〇 第伍話『奥義』 -2
「なんじゃ。あまり根を詰めすぎるな。本番はもう一刻先なのじゃぞ」
頑羽はそう言って仔繰を嗜めたが、仔繰は引き下がらなかった。むしろこの後すぐに試合があるからこそ、仔繰はここで止まること良しとしないのだろう。
「一度だけでいい。師匠。……あんたは一月前、俺に自分から刀を振るなと言った。だけど。今、一度だけあんたに斬りかかってみてもいいか?」
仔繰はやや言葉を選ぶようにそういった。頑羽は首を捻り、少し考えてから答える。
「それは何故じゃ?」
「試してみたいんだ」
仔繰の短い答えに、頑羽は我知らず、生唾を飲み込んだ。まさか。いや、そんなはずはないと、自分に言い聞かせながら、ゆっくりと、仔繰に対して右手を差し出した。
「一度だけじゃ」
「ありがとう。師匠」
仔繰は素直に一礼して、左手に握っていた刀を頑羽に手渡した。
そのまま三歩下がって、右腕を、握った刀ごと、大きく後方へ反らして構えた。死神と呼ばれた男が、生涯を賭して作り上げた剣技“一刀一斬”の型である。
対して頑羽の構えは常に正眼。塵ほども歪みや傾きのないその美しい姿勢。正確で真直ぐなその型は、剣術の基本にして、頑羽がたどり着いた剣術“柔剣”にもっとも嚙み合った構えである。
二人は、修行を始めた初日と同じように向かい合う。その時、仔繰は頑羽の柔剣の前に屈した。それ以降、仔繰は柔剣の修行を始め、一刀一斬を封じることとした。
一度通じなかった剣術を、特段磨き上げたわけでもなく、再度同じ状況で挑む。であれば、結末も同じになる。それが道理という物だろう。
そして仔繰は、これもまた、同じように刀を振るった。
「はっ!」
呼気と共に鋭く踏み込み、神域の速さでもって、相手を切り裂く。一刀一斬の動き。それに対応するのは、刀神の頑羽。自らの刀を相手の刀の軌跡に合わせ、受け止め、力の向きを操作し、返す。柔剣の動き。
二つの剣技が刹那の間にぶつかり合い、そして結局、道理の通り、以前とまったく同じように仔繰の身体が大きく跳ね飛ばされ、宙を舞った。頑羽の柔剣が、仔繰の一刀一斬の力を打ち消し、支配し、それを繰り出した者の身体ごと投げ飛ばしたのだ。
「……なぜっ……!」
だが、その結果に驚愕していたのは、頑羽のほうであった。頑羽は仔繰の一太刀を反したはずの刀を取り落とし、片膝をついて体を震わせていた。
「……なぜ、これに辿り付いた……!」
頑羽の震える声に、吹き飛ばされ、これもまた一月前と同じように床に叩きつけられた仔繰は、体から痛みが取れるのを待って、大きく呼吸すると、倒れたままの格好で淡々と言葉を紡ぐ。
「ずっと自分で両手に握った木刀を打ち合わせていたんだ。そうしたら、段々と攻撃しているほうの木刀と、それを受けるほうの木刀の違いがわからなくなってきて、気が付いたら、攻撃しているほうが、受けて反すはずの木刀を跳ね飛ばしていたんだ」
それは仔繰の悪癖の賜物か。天賦の才を持つ少年は、信じられないことに、自らそれに気が付いたと言う。
「最初は、普通に受け損なっただけだと思った。けれど、何度か試して気が付いたんだ。攻撃する刀と、受ける刀に掛かる力は、本質的には同じだって。だったら、攻撃する側だって柔剣を使えるのは当然だ」
頑羽はひざを折り、まるで跪いたような恰好で、とうとう一筋、涙を流した。
感動、驚嘆、恐怖、そして少しばかりの羨望。あらゆる感情が綯交ぜになった涙は、幸運なことに、寝ころんだままの仔繰には見えていなかった。頑羽はさっと服の袖で頬を拭うと、ゆっくりと立ち上がった。
「……その剣術の名は、“剛柔剣”。儂が築いた柔剣の奥義じゃ」
「剛柔剣……」




