〇 第壱話『武官見習いの少年と、文官補佐の少女。』-3
「皆様。少し待ってください!」
そんな混乱の極みにあるこの場に、後方から走ってようやくたどり着いた少女が大きな声をあげた。
その少女、停空は、はあはあと肩で息をしながら額の汗を着物の袖で拭うと、皆の視線が集中する中、まくしたてるように言葉を続けた。
「大きな荷馬車を引いていることを見るに、無礼を働いたそこの男性は行商のかたと見えます。そして、腰に下げている割り符をみれば、帝の印と四金城の御門の簡易図が描かれている」
停空はゆっくりと平伏する男に近づき、その割り印を手に取って、皆に示すように掲げた。
「これは四金城に出入りするための行商人用の割り符です。おそらく荷馬車の中身は、四金城の中で働く従者や皇族のかたへ売り込むための宝飾品や着物の布などでしょう」
突如として語り始めた停空に、その場の誰もがぽかんとした顔で彼女を見る。
よほど宮廷内の行事に精通していなければ、行商の割り符の意味などわからないはずである。まして、年若い文官補佐がそんなことを知っているわけがない。皆がそう思ったが、停空の自信満々な物言いに口を挟む者はいなかった。
「今月の末日に、年に一度の宮廷内の市が開かれます。行商のかたは、それに間に合わなければならない。しかし、先日の大雨で、我々と同じように立ち往生してしまった。だから急いでいたのでしょう。つまり、ここでその者を処分すれば、御帝への不利益になるということです。それは好ましい結果ではないと愚考いたしますが、如何でしょうか」
停空のその言葉は、一見すると行商人を斬ろうとした武官に対しての発言声に見える。だが、その幼くも鋭い瞳は武官のさらにその奥、御簾で閉ざされた羅夸姫の馬車へと向いていた。
そしてその視線に答えるように、馬車の御簾がごくわずかに上がり、中から一人の女官がすっと姿を現した。
そこにいたものは、仔繰を除いて、皆その女官に頭を下げる。次いで、仔繰も周りの様子に気が付いて、とりあえずといった様子で頭を下げた。
その女官、羅夸姫の乳母であり、付き人として最も位の高い地位にいる彼女は、決して大きくはない声で、しかしその場の人間すべてに聞こえるように、言葉を発した。
「羅夸様から、お言葉がある」
皆、さらに顔を下げた。武官たちは馬を降り、片膝を折って、最大の敬意を表す。停空はよくわかっていない仔繰の頭を慌てて上から押さえつけて、自らも地に両ひざを付け、平伏した。
豪奢な馬車を覆う御簾の向こうで、誰かが立ち上がった気配がする。そして、よく通る声が、その場に響き渡った。
「うむ。皆の者、それほどかしこまるな」
姿こそ見えないが、その声が燦国第九皇女の声であるということを誰もが理解した。声の主はみなに顔をあげるよう促したが、それに応じて顔をあげたものはいなかった。
もっとも、仔繰は素直に立ち上がろうとして、より一層停空に強く押さえつけられたのだが。
「そこな文官の言う通りである。昨日の雨で、我々も道を急ぎ、行商の者もまた同じであったのであろう。お互いが余裕を持てず、視野が狭まっていた中で、どうして間違いが起きないと言えようか。ゆえに、行商の者の今回の行いは不問とする。近衛武官、半恒よ。吾に恥をかかすまいとするお主の忠義、吾は十分に感心した。汗で取り落とした刀を拾い、馬を出せ。日が暮れる前には着きたい」
「はっ!」
なぜ第九皇女様が武官見習いや文官補佐の肩を持つのか。そもそもこの生意気な少年少女はなぜ羅夸姫の一行に参加しているのか。そして何よりも、自分は刀を汗で滑らせてなどいないということ。半恒と呼ばれた武官は、それらすべてにまったく納得いかないままであったが、その場ではただ地に頭を付けるだけであった。
「では行こう」
皇女が最後の一言を告げ、御簾の向こうの気配が消えると、一行はようやく顔をあげた。姫の乳母も、すぐに御簾の奥に姿を隠した。
仔繰と停空は行列の後ろへと帰っていき、半恒もまた馬に乗って拍車をかけた。羅夸姫の行列が再び北に向け、徐々に速度を上げて進んでいく。




