〇 第壱話『少年、刀神と斬り合う』 -4
「おぬしの負けだ」
「そうみたいだね」
少年は太刀を拾おうと浮かせた体を、再び地面に横たえると、呼吸を整えるために大きく息を吐いた。
「ここまで差があるとは思ってなかった」
少年は全身から力を抜いて空を見上げた。その目はどこか遠くを見ているようだった。そんな少年の顔を覗き込んで、頑羽はなにか思案するように、長く白い髭を撫でた。
「小僧。おぬしは何のためにここへ来た」
少年は答えない。仰向けに地面に倒れたままだ。頑羽はもう一度髭を撫でて、今度はゆっくりと少年に問うた。
「おぬし、呂燈を知っておるな」
その名前に、少年は飛び起きた。先ほど虚空を見上げていた少年の瞳には、再び頑羽と一戦交えるための闘志が宿ろうとしていた。
頑羽はあえて少年の瞳を見返すことはせず、その身をひるがえすと、大勢の弟子たちが立ち尽くす屋敷の縁側へ、ゆっくりと歩き出した。
「ただ一太刀にすべてを乗せるその一閃の刃。速度を可能な限り力へと変える為の、身に余るほどの長刀。それを扱うための足さばきの技術。そしてなにより、型もなく、技もなく、外道をいとわず、ただただ相対した者を殺すための、剣術とは到底呼べぬ殺人術。すべてあの男の技だ。“一刀一斬”の呂燈。あの男、まだ生きておったのか」
「……死んだよ。斬り殺されたんだ」
今度は、少年の言葉に頑羽が目をむく番だった。縁側へ向かう足を止めて、少年へと振り返った。
「あの男が、斬り殺されたじゃと?」
驚く頑羽の顔を見て、少年は再び体から力を抜いて、空を見上げた。頑羽も同じく見上げたが、雲一つない青空に幾羽の烏が飛んでいるだけで、特段目を引くものはなかった。
「捨て子だった俺は、呂燈のやつに拾われたんだ」
空を見上げる少年は、淡々と語り始めた。頑羽は空から目線を戻して、少年の虚ろな顔を見た。その顔には何の表情も浮かんでいなかったが、瞳は空飛ぶ烏を熱心に追いかけていた。
「拾われてから、俺と呂燈はここからずっと西にある、千臥山ってところの麓の寒村で暮らしてた。あいつは俺に剣を教えて、俺は山で猪とかを狩って二人で食って生きてた。あいつはもう爺だったけど、剣の腕前だけはとんでもなくて……」
少年は一息でそこまで語ると、一度深呼吸をした。
「……でも。十日くらい前に、俺が飯を持って帰ったら、剣を握ったまま、胸と首を切り裂かれて死んでた」
淡々と語る少年は、脱力したままだ。ただ対照的に、頑羽は眉間に皺を寄せて、木刀を握った拳に力を込めた。
「俺はあの呂燈を殺せそうな人間を探して、刀神のうわさを聞いた。それでここに来たんだけれど、その様子じゃ、あんたじゃないんだね。呂燈を殺したのは」
「なるほど……」
脱力した少年に向けて、頑羽はゆっくりと頷いた。眉間の皺はより深くなったが、木刀を握る手を緩めて、また髭を撫でた。
「おぬしはあの男の仇を取りたいのか」
「いや。仇討ちじゃない。ただ、俺がどれだけやっても勝てなかったあいつを、刀の勝負ならだれにも負けないと豪語していたあいつを、あんなに見事に斬り殺した奴を見てみたかった、そんな奴と刀で斬り合ってみたかった。たぶん、それだけだと思う」
「そうか……」
頑羽はもう一度ゆっくりと頷いた。そして、少しだけ目を閉じて、かつて刃を交えた男のことを考えた。
呂燈という男とは直接話したことはない。ただ、戦場で幾度か斬り合っただけだ。恐ろしいほど研ぎ澄まされた剣技を身に着けた男だった。頑羽が生きた伝説、刀神と呼ばれる者ならば、あの男は知る者こそ少ないが、間違いなく多くの人間を斬り続けた死神のような存在だった。そして頑羽が戦場で殺し損ねた数少ない男でもある。
どこか人の目のつかぬところで、もうとっくに老衰のうちに死んでいるだろうと思っていたが、まさか刀で殺されているとは思いもしなかった。
頑羽は、少しの間、言葉を交わしたことのない男に対して、黙祷を捧げた。