〇 第壱話『武官見習いの少年と、文官補佐の少女。』-1
燦国を南北に通る最も大きな街道を、王家の紋章たる六翼金龍の旗を掲げた馬車の一団が北へと進んでゆく。
先頭は荷持ちの馬車。その後方に、御簾で覆われた豪華な馬車が、三頭の立派な青馬にひかれている。周りには大勢の護衛の武官たちが、自ら馬を駆って周囲に目を光らせていた。
その馬車の御簾の内側には、燦国の第九皇女である羅夸姫がいらっしゃるらしい。道行く民衆は、その一団に対して道を開け、体を低くして行列が去るのを待っている。
そして、その列の最も後ろで、ガタガタと車体を揺らしながら、屋根も付いていないようなおんぼろの馬車が、必死に前の一団を追っている。下級の官吏たちが集められたその馬車の中で、抜きんでて年若い二人の男女が、馬車の端っこに横に並んで外を眺めていた。
「今日中には目的地に着くのか? えっと、……ごめん、名前、もう一回教えてくれ」
「はぁ。私の名前は停空です。いい加減覚えてください。仔繰さん」
武官見習いの仔繰は、文官補佐の停空という少女の言葉に、気まずそうに頭を掻いた。
この二人、明らかに公務に付ける年齢を下回っているにもかかわらず、羅夸姫の行列に参加している。他の士官たちが噂するところによると、二人は皇女羅夸姫のお気に入りらしい。本来はお付きの侍女と高官しか謁見してはいけないはずの、羅夸姫の素顔すら知っているとか。
だからこそこの二人は、その下級官吏用の馬車の中で、やや浮いた存在だった。より正しい言い方をすれば、周りから疎まれていたと言っていい。
「すまん、停空。……停空だな。よし、もう覚えた」
しかし、二人はそんな周りの目など気にしたことはない。ただ、年齢が近しい者同士だからか、頻繁に二人一組で行動している。
「絶対に覚えてくださいね。以前に言ったことがあると思いますが、私は名前を誤って呼ばれるのが一番嫌いなのです」
「あ、ああ。わかったよ……」
仔繰は語気の激しい停空に対して、しどろもどろになりながら視線をそらした。何となく、この二人の力関係が見えるような会話である。
「あなたの質問に話題を戻しますが、日暮れ前に着くかどうかは、微妙なところでしょう。本当であれば、もう着いている時間なのですが……。やはり、昨日の大雨で立ち往生してしまったせいで、少し行程に遅れが出ていますね」
停空が着物の袖から燦国の地図を取り出して、矯めつ眇めつしながらそう言った。文官の見習い程度が地図を読めると言うのはとても信じられないことであるが、仔繰はまったく疑うことなく頷いた。
「ふーん、そうか。車を引いている馬も走りっぱなしで疲れているみたいだ」
そう言って、仔繰が車を引く馬に視線をやったちょうどその時、行列の前方で何やら大声が聞こえたかと思うと、御者が手綱を引いて馬車が急停車した。前方を覗くと、羅夸姫の豪奢な馬車も、武官の駆る馬たちも、一様に足を止めている。
「……はて? 何があったのでしょう?」
「さあ、なんだろうな」
停空と仔繰は馬車の端から身を乗り出して、騒ぎが起きている様子の先頭を覗き込んだ。停空の眼では前方の様子は窺い知ることはできなかったが、仔繰には何かが見えたらしく、少年は不審に眉間に眉を寄せた。
「おい。よくわからんが、何かまずいかもしれん」
呟いた仔繰は、少しだけ躊躇った様子を見せたが、腰の刀に手をやってそこに愛刀があることを確かめると、決心したように馬車から飛び降りた。
「ちょっと見に行ってくる」
仔繰は停空に一声かけると、そのまま颯爽と隊列の先頭へと走っていった。何が何やらわからない周りの下級士官たちは茫然とするが、停空だけは馬車を降りて、仔繰を追いかける。
「おーい! 待って、仔繰さん!」
もっとも、馬車を降りるのも走るのも仔繰と比べあまりにも遅く、停空も置いていかれたようなものであった。




