〇 第陸話『刀の道』 -4
頑羽の愛弟子。天賦の才を持つ少年。四金城からひと時も足を止めずに駆けてきた仔繰は、道場の扉を蹴破らんばかりの勢いでその場に入ってきた。呼吸は荒く、左の腰に佩いた長刀には、既に腕が掛かっている。獲物を探す猛禽のような鋭い視線は、血みどろの頑羽を経由して、嶽飛へと定まった。
「ああ。あなたが頑羽殿の自慢の弟子というやつですか。四金城の御前試合はどうしたのですか? このようなところで油を売っていては、皇女殿下のお叱りを受けてしまいますよ」
嶽飛は血だまりの中に倒れる頑羽から視線を外し、仔繰に向かい合った。
うまくいかないものだと、嶽飛は頭を振った。頑羽に勝った今、もうこの場所にいる必要はない。仔繰がこうしてここに来た以上、羅夸や他の人間にも、もう嶽飛の蛮行は知られているのだろう。ならば、むしろ長居すれば、それだけで警邏に捕縛される危険が伴う。
だがしかし、困ったような風を装う嶽飛の顔には、この道場へと来た時と同じような笑みが浮かんでいた。
「あなたの師は、たった今、私に敗れました。このままでは、失血で死んでしまうでしょう」
「……ああ、そうか」
嶽飛の言葉に対して、仔繰は短く言葉を反して、腰に差した刀をゆっくりと抜く。その身に似合わぬ長刀が、開け放った道場の扉から差し込む朝の日差しを受けて妖しく光る。
それを見て、嶽飛もまた、頑羽の血に濡れた刀を構えた。いつ仔繰が斬りかかって来てもおかしくない状況であったが、嶽飛は更に仔繰を煽るような言葉を繰り返す。
「そういえば、あなたはあの死神、呂燈に育てられたそうですね。あの男を斬り殺したのも、私です」
「……そうかよ」
頑羽は仔繰を止めようとするが、痛みと出血で体は動かず、声も出ない。ただ視線だけは、向かい合う二人から外せなかった。
嶽飛は考える。ここで仔繰を相手にして、その後に来た警邏に捕まるというのは、とても間抜けな結末だ。だが、今まさに目の前にいる、自分に対して殺気を放つ剣客を無視して逃げるというのは、あまりにももったいない。
であれば、仔繰と斬り合い、そしてまた、自分を捕まえに来る皇女も警邏達も、皆斬ってしまえばいい。あるいは、その大立ち回りこそが、自ら求めた本物の殺し合いとなるのかもしれない。
そう思ったときには、嶽飛はさらに仔繰を焚き付ける言葉を発していた。
「警邏に捕縛されてはたまらないので、私はここで去ろうと思います。あなたはこの老いぼれと、仲良く剣術ごっこに励んでいてください」
「……おまえを斬る」
一言だけ呟いた仔繰がとった構えは、長刀を大きく後ろにそらした構え、すなわち“一刀一斬”であった。
「来い、餓鬼……!」
嶽飛が返した最後の煽りの言葉に、仔繰は弾かれたように一歩を踏み出した、刀三本分の長い間合いを立った一歩で詰め、次なる一歩で間合いを調整し、生み出した速度を刀に乗せる超高速の刃。
「駄目だ! 仔繰!」
頑羽は渾身の力を振り絞って叫んだ。どんな速度で放たれた刃も、嶽飛の眼に捉えられないものはない。たとえどれほどの速度の斬撃であろうとも、それを受け止めることができる。それこそが、嶽飛の心眼の力なのだ。
全てを受け止める嶽飛の心眼と、一撃に全てを懸ける仔繰の一刀一斬は、あまりにも相性が悪すぎる。
「……知っているぞ」
だが、仔繰は嶽飛のことを知っていた。
それは呂燈の仇を探してこの都へと来た時に聞いた話。四棟の剣術道場を営む四人の剣術家の中で、心眼の嶽飛と呼ばれている剣豪。あらゆる斬撃をその瞳に捉え、必ず防ぐ絶対防衛の技を持つ男。
仔繰は最初に頑羽に挑んだが、いずれ他の道場主と刀を交えるだろうと思っていた。だからこそ、その技を破る方法は、とうの昔に考えていたのだった。
第一歩で嶽飛の懐へ飛び込んだ仔繰は、第二歩で刀を振り抜く直前に、その右足を真上に蹴り上げた。
道場に全速力で飛び込んできたがゆえに、履いたままであった外履きの草履。それが、嶽飛の顔面へと飛んだ。
「目潰しか!」
これこそが、一刀一斬の本質。持てる全てを以て、相対する者を斬る。ただそれだけを極めた剣術である。
嶽飛の視界が、泥だらけの草履に覆われる。それと寸分の狂いもなく、全く同時に、仔繰の長刀が嶽飛の首めがけて鋭く閃いた――――。




