〇 第弐話 『北域守護』-2
「誰だ?」
「北域守護の将軍。埜群様です。北域の軍事をつかさどる、埜家の実質的な統治者。いうなれば、北の帝でございます」
「ふーん。……刀、上手いのかな?」
仔繰はその瞳で埜群を舐めるように観察する。尊大で煌びやかな布の礼服に包まれた肉体は、確かにしなやかで、武人らしい力強さを感じさせた。
「またそのようなことを……。失礼ですよ」
「おまえしか聞いてないからいいだろ」
もはや何度目かもわからない、仔繰の非礼に対する停空とのやり取りをしている間も、仔繰は埜群という男から目を離さなかった。
しかし、停空がやれやれと首を振って、もう一度仔繰に噛みつこうとした、次の瞬間、仔繰の視線に対して、まるでけん制するように、埜群が視線をかえしてきた。
時間にすれば、ほんの一瞬。二人は睨み合い、そして、お互いに視線をそらした。
「北部の料理は粗雑でして。都のような色どりはなく、舌に合わないかたもいらっしゃったかもしれませんね」
埜群が何事もなかったかのように演説を続けるなか、仔繰はひとつ息を吐くと、少しだけ笑って言った。
「刀の腕はわからないけど、どうも勘所はいいらしいな」
「はい? あなた、何を言っているのですか?」
仔繰の言葉も、急に浮かべた笑みの意味もわからなかった停空は首を傾げた。
「では、交流会を始めましょう。文官のかたは私の横にいるものについていってください。隣の館部屋で意見交換を。御帝陛下のご報告書と共に、税や律令について、話し合ってください」
そう言って、男は横に控えていた別の男を手で示した。
紹介を受けた禿頭の男が、深々とお辞儀する。
「有意義なものとしましょう」
それだけ告げた禿げ頭は、静かに食事場を出て行く。それを見て、食事場から幾人かがその後を追っていく。
「それと。もうすでにここではなく、本宮の貴賓室にいるとは思いますが、羅夸姫とその侍女たちの中で、まだここに残られているかたがもしいらっしゃいましたら、本宮へとお願いします」
埜群がそう言ったとき、仔繰は、その男の視線が再びこちらへと向けられたのを感じた。
だが、その視線の意図を確かめようとしたときには、埜群はもう食堂全体へと視線を移していた。
「では、ここからは別行動です。私は文官のほうへ行くので。仔繰さん。また夜に会って話をしましょう」
停空が立ち上がって、仔繰に声をかける。
「え? ああ。そうなのか」
「昨日のように悪目立ちすることは、極力控えてくださいね」
停空は、ひとつ優雅に礼をすると、席を立って食事場から出て行った。
停空の小さな背中を見送った仔繰は、周りの様子をうかがいながらもう一度箸を握ったが、北域の将軍、埜群が、まるでそれを遮るかのように言葉を続けた。
「武官の方々はわたくしについてきてください。北域守護の本部へとお連れします。我々のような粗忽な武人どもは、言の葉を交わすよりも、武を競うほうがお互いをよく知れるというものでしょう」
男は、帝都の武人たちを連れて食事場を出て行く。ようやく仕事が終わりに近づいたことを悟った大竈の炊事婦たちが、竈の火を消して、食事場の食器を下げていく。
まだ少しだけ皿に残ったその料理たちをもったいなく思いながら、仔繰もまた、食事場を出て、武人たちの行進の最後尾に加わった。




