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刀の道、空の旅、戦場の風。  作者: 緒方白秋
第一章 刀の道
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〇 第参話『刀に魅入られた皇女』 -7

 横へと視線を向けると、なにやら不思議そうな顔をして皆の顔色を窺っている嶽飛(ガクヒ)と目が合った。嶽飛は少し首を傾げながら、おずおずと言った様子で頑羽(ガンウ)に尋ねた。

「あの。頑羽殿。呂燈(ロトウ)という人物は、いったい誰なのですか」

「ああ、そうか。おぬしはあの北方の戦には参加していないのだから、知らないのも無理はない」

 そもそも、四十年前の蛮族との戦乱のときには、嶽飛は生まれてすらいない。そのことに思い至った頑羽は、場の雰囲気にそぐわぬ笑いを漏らしてしまった。

「若いな、おぬしは」

「はあ。ええ、頑羽様と比べれば、それはもう」

 さらに不思議な顔をする嶽飛の横で、馬芹(バキン)が唐突に、しわがれた声をあげた。

「あの男は、死神と皆に呼ばれておった。あるいは、災いと。しかし、儂に言わせれば、獣じゃった」

 その声は震えていた。それは老いからくるものではなく、強い感情からくるものであった。

「あの男は戦乱のさなか、その時々で最も酷い戦場に現れては、北の蛮族も、燦国の勇士も、まったく区別なく斬り殺していた。ゆえに、あの戦乱で生き残った者の中で、あの男を知らぬものなどいないのじゃ。死神、そう呼ばれるのも、不思議ではない」

 過去の記憶を述懐する馬芹の声の震えは次第に大きくなり、やがては声だけでなく、その強く握りしめられた拳も震えだす。思い出すことが苦痛なのか、あるいは、思い出されたその記憶こそが、耐えられない物であったのか。

「今思えば、あやつは探しておったのじゃ。強き者を。ただただ強者との剣戟を求める獣。それが奴じゃった」

 馬芹の言葉を受けて、頑羽も頷いた。

「ああ、まったくその通りでしょうな。儂はあの男と、戦場で三度相まみえた。そのたびに斬り合ったが、あの男は、皆が死に物狂いで戦争をしている中で、まるで儂と試合を楽しむかのように、二人きりでの斬り合いを望んだ。横やりが入ると、一片の躊躇いなくその場から逃げ去っていった」

「はあ。そんな恐ろしい男だったのですね。頑羽様や馬芹様と本気で斬り合って生きているなどとは」

 嶽飛がやや気の抜けた感想を呟いた。嶽飛にとっては自分が生まれる前の出来事で、幼少の頃に聞く御伽噺のようなものなのだろうと、頑羽は思った。実感のわかない話であろう。

 しかし、頑羽や馬芹にとっては、未だその名前に思うところがあるほどである。特に、馬芹にとってはそうであったのだろう。先程は手の震えが止まらないと言っていた老人は、まるで若返ったかのようにその瞳を見開き、拳を握りしめていた。

「私はあの男と、できるならば、最後にもう一度刃を交わしたいと思っておったがの」

 馬芹が最後に呟くようにそういって、再び誰も何も喋らなくなってしまった。皆がお互いの出方を窺うような視線を交わす。

 頑羽はそんな剣豪たちの様子を窺っていたが、呂燈を斬った者を見極めることはできなかった。疑ってみれば、三人の剣豪たちは、皆が皆、他者には明かせない感情を隠し持っているように思える。だが、また別の見方をすれば、誰もが呂燈の死に驚きを感じているようにも見える。

 やがて、その重い沈黙を破ったのは、罫徳(ケイトク)だった。

「これで、剣豪殺害事件の話は終わりだ。次の議題に移るとしよう。頑羽よ。おぬしが拾った死神の拾い児の話をしようではないか」

 急な話題の変更に、頑羽は驚いた。

 頑羽はてっきり、罫徳が珀台(ハクタイ)を斬った犯人を見つけるまで追及をやめないと思っていたのだ。道場師範を斬り殺すという異常な行いを、この場で正すために三人の師範を呼び寄せたはずだと思っていた。まして、その斬殺が連続していると頑羽が告げたのだから、三人目の犠牲者がでないとも限らない。

 あるいは、罫徳には犯人の目星がついたということなのだろうか。まさか、罫徳自身がその犯行の主ということではあるまいか。

「頑羽よ。おまえが本来の弟子たちの力不足に飽いていたということは重々承知しておる。だが、羅夸様の作り出した武芸処というこの取り組みは、おまえの勝手で壊していいものではないのだ。それくらいのことはわきまえていると思っていたが」

 頑羽がひたすら斬殺鬼の正体について考えを巡らせている間に、罫徳は次々と話を進めてしまう。

「武芸処総取締官として、おまえの独断は認められぬ。あの道場は帝から貸し与えられているということを忘れるな。おぬしがそれでも(くだん)の小僧に剣技を教えることに執着するというのならば、すぐさま道場から去って、どこかの河原で刀を教えることだな」

 罫徳の非情とも聞こえるその言葉を受けて、頑羽は少し考えた。道場の師範であれば、教える場だけではなく、設えられた木刀も、あるいは望めば一流の真剣ですらも用意される。それを失えば、教導の為の道具は河原の木の枝となるだろう。

 頑羽はそこまで考えた。ただ、仔繰(コクリ)は何も思わず、それで構わないと言いそうだと思い、薄く笑った。

 あるいは、頑羽自身も、それでいいかもしれないと思ってしまうのだ。生い先短い自分の人生を、仔繰への指導にあてる。それは頑羽の中ではもう決まったことであり、そのためにあの道場から出て行けと言われるのであれば、頑羽は未練なく出て行けてしまうのであった。



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