〇 第弐話 『北域守護』-1
今より二百年余り前のことである。長きにわたって繫栄した先代の王朝が、重税に苦しむ民衆の反乱によってその治世に綻びを生じ、やがては大いなる時代のうねりの中に滅ぶこととなった。
そして、偉大なる王朝の崩壊以降、数多の国々、数多の一族が、この広大なる天下の統一を成さんと、大いなる大地に名を刻み、そして消えて行った。
そんな中で、武王と名高い隆黄帝は、時に武力を使い、時に恒久的な盟約によって、ついには百年以上続いた戦乱を終わらせ、ここに統一王朝による国家の樹立を成し遂げた。燦国という今日に至るまで百年以上も続いている大帝国が生まれた瞬間である。
そして、初代燦国の国王となった隆黄帝は、その統一に早くから助力した衆国という国の埜一家に、燦国の北部地域の自治権を与え、これを恩赦とした。
以来、埜の一族が治める地域を北域と呼ぶようになり、さらには、帝が強い力を持つ統一国家である燦国の中で、唯一、埜の一族が定めた法規と税収の下で治められることとなった。
そして、北域には、そこからさらに北部に住む蛮族の侵入を阻むために北域守護と呼ばれる専門の役所が置かれることとなる。
「そして、ここ陽京は、その北域守護の要の都市であり、埜一族が治める北域で最も大きな街なのです。北域の民たちの中には、北の都と呼ぶ者もいるとか」
「ふーん……」
仔繰は聞いているのか聞いていないのか、停空が語る燦国の建国史に生返事をかえして、箸を動かした。
陽京の中心、塀楊城と呼ばれている城の大広間には、それに付随して大竈などと呼び称される巨大な炊事場がある。
そこに並んだ多くの窯は、平時には半分も火が入ることはない。
だが、その朝は違った。日が昇る前から城勤めの使用人の全員が集められ、前日から準備された地産の食材たちを休む間もなく調理していた。
大広間では、遥か遠くの帝都からやってきた使者たちが集まって会食をしている。前日の深夜に陽京にたどり着いた一団は、一晩明けてようやくその豪勢な食事にありつけたのだ。
その会食の席のなかの、ひときわ隅のほうの席に座っている仔繰と停空は、食卓の上にある料理に舌鼓を打っていた。
「西藍には龍が昇り、陽京では空飛ぶ龍ですら地に落とすことができるだろう。……有名な史家の言葉にあるように、陽京には二十四の櫓があり、昼夜を問わずに衛兵が持ち回りで配置され、いつでも弩を放てるようになっています」
「平地のど真ん中に建っているのにろくな城壁もない帝都とは大違いってことだな」
仔繰は、長い箸を使って食卓の上の惣菜を端から端までせっせと口に運ぶ。品のない行いではあるが、停空は悩んだ末に、わざわざ注意することをあきらめた。周りを見れば、数日の旅程の果ての、ようやくたどり着いた豪華な食事に、他の者たちも似たり寄ったりだったからだ。
「御帝様の治世がいかに平和かということですよ」
「北域は帝が治める範囲の外って言っているのか?」
「いえ、そんなことは……。少なくとも、北の蛮族どもは外ですけれど。滅多なことを言わないでください」
仔繰の突飛な発言に、停空は怒ったように会話を打ち切って、卓上の料理を口に運ぶ。仔繰もそれ以上は何も言わずに、食事に集中した。
北域は帝都のある南部よりもはるかに寒く、それが理由なのかはわからないが、料理が塩辛く、肉料理がほとんどだった。停空はそれが舌に合わないのかあまり多くを食べなかったが、仔繰はテーブルに山と盛られた料理たちを全て平らげるかの勢いで、箸を動かしていた。
「仔繰さま、少しお行儀が悪いですよ」
「ん? ……あ、ああそうか」
ずっと黙っていた停空が、それでもとうとう我慢しかねて仔繰の素行を注意した時、上座で一人の男が立ち上がって、広間全体に聞こえるようにと咳払いをしてから、口を開いた。
「皆様、お食事は十分でしょうか?」
その声に、帝都からの使者たちは手を止め、各々の会話も打ち切った。仔繰だけは食事を続けようとしたが、停空に脇腹を小突かれてようやく箸から手を離した。




