〇 終話 『「道」の終わり。「旅」の始まり。』-3
仔繰はしばらくの間、黙って考えた。また空を見上げたが、そこに答えはなく、頑羽の言う守るべきものがどうしても思い浮かばなかった。
「師匠。俺は守るようなものを持っていません。ただこの身一つで旅に出るのですから……」
「ああ、それでいい。今、この時に、それがなくともよいのだから」
頑羽は仔繰の悔しそうな言葉に、ゆっくりと首を振った。
「それは、おぬしが人生の中で、旅の中で見つけるものじゃ。安心しろ。旅立てば、守るべき大切なものは必ず見つかる」
頑羽は、まるで仔繰の旅の成功を予言するかのように断言した。仔繰もまた、頑羽の言葉を胸に刻んで、大きく頷いた。
死なないこと、そして守ること。この頑羽が仔繰に伝えたこの二つの助言は、後々、仔繰の運命を大きく決めてしまうことになる。あるいは、この燦国という国家自体のあり方すら左右することとなるのだが、今はただ、師弟が二人で納得し、頷き合っただけであった。
そしてまた、後の燦国のあり方に大きく関わる運命を持つ人物が、この場所にはいた。
「では仔繰よ! おぬしに守るべきものを与えてやろう!」
突然、師弟の間に割って入るように大声を出した皇女に、仔繰も頑羽もポカンとした表情で彼女を見た。
羅夸は立ち上がり、どこか遠くを示すように、空へと扇を広げ、二人に宣言した。
「実はな、これから吾もこの都から離れるのじゃ。おぬしを吾の護衛として雇おう。吾の旅について来い。そして、大切な吾を守るのじゃ、仔繰よ」
羅夸は扇を着物の袖口に仕舞うと、振り返って仔繰に右手を差し出した。
「そのようなこと。御帝が許されないでしょう。それに、武芸処の運営はどうするのですか?」
頑羽がやれやれと苦言を呈するが、羅夸は自信満々に首を振る。
「四人の道場主のうち、一人は死に、一人は獄中。そして一人はもう刀を教える気がない。これでどうやって続けろというのだ。まあ、罫徳殿は、何かしらの策を講じて、続けようとしておったが、それならばと思い、すべてあの者に任せることとした」
羅夸はどうだと言わんばかりに胸を張った。
「もともと、吾は自分が見たいからという理由で武芸処の仕組みを作り、そして発案者というだけで、罫徳殿の補佐をしておっただけじゃ。あの場に吾がいる必要はない」
羅夸はこの十年の間、ひたすらに執着していた立場を、あっさりと捨てて見せた。頑羽はそのことに特別に驚いた。
「あなた様が、そのようなことを言うとは……」
「ふん。それに、此度の出立は、お父様も認めた公的なものである。吾を止めるものはないぞ」
さあ、と羅夸は再び仔繰に右手を伸ばした。仔繰は頑羽に助けを求めるかのように視線を向けるが、頑羽は自分で決めろと言うように首を振った。
仔繰はまた、仕方なく空を見上げた。空では相変わらずつがいの烏が仲良く飛び回っていた。その烏から答えを得たわけではないだろうが、やがて仔繰は大きく頷くと、立ち上がって、羅夸の手を取った。
「わかった。よろしく頼む。皇女様」
「おう。吾も、吾の護衛を頼むぞ、刀神の一番弟子よ」
こうして、稀代の天才剣士、仔繰の旅は始まった。
今は皇女羅夸に手を引かれ、何を得るのかもわからないまま。あるいは、何を失うかもわからないまま。
師と交わした二つの言葉を胸に、ただ、空を見上げて。空に導かれるままに。
『刀の道』編、終。
『空の旅』編へ続く。




