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刀の道、空の旅、戦場の風。  作者: 緒方白秋
第一章 刀の道
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〇 終話 『「道」の終わり。「旅」の始まり。』-1

 燦国(さんのくに)の帝都である西籃(セイラン)、その南の大門をくぐって、綺麗な格子状に区切られた街並みを、北に三区間、東に二区間進んだところに、その道場屋敷(どうじょうやしき)はある。

 軒先の大きく古い看板の文字は掠れ、もう何と書かれていたのか読むことはできない。敷地は大きいが、屋根瓦はところどころ剥がれており、庭先は荒れ果て、そこに植えられた蟠桃(ばんとう)の木々はとうの昔に枯れ果てている。

 そんな荒んだ有様の大屋敷を、その日、日の昇る頃に尋ねたのは、何を隠そうこの燦国の第九皇女である羅夸(ラコ)であった。

 つい先日まで、この時間にこの場所を訪れると、少年と老人が、二人仲良く道場の床を濡らした布巾で拭いているのが見られたはずだ。だが、今日はその姿がない。

 羅夸は表の門から入って、建物には入らずに、ぐるりと庭へと回る。その軒先に一人、少年が座って空を眺めているのが見えた。

「おい。仔繰(コクリ)。なにをぼさっとしている」

「……ああ、おまえか」

 仔繰は相も変わらず皇族に向ける言葉とは思えない言葉遣いだったが、羅夸もまた、今更それを気にすることはない。

 羅夸は仔繰の右隣に腰かけた。仔繰は一度ちらりと羅夸のほうを見たが、すぐに空へと視線を戻した。

「昨日、頑羽の奴が目を覚ましたと聞いたぞ。だから妾がこんな朝の早くから来てやったのだ」

 あの日、頑羽は罫徳(ケイトク)の応急処置を受けながら、馬車で皇族お抱えの医師のもとへと運ばれた。仔繰に敗れた嶽飛(ガクヒ)は捕縛され、今は四金城(しきんじょう)の地下の牢獄で沙汰を待つ身である。

「いつもの支度はせんのか? ほら、床を拭いたり、木刀を磨いたり」

 その羅夸の呼びかけにも、仔繰は空から目を離さない。だが、しばらく言いよどんだ後に、ややか細い声音で、言葉を反した。

「もう師匠は刀を振れないと、さっきそう聞いた」

「……ああ、そうか」

 羅夸は仔繰と同じように、空を見上げた。早朝の、日の上ったばかりの空には、つがいの烏が、お互いを追いかけるように、円を描いて飛んでいた。

 仔繰が何か言葉を続けるかと、羅夸は少しの間無言で待っていた。だが、仔繰は何も言わず、羅夸はすぐに烏を目で追うのに飽きて、仔繰の横顔に視線を移す。

 皇女の瞳には、その少年の精悍な顔つきは、一月前に出会った頃とは、まるで別人のように映った。最初にこの道場で出会ったときは、頑羽が入れ込んでいるのが不思議なほどに小さな少年に見えたが、今はもう、ずいぶんと立派な男に見える。三日会わざればなんとやらとはこのことかと、羅夸は密かに驚嘆した。

「まあ、頑羽の命が無事だっただけでもよしとしよう」

「儂のことを呼ばれましたか?」

 羅夸の言葉に答えるように、道場の奥から老人が姿を現す。その声に、空を眺めているだけだった仔繰はすぐに振り向いた。

「師匠! 起きて大丈夫なのか?」

 羅夸は、自分が黙って仔繰の横顔を眺めていたことが急に気恥ずかしくなって、慌てて袖口から取り出した扇で顔を覆った。もしや頑羽に見られていたかと思うと気が気ではなかったが、頑羽がそのことに言及することはなかった。

「ずっと寝たままでは、治るものも治らんよ」

 頑羽は縁側の二人にゆっくりと近づくと、仔繰を挟んで、羅夸とは反対側に腰を下ろした。羅夸には、その老人の身体が、仔繰とは正反対に、たった数日で、まるでしぼんでしまったかのように小さく見えた。

「羅夸様。何度も言っておりますが、城を離れるときは護衛を付けてください」

「妾も何度も言っておるが、大丈夫じゃ。今まで妾の身に何か起きたことはない」

「儂は、もうあなたを守れないのです。わかってください」

 代わりに仔繰がいるだろう、と言おうとして、羅夸はすんでのところで口を噤んだ。自分が仔繰のことを、頑羽ほどに信用しているなど、とても本人の前では口に出せなかった。

 羅夸は顔のほてりを自覚して、扇でしきりに顔を煽ぐ。


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