〇 第参話『刀に魅入られた皇女』 -4
最初は、剣術を習いたいと言って、父である帝に用意させた幾多の剣術家たちに教えを乞うた。その中に頑羽もいたが、羅夸には全くと言っていいほど剣術の才能がなかった。
そもそも、筆と箸より重いものを持ったことのないような皇族の子女であるところの羅夸が、頑羽の剣術に見惚れたというだけで、まともに刀を振れるようになるわけもないのだ。羅夸のわがままで始まった剣術指導は半年ほど続いたが、才能の芽が出ることはなく、やがては帝も講師役をあてがうのをやめてしまった。
刀に魅入られたなどと言って、自由気ままな第九皇女らしいお遊びであると、宮中の者たちは誰一人として羅夸の本気を受け取ろうとしなかった。頑羽はその後もしつこく剣術を見せてくれとせがまれたが、そのたびにあの日、馬車の中から嬉々として人斬りを眺めていた瞳が思い出され、すげなく断ってしまっていた。
やがて、羅夸はそれすらもやめてしまった。羅夸が自分のもとを訪れることがなくなると、頑羽も、皇女のあの剣術への異様な執着は、幼少の頃の、ほんの一時の熱病のようなものだったのだと思うようになった。
――――だが、羅夸の想いは決して止まってなどいなかった。
「皇女殿下。頑羽殿。城に着きました」
御者の声掛けに、頑羽ははっと目を覚ましたように顔をあげた。気が付くと、あの牛車が小道の石を踏み散らす振動はとうに止まっていた。隣では、羅夸がすまし顔で座ったまま、扇で顔を仰いでいる。
慌てて頑羽は席を立ち、先に牛車を出ると、片手で牛車の簾扉を持ち上げたまま羅夸へと手を差し伸べた。羅夸は扇を静かに畳み、袖口へしまうと、優雅な動作で自分へ向けられた手を取り、頑羽に支えられながら牛車から降りた。
そこは、すでに皇帝とその親族の住まう城の中。頑羽の道場では奔放な羅夸も、貴女としての振る舞いを求められる場である。頑羽もまた、羅夸を皇女陛下として丁重に接せねばならない。
普段は多弁な羅夸は何も言わず、歩幅を小さくして四金城の廊下を先導する。時折すれ違う城勤めの女中たちは、羅夸の姿を目にとめると、みな一様に頭を下げ、身を低くして羅夸が通り過ぎるのを待つ。
そんな第九皇女の右後ろを、頑羽は両腕を胸の前で重ねた奇妙な格好で付き従っていた。
この姿勢は、武術を修めた者が四金城で取るべき姿勢とされており、両腕を自らで塞ぐことで、城に住まう者たちに危害を加える意思がないことを示している。特段、これを強要する法はなく、習慣的なものである。羅夸に言わせれば無用な掟だが、皇女の横を歩いている今、腕を下ろしているところを誰かに見られでもすれば、もう二度と頑羽は四金城の門をくぐれなくなるだろう。
そうして一言も言葉を交わすことなく二人がたどり着いたのは、広大な四金城の敷地の南西の端に建つ、広い庭を持つ平屋の建物、雄武殿。通称を武芸総郭と呼ばれる区画である。
本来の用途としては、皇帝が、その武芸指南役から武術を習う場である。だが、羅夸の父親である阿緯帝は、平和な世で自らが武を振るうことはないと、燦国の初代皇帝から四代続くその習慣をやめてしまった。
そこをうまく自分のものとしたのが羅夸である。
羅夸は、自分に剣術の才能がないとわかると、突然、この武芸総郭から、国営の武芸道場を運営すると言い出した。
名のある剣術家を四名選び出し、都の四方に作らせた道場の師範として任命する。この道場へ学びに来る者のほとんどは豪族貴族の倅であり、その稽古への対価として支払う月謝の一部は、国税として徴収され、国庫へと入る。
この仕組みを始めた当初は、馬鹿にするものも多く、官僚のほとんどはいい顔をしていなかった。皇女のお遊びにしては、いささか度が過ぎると、直接皇帝に苦言を呈した官吏もいたほどだ。
だが、実際に始まってみると、これが驚くほどうまくいった。平和を謳歌するこの燦国で、なにがそれほど貴族たちの心を捉えたのか、裕福で蓄えのある名家ほど、こぞって道場に息子を預けるようになった。
毎月の授業料は国庫を潤し、羅夸はその財源を担う者として、宮中での存在感を増していった。
そして、頑羽は羅夸によって、南の国営道場の師範に任命されたのだった。