〇 第陸話『刀の道』 -3
「ならば、私があなたを斬って、伝説の終わりといたしましょう」
「ふっ。先程からおぬしから斬りかかってこぬのは、儂の柔剣を恐れてであろう。どこまで老いたとしても、儂が柔剣を忘れることなどないぞ」
「急に多弁になりましたね。焦っているのですか? しかし、私はもう、あなたへの興味を失いました。なれば、私のほうこそもはや語ることはない。我が剣技を以て、あなた様の柔剣を打ち破って御覧に入れる」
嶽飛はそう言って、構えた。頑羽は再び全神経を集中させ、嶽飛の一太刀を受ける覚悟をする。
二人の視線が交差する。朝の日差しの入る道場に静寂が満ちる。
遠くで鳥の声が聞こえた。お互いの呼吸の律動が一致する。額に滲む汗が、頬を伝う。そして一瞬だけ、頑羽が目をしばたたかせた。
――――次の瞬間、嶽飛が初めて自分から動いた。
一歩踏み込み、左から横一線。頑羽の一撃と比べると、不自然なほど遅い。達人でなくとも、その速さの刃を受けることは難しくないだろう。頑羽も当然、それを受けて反すために、自分の刀を嶽飛の刀のほうへと向ける。
頑羽が自ら言ったように、剛柔剣こそ放てなかったものの、通常の柔剣を仕損じる頑羽ではない。それは嶽飛もわかっているはずだ。だが、嶽飛の刃は止まらない。頑羽は柔剣によって、嶽飛の身体を吹き飛ばそうと力を刀に加える。
二人の刀が重なり、頑羽は勝ちを確信した。
――――だが――――。
「……ぐっ……っ!?」
――――頑羽は、嶽飛の刀に斬られていた。
頑羽の左肩を、嶽飛の刀がえぐるように通り抜ける。とっさに頑羽は後ろへと退くが、嶽飛がそれを許さない。下がる頑羽の身体を追って、距離をさらに詰める。
「逃がしませぬ」
そのままの勢いで、嶽飛は右上から刀を斬り落とす。しかし、頑羽も百戦錬磨の刀神。姿勢が崩れたままで、それを受けようと、右手だけで支えた刀を持ち上げた。
「……ぐぁ! ……これは……っ!? なにが……っ!」
しかし。またも頑羽の刀は嶽飛の一撃を止めることはなかった。まるで刃がすり抜けるかのように、嶽飛の刀が頑羽の防御を潜り抜けて、その右わき腹を刺し貫く。
「ああ。一太刀目は首を、二度目は胴を両断したつもりだったのですが。やはりこの剣術は狙いを定めるのが難しい」
とうとう刀を手から取り落とし、脇腹を抑えながらうずくまる頑羽を、嶽飛は上から見下すように覗き込んだ。
「これぞ、私があなた様の柔剣を破るために生み出した剣技。刀神にも、何が起きたかわかりませぬか」
奇しくもそれは、守りの剣術を攻めの技に変える、柔剛剣と似通った生まれの剣術であった。
相対する者が放つ斬撃を、その眼に捉え、必ず刀で受けることができる嶽飛の心眼。ならば、逆に相手が自身を守る刀を、躱すことができるのも道理である。
つまりは、心眼によって自らが放った刃を受け止める相手の刀の位置を見て、捉え、それを躱すように、自ら振るう刃をずらし、まるですり抜けたかのように相手を斬ることができる。
「名付けて、透過斬り。まあ、今考えてみたのですが」
柔剣を破った高揚感からか、得意げに自らの剣技を誇る嶽飛。先程の頑羽の老いに対する落胆も、いつの間にか消え失せたようだ。
頑羽は腹と肩を両手で抑えながら、浅い息を繰り返す。このままでは失血で死を待つだけだろう。視界が霞み、意識が遠のいていく。嶽飛がこちらを見下ろして、とどめを刺そうかと思案しているのがわかる。
頑羽とて、数多の他者を斬り捨ててきた身である。いつかはこうなるかもしれないと思っていた。その時はおとなしく死を受け入れようと思っていた。
だが、いざその時になって、どうしても捨てられない未練があることに、頑羽は気が付いた。
それは、ただ一人の愛弟子。仔繰。
あの天賦の才を持つ男を育てきれなかったことに、頑羽は悔しさを感じながら、その意識を手放そうとした。
――――その時。
「師匠!!」
その声に死の淵から呼び起こされた頑羽は、はっと顔をあげた。




