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刀の道、空の旅、戦場の風。  作者: 緒方白秋
第一章 刀の道
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〇 終話 『「道」の終わり。「旅」の始まり。』-2

仔繰(コクリ)よ、先ほども言った通り、儂はもう刀を持てぬ」

 一人で勝手に懊悩(おうのう)する皇女をよそに、頑羽は仔繰に語り掛けた。

「しかし、儂がおぬしに刀を振って教えられることなど、もうない。……そして、おぬしは育ての親の仇を討った。儂が示した刀の道の最奥にも触れた」

 頑羽はこの一ヶ月を思い出しながら、仔繰に問うた。

「ならば、おぬしは次に何をする?」

 仔繰は、その答えを既に用意していた。嶽飛(ガクヒ)を下したあの日から、頑羽が目を覚ますまで、ずっと空を見ながら考えていたことだった。

 だが、仔繰はそれを言うことをためらった。しばらくは無言のまま、また視線を空へと彷徨わせていたが、ふと、何となしに頑羽とは逆の方向を見ると、同じくこちらを見ている大きな丸い瞳と目が合った。

 パタパタと扇で顔を煽いでいる羅夸(ラコ)は、何やら期待を込めた瞳で、仔繰のことを見返した。

 そこで仔繰は気が付いた。自分が言うまでもなく、羅夸も、そして当然頑羽も、仔繰の答えをわかっているのだ。わかっていて、頑羽は仔繰が自らそれを言うことを待っているのだ。

 それに気が付くと、躊躇していた自分が馬鹿らしくなって、仔繰は少し笑いながら言い切った。

「俺は、これから旅に出る」

 頑羽は黙って一つ頷き、羅夸はにやりと笑った。

「俺は、呂燈(ロトウ)の横で刀を振っていたときは、あいつがこの燦国(さんのくに)で最強の男だと思っていた。でも、あいつは俺が見ていないうちに斬り殺された。だからこそ俺は、呂燈を殺せるほどの剣豪を探してこの街に来た」

 仔繰は頑羽を真っすぐ見つめて、言葉を続ける。

「その結果、俺は師匠に出会うことができた。そして、師匠に出会ってから一ヶ月で、俺は、呂燈と一緒に暮らしているだけでは決して知りえない世界にたくさん出会った。俺が最強だと思っていたあいつは、もちろん頂点の一つではあったけれど、それでも数多ある山の一つの頂でしかなかったんだ」

 そう語る仔繰自身もまた、既にそれらの壮麗たる山嶺(さんれい)の一つであると頑羽は知っている。だが、仔繰本人はそのことに全く気が付いていない。それが頑羽にはたまらなくおかしく思える。そして、頑羽は、あえてそれを本人には教えようとしない。それによって、仔繰がさらなる頂を目指し、あるいは、この燦国で最も高い頂へと登り詰めることを夢見ているのだ。

「だから、俺は、この燦国全土を巡ってみたい。きっと、呂燈と暮らしていた時にも、この都でも、まだ見たことがないものが、知らなかったものが、そこら中にあるはずだ。俺はそれを見て、知って、もっともっと強くなりたい」

 そこまで言うと、仔繰は体ごと頑羽に向き直って、着物の裾を正すと、手をついて頭を下げた。

「師匠、俺は修行を終えて旅に出ます。許していただけますか」

 仔繰の突然の礼節ある行動に、羅夸は驚いた。常に礼儀を知らず、横柄な態度を崩さなかった仔繰が、まさかそういった面でも成長したのかと、羅夸はまたも見違える思いであった。

 頑羽もまた、目を白黒させながら、言葉を反した。

「儂がおぬしを引き留めることなどできんよ」

「……ありがとうございます」

 仔繰は頭をあげないまま、礼の言葉を口にした。

 羅夸は、よもや仔繰が泣いているのかと、四つん這いになって少年の顔を下から覗き込んだ。少しばかり卑俗な期待を抱いていた羅夸だったが、覗いた先で、真顔の仔繰が睨み返してきた。

「なんだよ」

「……いや、なんでもない」

 急に自分の格好が恥ずかしくなって、羅夸はすぐに体を持ち上げた。次いで、仔繰もゆっくりと顔をあげる。頑羽は羅夸の行動に呆れて頭を搔いていたが、二人が居並ぶようにこちらを見ていることに気が付くと、一つ咳ばらいをしてから、仔繰に対して言葉をかけた。

「仔繰よ。おぬしは好きなことをすればいい。儂は引き留めぬし、おぬしの旅立ちを祝福しよう。……だが、一時(ひととき)でもおぬしの師でいた儂から、道なき旅を行くおぬしに、いくつか、ほんの些細な助言をしたいのじゃ。偉そうな老人の小言(こごと)を、どうか聞いてくれるか?」

 仔繰は、無言でもう一度頭を下げた。これが師から受ける最後の教えになるだろうと、仔繰は悟った。

「まず一つ。……死ぬな。また儂に顔を見せろとは言わぬ。ここに戻ってこなくともよい。ただ、簡単に死んでくれるな。柔剣(じゅうけん)は至高の剣技じゃが、無敵の剣ではない。死地においてはお主を助けてはくれるが、それを持っているからと言って、自ら死地に赴くようなことはするな」

 仔繰という男は、自分で何かを決めてしまったら、自発的に止まることはない。自分の生死を勘定に入れずに、ありとあらゆるところへ飛び込んでしまう。頑羽はそれを身に染みて知っている。しかしながら、仔繰のその性質を禁ずることはできない。仔繰は常に走り続けるからこそ、何かを手にできる逸材なのだから。

 だからこそ、頑羽は死ぬなと、そういった。あるいはそれが叶えられない願いかもしれないと思いながらも、そう言わずにはいられなかった。

「柔剣は、無敵ではない……」

 仔繰は師の言葉に頷いたが、頑羽が真に伝えたかったことよりも、別の点が気にかかったようだった。頑羽は余計なことを言ってしまったかと思いはしたが、それを追求することはなく、次の助言を口にした。

「そして、もう一つ。守ると決めたものは、必ず守り通せ。それが人であれ、おぬしの想いであれ、誰にも奪わせるな」

「守ると決めたもの……」


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