘘だろ……?」「恥晒しが……」という声と、第一騎士団の「ルピナスよくやったー!」「うちの期待の新人は流石だぜ!」「ルピちゃん素敵だったわぁ」という声。因みに最後は言わずもがな、マーチスのものである。
キースは一旦その場を静かにするよう制すると、ルピナスとの距離を詰めた。
「ではルピナス、先程何があったのか、この場で説明してくれ」
◇◇◇
「──それにしても、俺は前に近衛騎士団の奴らには関わらないようにと釘を刺したはずだが」
そう言ったキースは、自らが入れた紅茶のカップをカチャ、とソーサーに置いた。
二度目の団長室で、ルピナスは申し訳無さそうにソファに腰を下ろしつつ、俯く。
十数分前のこと。ルピナスが大勢の前で近衛騎士の悪行を公にすると、彼は近衛騎士団長に首根っこを掴まれて連れ去られていった。
そのとき、嫌嫌という雰囲気はありながらも、「すみませんでした」と本人が謝ってくれたので、多少はスッキリしたものだ。
「申し訳ありません……返す言葉がありません」
野次馬がいなくなってから、話があるからとキースに呼び出されて現在。
礼儀として紅茶に口はつけたものの、忠告を聞かなかったことでキースに呆れられるのではないかと思うと、何だか味がしない。
ルピナスがいつもより覇気のない声で謝罪すると、キースは少し目を見開いて、しまったと言いたげに気まずそうに眉を歪めた。
「言い方が悪かった。責めているわけじゃないんだ。それに、事を大事にしたのは俺だ。あの男が言い逃れができないよう、剣で白黒はっきりつけさせればと思ったが……まさかあんなに人が集まるとは思わなかった」
「ではこの呼び出しは一体……叱責するためではないのですか……? それか雑巾について処罰とか?」
「どちらも違う。雑巾の件も不問だ。俺は──」
『勝負にならないかもしれないがな』という言葉の意味がルピナスの実力を信じた上でのことだということは、すぐに理解できたが、今の状況はさっぱり分からなかった。
(怒るためじゃない? 処罰でもないとすると……何があったかは、皆の前でさっき説明したし、うーん)
首を傾げるルピナスに、キースは額に手を当ててからおもむろに口を開いた。
「メイドを助けようとしたことは立派だが、どうしてそこまで? 君がわざわざリスクを背負う必要はないだろう。誰か来るのを待つことも出来ただろうし、後で俺に言ってくれれば対処はできる」
ルピナスはこのときようやく、キースの呼び出しの意図が理解できた。
(キース様の中で私は、家出をしてまで騎士になりたい女なんだもの。そりゃあ、何で無茶をしてまで助けたのかって、そう思うのも当然ね)
ルピナスは疑問が解けて頭がクリアになると、今度はいつものようにはっきりとした声色で「それじゃあだめなんです」と話し出した。
「キース様の仰るとおり、私が出しゃばらなくても結果的にはメイドの子は事なきを得たかもしれません。けれど、取り返しのつかないことになる可能性もあります」
「不確定要素があったから、君は止めに入ったと?」
「もちろんそれもあります。けれど、一番の理由は」
『フィオリナ……僕が出来損ないだからいけないのかな……?』
今でも脳裏に焼き付いている、キースの泣き腫らした顔に、か細く、震える声。
今回の人生では、もう同じことは繰り返したくなかった。
「どうしても、放っておけなかったんです。一方的に傷付けられていたあの子を、一秒でも早く助けてあげたかった。もう大丈夫だよって、安心させてあげたかった。──見て見ぬふりなんて、出来ませんでした」
「…………ルピナス」
(ああ、なんか泣きそう……)
メイドの女性のことを通して思い出すのは、昔のキースのことばかりだ。
最期に見たのが泣き顔だったからだろうか。今どれだけ立派になっていても、辛い日々を過ごしていないと聞いても、ルピナスにはあの頃のキースばかりが頭に浮かぶ。
「……君は、愚かなほどに真っ直ぐで、優しいな」
泣きそうな顔をするルピナスの頬を、ローテーブル越しに身を乗り出すようにして、キースは優しく指先で触れた。
まるで壊れ物を扱うように、それは優しい、いや、優し過ぎるのだ。
「キース、様……?」
「さっき、どうして呼び出したのか聞いたな。俺はルピナスを責めてもいないし、怒ってもいない。処罰なんて考えていないし、理由が気になったのは本当だが……それはついでだ」
「……と、言いますと……?」
「コニーが慌ててやって来たとき、何があったのかと、無事だろうかと心配した。だから呼び出したのは……ただ、ルピナスの顔を見て、話をして、無事だったんだと、安心したかっただけだ。……こんなの職権乱用だ……悪い」
読了ありがとうございました。
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