〇 第弐話『“一刀一斬”と”柔剣”』 -2
そういって頑羽が用意したのは、昨日と同じ、ただ小麦の生地を刀で削った、やわらかい麺だった。竈で炊いた窯の湯で茹でただけのそれを丼に入れて、頑羽は仔繰に差し出した。
仔繰は、猪肉か鹿肉か、せめて狗肉が食べたいと思ったが、わざわざ口にはせず、その味の薄い団子のような麺をずるずると食べた。美味しくはないが、仔繰はあまり食事にこだわる性格ではない。
呂燈と暮らしていたときも、食事に文句をつけたことはなかった。そもそも毎日食事を用意していたのは仔繰で、それも、山で採った山菜や狩った獣の肉をただ茹でたり焼いたりしていただけだ。それに比べれば、このふにゃふにゃした小麦粉の塊も、けっして旨くはないが、調理という手間がかかった上等な食事だと言える。
「師匠は食べないのか?」
麺を口に頬張りながら、仔繰は頑羽にそういった。
「……儂はいい、おぬしが起きる前に少し口にした。おぬしは腹八分目までしっかり食え。仔繰」
頑羽はしばらくの間、黙って仔繰が食べている様子を見ていただけだったが、ふいに仔繰から目をそらすとその場を離れて、広間の壁に何本も掛かっている木刀を手にとり、布巾で一本一本、丁寧に拭き始めた。
仔繰はしばらく麺を食べながらそれを見ていたが、やがて丼の中身がなくなると立ち上がって頑羽のそばによると、てきとうに木刀を取り、見よう見まねで拭き始めた。
それに関して、頑羽は何も言わず、二人はしばらくの間、無言のまま木刀を拭き続けた。
朝早くの道場で、その無言の時間は、仔繰にとって、不思議と心地の良いものだった。何も言わず、何も言われず、ただ一心に集中して木刀を拭く。それは極限の緊張の中、刀を振る瞬間にも似ていた。
やがて、すべての木刀を拭き終えると、頑羽は最後に磨いていた木刀の柄を握って、音もなく立ち上がった。
「よし。待ってたぜ」
それを見た仔繰も弾かれたように立ち上がって、先ほど一振りした最も長い木刀を手にとった。柄を握りしめながら、頑羽の言葉を待つ。
頑羽は、期待の眼差しで自分を見つめる弟子に対して、左手で白髭を撫でながらゆっくりと喋った。
「輪が弟子、仔繰よ。稽古を始める前に、二つ、おぬしに禁じておくことがある」
「? なんだよ?」
仔繰は怪訝な顔をして首を傾げた。出会ってから一日も経っていないが、仔繰は、頑羽が髭を触りながら喋るときは、たいがい突拍子もないことを言う時だと、すでに察していた。
「まず一つは、真剣の禁止だ。おぬしの刀は、儂がしばらく預かる」
そういえば、と仔繰は昨日、頑羽が蹴り飛ばした太刀が刺さっていた柱のほうを見た。その柱には深く刀傷が刻まれているが、肝心の長刀はない。
「今のおぬしに真剣を持たせたら、何を斬るかわかったものではない。この帝都でおぬしが人斬りなどすれば、師の儂も、この道場も、ただではいかんということじゃ」
「俺の刀はどこにやったんだ?」
「今は知り合いの鍛冶に預けておる。ずいぶんと酷い有様だったのでな」
仔繰は、少しだけ顔をしかめた。自分の刀を見ず知らずの人間に預けるということに、抵抗があった。
だが、仔繰は文句を言わなかった。出会ってから一日、己が頑羽の弟子という身分に甘んじている以上、師の言うことを受け入れようと思った。
ただ、頑羽の教えが嫌になって、この道場から逃げ出すときには、取り返さなくてはいけないなと、仔繰はそんなことを考えた。そして、手に握った木刀を見て、頑羽に問いかけた。
「真剣の禁止。つまり、本当にこんな玩具で稽古をするんだな」
「むろんそうじゃ」
仔繰はもう一度、軽く木刀を振るった。相変わらず、軽すぎて速度は出ないし、力も強くは伝わらない。やはり、仔繰にはこれを使って強くなれるとは思えなかった。
怪訝な顔をする仔繰に気づきながらも、頑羽はそれを無視して話を先に進めた。