ヴィクトリアの無力
どうやって屋敷に帰ったのか、記憶が曖昧だ。
ただ、ユージェニーがずっと付き添ってくれていたことは覚えている。
気づいたら応接間で父と座っていて、事の顛末を話してくれたユージェニーが退出するところだった。
ヴィクトリアの父、アルフレッド・リーヴズ・アイラは、公爵家の厳格な家長でありながらも、父としてヴィクトリアを心から愛してくれている。今は領地にいる母とも仲睦まじく、ヴィクトリアが思う理想の夫婦だった。
ヴィクトリアが拾ったリアムのことも、厳しくも優しく見守り、育ててくれた。
つまり父は、今回のギルバートの暴挙に、とてつもなく怒っていた。
「ヴィクトリアから報告は受けていたが、まさかここまで愚かな行動に出るとは」
アルフレッドの声は震えている。
「お父様……」
「お前は何も間違っていない、ヴィクトリア。我が家の従者であるリアムを、あれは無理強いして連れて行った。王族としての権利を乱用したばかりか、暴力で脅すなど……!」
それだけでも許せんのに、と父は続ける。
「アイラの事業を停止させた、だと? 第三王子如きにそのような権限があるはずがない! だが下の者は、王家に従えと言われれば従わざるを得ないだろう」
ヴィクトリアが進めていた植物園の事業は、許可が出た時点で既に手を離れ、アルフレッド主導で始まろうとしていた。
それが今日になって突然、土地が買い取れない、という話になった。正規の手続きを踏んで進めていた話が、急に止まったのだ。買おうとしていたスラムの土地は王都の一角で、行き場のない貧しい者たちが勝手に住み着いていた場所だから、王宮の役人たちはどちらかというと喜んでいたはずなのに。
訳が分からないまま屋敷に戻って、その理由を知ったアルフレッドはこうして怒り狂っている。
「わたくしが……、もっとうまく立ち回れば良かったのでしょうか。殿下の横暴を許してしまっていたから……」
「常識で物を考えられる人間は、このようなことは起こさない。馬鹿の考えることを想像できなかったからといって、お前が落ち込む必要はないんだよ、ヴィクトリア。それはお前が、賢く正しいことの証左なのだから」
聞きようによらずとも物凄く不敬なことを言っているが、今のヴィクトリアは気づかない。悄然と俯く肩を、父が優しく叩く。
「よく聞きなさい。リアムのことも、植物園のことも、陛下に話を通してみよう。リアムがいない以上、お前には侍女と護衛を付けなくてはならない。しばらくは学園以外はどこにも行かず、屋敷で大人しくしていなさい。ヴィクトリアが焦って行動を起こせば、それこそ向こうの思うつぼだろうからな」
「でも……、植物園はともかく、リアムが血の契約を交わしてしまっていたら、わたくしたちにはどうすることもできません。王族の契約を解消するには、それ相応の理由が必要ですわ」
リアムは確かに無理やり連れて行かれた。だがあの場で、脅されたとはいえ、リアムは自分からギルバートの従者になると口にした。双方の合意の下、主従関係を結んだのだと判断されるだろう。
そうなれば、たとえ国王であっても、リアムを解放することは難しくなる。
アルフレッドは少しだけ沈黙して、優しい声で言った。
「やれることはしよう。だから、ヴィクトリアは待っていなさい」
その言葉が、リアムを取り戻すことはほぼ不可能だという意味だと、ヴィクトリアは知っていた。
リアムがおらずとも、ヴィクトリアの学園生活は大きく変わらなかった。変わったところといえば、リアム一人が担っていた従者としての仕事を、侍女一人と護衛二人が分担することになったことか。
彼らは随分と周囲を警戒していて、ヴィクトリアの傍を片時も離れなかった。
教師も学生たちも、リアムがヴィクトリアではなくギルバートについていることに怪訝そうな顔をしたが、ヴィクトリアが何も言わないので口を噤んだままだった。
ただ、親しい人たちにはヴィクトリアの不調が伝わっていたようだ。普段通りを心掛けていたつもりだが、ユージェニーなどにはひどく心配されてしまった。
確かに父が言う通り、ヴィクトリアは何もしない方がいい。リアムを取られたことが、こちらにとって不利益になるのだと思わせてはいけない。こちらが常に上にいるのだと示さなければ、ヴィクトリアの目的である婚約解消には不利になる。ギルバートがアイラ公爵位を名乗るには不適切だと、突き付けなければならないのだから。
ギルバートとポーラに従うリアムは、ヴィクトリアについていた時のように暗い顔をしていない。ただ、何も映さない瞳で、人形じみた感情のない顔で、そこにいるだけだ。
それを見るたびに、ヴィクトリアの胸が軋む。けれど彼を助けることは、できない。
自分の無力さに吐き気がした。




