〇 第弐話『“一刀一斬”と”柔剣”』 -5
昨日、仔繰がやってきて、道場破りのようなものを挑まれた時、頑羽はその汚らしい見た目の少年のことを、生意気で、少し腕が立つだけの小僧だと思った。いや、実際に仔繰が生意気な小僧であることは間違いない。
あの呂燈の剣技を学んだと知った時には驚いたが、所詮は付け焼刃だと、そう思った。
その考えはすぐに覆されることになるが、しかしそれでも、才能にかまけて、むやみに刀を振るうだけの愚物ならば、“柔剣”を授けようとは思わなかったはずだ。
十回、仔繰は頑羽に吹き飛ばされた。五十回、吹き飛ばされた仔繰はまだ立ち上がった。百回打たれても、仔繰は木刀を構えた。
「もう一度だ師匠!」
「……おぬしは本当に刀の道の、その先を知りにゆくのだな」
この生意気な小僧は、本気でこの刀神の技術を学び取ろうとしている。幾十幾百と木刀を打ち込む中で、頑羽はそれを理解した。
おそらく、仔繰はその道しか知らぬのだろう。
あの人斬りの鬼人、“一刀一斬”の呂燈という男が、何を考えて孤児を拾い育てたのかは誰にもわからぬことだ。だが、人斬りで生きてきた男に育てられたこの小僧には、刀を握る以外にすることがなかったのだろう。
もしかしたら、この恐ろしいほどの才能を他に向ければ、仔繰は何にでもなれるのかもしれない。詩歌を教えれば詩聖に、算術を教えれば高官に、儒を教えれば導師として大成したのかもしれない。
しかし、そうはならなかった。そして、今、仔繰は頑羽に教えを受けている。
「儂も、呂燈と同じ。刀しか教えられぬ身。ならば儂もおぬしの向かう道に付き合おう」
この少年を鍛え上げることこそ、余生の短い自分に与えられた、最後の使命なのかもしれない。日が暮れるころまで仔繰と打ち合った頑羽の中には、とうとうそんな考えすら浮かんできた。それほどまでに仔繰はまっすぐで、そしてその才能は計り知れぬものであった。
やがて、全身青痣だらけになった仔繰は床に倒れ伏し、それを見た頑羽は肩で大きく息をしながら木刀を床に置いて、座り込んだ。
「今日は、ここまでとしよう」
「……ひとつも返せなかった」
素直に悔しがる仔繰の言葉に、頑羽はまたもため息を吐かされた。
「当り前じゃ。たった一日で我が奥義を物にされては、儂はとうとう刀を折って首をくくらねばならんよ」
ゆっくりと呼吸を整えた頑羽はやがて立ち上がり、床に転がる二つの木刀を拾い上げて壁に立てかけると、おもむろに道場を出ていこうとした。その姿を見て、仔繰は慌てて体を起こして頑羽を呼び止める。
「ちょっと待ってくれ、師匠」
「なんじゃ。おぬしは井戸で体を洗ってこい。儂は夕食の支度をしてくる」
頑羽はそういって、仔繰の静止を無視すると母屋に歩いて行ってしまった。
「その夕食に文句をつけようとしたんだけど……」
まあいいか、と諦めたように呟いた仔繰は、起こした身体を再び床に横たえると、頑羽が帰ってくるのを待たずに眠りに落ちた。深く、静かな眠り。その眠りは、育ての親を殺されてから、ずっと仇を取ることだけを考えて、この帝都へとやってきた仔繰にとって、ようやく訪れた安息であった。
それはまさに、仔繰がこの道場に自分の居場所を見つけた証なのだろう。
――――もっとも、すぐに戻ってきた頑羽に叩き起こされて、しぶしぶ体を洗いに行く羽目になるのだが。