〇 第壱話『少年、刀神と斬り合う』 -6
そこまで言って、頑羽は少年の返す言葉を待たずに、縁側に立ち尽くす弟子たちを振り向いた。
「おぬしら。破門が不服なら、一つ試合といこう。この小僧と打ち合って、一太刀入れることができたものは、この道場に残ってよい。どうじゃ?」
頑羽はそう言って、その場所を退いた。庭の脇に立って、弟子たちと木刀を握った少年を交互に見る。
だが、弟子たちも少年も動こうとしない。あまりに突然のことで、茫然としている。
「どうした。先ほどはさんざん文句を言っておきながら、いざとなると対面する勇気もないか」
頑羽は髭を撫でながら、弟子たちを見やっていった。
「ならば、こうしよう。この小僧に一太刀入れたものは、儂、“刀神”頑羽の一番弟子を名乗ることを許してやろう。これで少しはやる気もでるか? 所詮、貴様らは、儂に師事して、儂から刀を学んだという事実が欲しいだけじゃろう。本当に刀で何かを成そうと思っている者は一人もおらん」
「爺のくせに口の悪い。いや、人の悪いやつだな」
頑羽の弟子たちを焚き付けるような言動に、少年はつい笑ってしまった。笑いながら、木刀を構える。
「いいよ。一人ずつと言わずに、まとめて来てよ。俺が全員、これで叩けばいいんでしょ」
少年も頑羽に合わせて弟子たちを煽った。そこまでしてようやく、弟子の一人が木刀を手に縁側から降りてきた。
「お、俺はやるぞ! やってやる!」
その一人を皮切りに、弟子たちはお互いに顔を見合わせながら、一人、また一人と縁側を降りてくる。
少年はあくびをしながらそれを待っていたが、大方の弟子たちが下りてきたのを確認すると、頑羽のほうを見やって聞いた。
「庭に降りた段階で、そいつは試合に応じてるってことでいい?」
「ああ。そういうことにしよう」
「わかった」
次の瞬間、鈍い音とともに、最初に庭に降りてきた弟子が気を失って倒れた。直後に起こった風圧で、弟子たちは一時、目を覆った。
「なんだこの木の刀。軽すぎて振ったら手から飛んでいくかと思った」
ハッと目を開けた弟子たちの真ん中。その脚力で、風と共に一瞬で間合いを詰めて弟子のひとりを打ち倒した少年が、木刀を軽く素振りしながら呟いた。
「こんなものを使ってて、強くなれるとは思わないけど」
呟きながら、視線は油断なく周りの弟子たちを見渡している。弟子たちは慌てて少年へ向けて木刀を構えなおす。だが、何人かはすでに手の震えを抑えられず、木刀を取り落としてしまっていた。そして、いまだ庭に降りてこられない弟子たちは、顔を覆って道場を出て行ってしまった。
「まあ、こいつらを倒すくらいのことはやってやるよ」
そこからは、少年の独壇場だった。弟子たちは木刀をむやみに振り回すが、少年の袖にすらかすりもせず。逆に少年は、一人また一人と弟子たちを斬り伏せていく。
頭や首筋を強く打たれた者たちは気を失い、腰や手首を打たれた者は悲鳴をあげて倒れ伏した。
そうして半刻もしないうちに、庭先には倒れてうめき声をあげる弟子たちと、その中心で立っている少年だけになっていた。水平線に落ちかけた日が、やわらかい橙色の光で、その場を照らしていた。
「おお。終わったか。小僧」
いつの間にかいなくなっていた頑羽が、屋敷の中から顔を出して声をかけた。
「飯ができたぞ。麺を茹でただけだが、食うか?」
そこら中に倒れている多くの弟子たちを全く見ずに、頑羽は少年に呼びかけた。そんな頑羽に、少年は一つため息を吐いて、目を閉じてから大きく頷いた。
「……ああ。食うよ。あんたを斬れるようになるまで、世話になるとする」
それは少年にとって大きな決断だった。
気に入らないと思うことはいくつもある。目の前の老人の大言壮語を信じたわけでもない。ただ、自分がこの老人に完敗したのは紛れもない事実だ。このまま、何千何億回この老人に挑もうとも、最後に地面に這い蹲っているのは自分なのだ。多少なりとも刀の道を知るものとして、少年はそれを認めないわけにはいかなかった。
少年は木刀を庭の隅に投げ捨てて、倒れている弟子たちを跨ぎながら西日に照らされた庭を横断した。
なに。嫌になれば、いつでもこの道場から逃げ出して、あの山の麓の村に帰ればいいさ。そう思いなら、少年は庭から屋敷の中へと上がろうとした。
「おっと。待て」
少年の足が板張りの縁側の床を踏もうとした瞬間、頑羽は上がった少年の足を手でがっしりと掴んで、急に引っ張り上げた。
「ぐえっ!?? なにすんだっ! この爺!」
頑羽に吊り下げられて、上下が反転した視界で、少年は頑羽に対して喚いた。暴れて頑羽の手から逃れようとするが、足首を強く掴まれてしまえば、どれだけあがいても、少年の小さな矮躯では宙吊りの状態から逃れることはできなかった。
「屋敷にあがるのは、その汚い裸足を洗ってからにしろ」
そういって、頑羽は少年の体を庭のほうへ放り投げる。少年は空中で体をくるりと半回転させて、器用に足から着地した。
「庭を回った屋敷の裏手に井戸がある。そこで水を汲んで足を洗ってから、入れ」
「……ちっ」
そこに倒れていた弟子が手に持っていた木刀を引っ掴んで、頑羽に斬りかかろうとしていた少年は、自分の泥だらけの足を見て一つ舌打ちをすると、また木刀を放り投げて、しぶしぶ頑羽が示した裏手への道を歩き始めた。
「それと、儂は爺ではない。もうおぬしの師だ。これからは師匠と呼べ。小僧」
その少年の背中に、頑羽は屋敷の中から呼びかけた。そうすると、少年は振り返って言った。
「……じゃあ。俺も、小僧でもおぬしでもない。仔繰だ。これからは名前で呼んでくれ。師匠」
こうして、刀神と呼ばれた男、頑羽と、泥だらけの少年、仔繰は出会った。
この出会いこそは、やがて刀の道を切り開き、空の旅を経て、戦場の風に至る伝説の、その前触れ、あるいは序章であった。
――――しかし今は、ただただボロボロの着物の少年が、井戸の冷たい水で、しぶしぶ足を洗っているだけである。