〇 第弐話『“一刀一斬”と”柔剣”』 -4
体がまったく動かず、受け身を取ることもできずに、大きな音とともに道場の床に勢いよく叩きつけられる仔繰に対して、頑羽は緩慢な動作で足元に落ちた仔繰の木刀を拾い上げた。
その二本の木刀を手の中で重ね合わせると、木刀はあまりの衝撃に少し歪んでしまっていた。
頑羽は眉に皺を寄せて、木刀を部屋の脇に立てかけた。もう使えなくなってしまったそれは、後で折って薪替わりにでもするしかない。
その間にも、仔繰は床に叩きつけられた格好でじっと動かなかった。放心しているのか、最悪気絶したのかと思い、頑羽が近寄ると、少年は急に立ち上がり、笑みすら浮かべて叫んだ。
「師匠! 俺、あんたに師事するよ」
あっけにとられる頑羽の前で、仔繰は足早に道場の壁へ駆け寄ると、そこに掛かっていた木刀を手にとった。今度はずいぶんと短い部類の木刀であった。
興奮した様子の仔繰に、頑羽はやれやれと首を振る。
「いまさら何を言っておる。おぬしは昨日から、儂の弟子じゃ」
「いや。あんたが大したことないってわかったら、俺はここから出ていくつもりだった」
仔繰は何一つ悪びれることなくそう言った。くだらない悪戯を思いついた悪童のような、あるいは、とても面白い玩具を見つけた童のような、あまりに屈託のない笑顔で言うものだから、ついつい頑羽のほうも笑ってしまう。
「だけど、気が変わった。俺はあんたに師事する。だから、早くしてよ」
「くくくっ」
あまりにも自分勝手な仔繰の言い草に、頑羽はとうとう耐えきれずに笑い声をあげた。
「なにを言い出すかと思えば。して、おぬしは何を儂に急かしておるのじゃ?」
「師匠の“柔剣”の強さはわかったから、早く稽古をつけてくれって言っているんだ」
「……なんじゃと?」
仔繰の言葉に、頑羽は笑いを止めた。少しだけ眉が震えて、その手がまた髭を撫でる。
「わかった、とはどういう意味じゃ」
「え?」
仔繰は木刀を構えたままで、小首をかしげた。頑羽が何を言っているのか、何を言いたいのかさっぱりわからないといった様子で、言葉を続ける。
「師匠の“柔剣”が凄い技だってことだよ。昨日、俺の刀を無刀取りで投げ飛ばしたあれを、刀の打ち合いでやって見せているんだ。まさに神業だよ、刀神と呼ばれるわけだ」
仔繰が当然のように言ってのけたその言葉に、頑羽はとうとう頭を抱えて座り込んでしまった。
千人斬りの“刀神”たる頑羽が、その人生を持って創り上げた剣術の極意を、たった一度打ち交わしただけで看破されては、とても師の威厳を保てたものではなかった。もはや少年に対する畏怖すら沸いてくる思いだった。
「どうしたんだよ師匠。俺に“柔剣”を授けてくれるんじゃなかったのか」
仔繰は頑羽に駆け寄った。頑羽の心情を毛ほども理解できない仔繰は、老体の頑羽の身に何かがあったのかと心配したのだ。
「……よい。仔繰よ」
頑羽はあわてて駆け寄る仔繰に対して、手あげてそれを制すと、ゆっくりと立ち上がった。その顔はすでに冷静で、弟子に対する師の様相を取り戻していた。
「おぬしの言う通り。儂の編み出した“柔剣”とは、刀と刀が打ち合った瞬間に生まれる力を操る術じゃ」
頑羽は仔繰と同じように、壁に掛かった木刀を手にとり、構えた。それを見て、仔繰もとっさに構えなおす。
「相対する刃に込められた力。それを受け止め、奪い、跳ね返す。言ってしまえばそれだけよ」
頑羽は一呼吸おいてから、何も発することなく仔繰に斬りかかった。上段から振り下ろされた木刀は素早く、仔繰はとっさに自らの木刀で防ぐのが精いっぱいであった。
仔繰が打ち込んだ先程とは異なり、木刃が仔繰の頭上でギリギリと鍔迫り合いを起こす。
「打ち込み稽古じゃ、仔繰。本来は弟子が師に打ち込むが、“柔剣”を学ぶ者は逆じゃ。儂がおぬしを打つ。そうして身に着けるのじゃ。我が弟子よ」
頑羽は競り合っている木刀に力を込めて、仔繰を突き飛ばすと、そのままさらに打ち込んだ。姿勢を崩した仔繰は、とっさに横に飛び跳ねて避けた。
「相手の刃に抗しようとするな、仔繰よ。競り合ってはいかん。受け流すのじゃ」
頑羽は短く助言すると、もう一度斬りかかる。何度も、何度も、頑羽と仔繰は木刀を打ち交わした。